今江敏晃インタビュー(後編)
ロッテ、楽天、WBC日本代表で、計9人の監督に仕えた今江敏晃氏。これまで出会ってきた監督から学んだこと、そして自ら指揮を執って感じたこととは?球団初の交流戦制覇の舞台裏など、たっぷり語ってもらった。
昨年、楽天の監督として球団初の交流戦優勝を果たした今江敏晃氏photo by Koike Yoshihiro
【ハンパなかった王監督のオーラ】
──今江さんは現役ロッテ時代に4人、楽天時代は2人、WBC日本代表で1人、引退後はコーチとして2人の監督に仕えました。まず、ロッテ時代の監督からの学びを教えてください。
今江
プロ入り時は山本功児監督でした。直接絡んだことはほとんどありませんでしたが、高卒1年目の僕を一軍で15試合も使ってくれました。
──ボビー・バレンタイン監督は、今江さんをレギュラーに抜擢し、起用してくれた監督です。
今江
ボビーは先述したように、「選手を前向きな気持ちにさせ、フィールド上で思いきってプレーさせてくれる」監督でした。メッツの監督時代に、新庄剛志さんや小宮山悟さんがボビーのもとでプレーしました。もし僕がMLBでプレーするなら、ボビーと一緒にしたかったですね。
──2010年から西村徳文監督でした。
今江
西村さんは守備コーチ時代からお世話になりました。ボビーのもとで西村さんはヘッドコーチを務め、監督としてボビーの野球を継承しました。監督1年目の2010年は、シーズン3位からクライマックスシリーズを勝ち上がり、落合博満監督の中日を破って日本一を達成しました。
──2010年の今江さんは140試合出場で打率.331(パ・リーグ3位)。30犠打ながら176安打、10本塁打、77打点と、キャリアハイの成績を残しました。
今江
西村さんは一緒に戦っていて、「男にしたい」と思える人でした。中日との日本シリーズで二度目のMVPをいただき、いいシーズンを過ごさせてもらいました。
──4人目は伊東勤監督です。
今江
伊東監督は現役時代、黄金時代を形成した西武の司令塔の捕手。勝利への執念を感じさせてくれる監督でしたね。
──その後、楽天に移籍し、梨田昌孝監督になります。
今江
梨田監督は近鉄、日本ハムの2チームで優勝を成し遂げるなど、勝負への厳しさを持つ監督です。一方、絶妙なタイミングでお声がけいただくなど、穏やかで選手を安心させてくれる監督でした。
──平石洋介監督は、今江さんの現役最後の監督ですね。
今江
平石監督はPL学園の3学年先輩。年齢的にも近いし、選手とコミュニケーションを取って、選手に寄り添ってくれる監督でした。さらに戦略に長け、責任感とキャプテンシーあふれる監督でした。
──今江さんは現役引退後、三木肇監督、石井一久監督のもとでコーチになります。
今江
三木監督は指導者としての術(すべ)、コーチングを学ばせてくれる監督でした。石井監督はコーチとしての役割、職務を指示し、任せてくれる監督でしたね。
──また2006年の第1回WBCでは、王貞治監督のもと世界一に輝きました。
今江
世界の王さんですし、とにかくオーラがあって、太陽のような情熱的で温かい監督でした。代表メンバーに選んでいただいて、光栄の極みでした。
【楽天初"交流戦優勝"の舞台裏】
──これまで仕えた監督の育成力、マネジメント力を、今度は今江さんが楽天の監督として結集し、「セ・パ交流戦初優勝」という形で結実させたわけですね。
今江
ひとえにコーチの方や球団スタッフの協力、選手みんなの頑張りのおかげです。シーズン序盤、チームがなかなか波に乗りきれないなか、一軍での実績や経験が少ない若い選手たちの奮闘もあって、優勝することができました。彼らにとって、今後の野球人生への自信につながったことは意義のあることだと思いましたし、そこに監督として携われたこともうれしかったです。
──2024年の楽天投手陣は、ベテランから若手への世代交代の時期で、しかも絶対的守護神だった松井裕樹選手がメジャーに移籍しました。
今江
則本昂大をストッパーにするタイミングをうかがっていましたが、本人が察してくれたことは本当にありがたかったです。若手はみんなすばらしいポテンシャルがあって、それを生かせる機会とタイミングを模索していました。特に先発の早川隆久と藤井聖には「2ケタ勝とうよ!」と声がけしました。ふたりとも11勝をマークするなど、期待に応えてくれました。
──横浜高からドラフト1位で入団し、8年目の藤平尚真投手も中継ぎで覚醒しました。
今江
"機会とタイミング"に適合した例です。「もっと輝ける場所を」と思って、中継ぎに配置転換しました。2023年は11試合に先発して2勝4敗の成績でしたが、2024年は47試合に登板して20ホールド、防御率1.75をマークしました。侍ジャパンにも選出され、昨年11月のプレミア12では緊迫した場面で好投するなど、さらなる飛躍を遂げてくれました。
──野手でも、若手の成長が著しかったです。
今江
辰己涼介がパ・リーグ最多の158安打を放ち、打率もリーグ2位の.294。また小郷裕哉は12球団唯一の143試合フルイニング出場を果たし、村林一輝もキャリアハイとなる139試合に出場して125安打を放ちました。彼らがAクラス争いの軸になってくれました。辰己と小郷のマインドの強さは頼もしかったですし、村林は打撃コーチとの二人三脚が奏功しました。
【理想は打ち勝つ野球】
──1年とはいえ、貴重な監督の経験を今後どのように生かしていきたいですか。
今江
選手、コーチ、スタッフら100人以上の組織を、コミュニケーションを取りながらまとめないといけません。好結果を出せるようにチームをどう持っていくか、大変さを痛感しました。ただ、最終的にプレーするのは選手たちです。先述したように「機会とタイミング」ではないですが、選手の環境をどう整えていくか。重要なことは、どのようにして選手をやる気にさせるかだと思ってやっていました。
──ゲームの采配という部分で、一番難しいのは継投ですか。
今江
そうですね。継投は特に難しかったですね。継投はもちろん、采配に"根拠"を持って1年間の長いペナントレースを戦わなくてはいけません。
──目指す「今江野球」の方向性は見えてきましたか。
今江
理想としては、打ち勝つ野球を目指したいです。ただ現実問題として、かなりの強打者が揃わないと、現在の"投高打低"の時代では難しいでしょうね。あくまで理想ではありますが、「ウチの打線なら点を取ってくれるだろう」と投手陣に思わせることができれば、先発も6回ぐらいまで思い切って攻めていけるし、好循環をもたらすはずです。もちろん、そのためにはリリーフ陣を整備し、守備力を高めないといけませんが。
──今後の今江さんの展望はどのようなイメージですか。
今江
学生野球資格も回復したので、高校野球だけでなく大学野球にも興味を抱いています。プロ野球の世界に入ってから昨年までずっとユニフォームを着続けていたので、今年は野球評論家として、客観的に、そして俯瞰して野球を見つめ直す機会にしたいです。
今江敏晃(いまえ・としあき)
/1983年8月26日、京都府出身。PL学園から2001年のドラフトでロッテから3巡目で指名され入団。05年にレギュラーに定着し、132試合に出場して打率.310、8本塁打、71打点。阪神との日本シリーズでは8打席連続安打を記録するなど、チームの日本一に貢献しMVPを獲得。その翌年3月に開催された第1回WBCの日本代表に選出され、世界一に貢献。10年の中日との日本シリーズでも勝負強さを発揮し、自身2度目のMVPに輝いた。15年オフにFAで楽天に移籍し、19年限りで現役引退。20年から楽天のコーチに就任し、24年は一軍監督。チームを初の交流戦優勝に導くも、10月に監督契約解除が球団より発表され退団することになった。現在は評論家として活躍中
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