菊地姫奈&宮崎大祐監督が語る映画『V. MARIA』「好きなものがあって離れることができない方に楽しんでもらいたい」

左から)菊地姫奈、宮崎大祐監督

菊地姫奈&宮崎大祐監督が語る映画『V. MARIA』「好きなものがあって離れることができない方に楽しんでもらいたい」

3月31日(月) 1:00

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菊地姫奈が主演を、宮崎大祐が監督を務める映画『V. MARIA』が、4月1日(火) から公開になる。本作はヴィジュアル系バンドの世界に出会った主人公の成長ドラマを描いているが、映画ファンなら誰もが魅了される物語が展開する。

本作は何を描くのか?出演作の続く菊地は本作をどう捉えているのか?菊地と宮崎監督に話を聞いた。

『V. MARIA』予告編

新しい場所に飛び込む気持ちと、そこで起こった出来事に戸惑う気持ち

――まず、本作が制作されることになった経緯を教えてください。

宮崎少し前から、自分の人生の中で忘れられない思い出やテーマみたいなものを題材に撮りたいと思っていたので、ヴィジュアル系の話を撮っていないことがずっと心残りとしてあったんです。

――宮崎監督といえば『大和(カリフォルニア)』など、ヒップホップのイメージを抱いている映画ファンも多いのでは?

宮崎そうかもしれないですね。僕は最初はヴィジュアル系ロックを好きになり、そこから洋楽を聴くようになったんです。だから、自分の音楽のはじまりであるヴィジュアル系はいつか映画で描きたいと思っていたところに、小澤プロデューサー(※小澤友美氏。メディアミックス・ジャパン所属。本作では企画・プロデュースを手がけた)からオファーをいただいて、メールを受けたのがちょうど大学の講義中(※宮崎監督は監督だけでなく、脚本家、講師としても活躍中)だったんですけど(笑)、その場でこれはぜひ!と思いました。

――小澤プロデューサーから企画を受けた段階で「親と子の世代の物語」だったのでしょうか。

宮崎そうですね。

本作の主人公・マリアは高校生。母が突然亡くなり、状況がまだうまく飲み込めないまま遺品整理をする過程で、段ボール箱に入ったヴィジュアル系バンドの雑誌、グッズと「MARIA」と名付けられた再生できないデモテープを見つける。生前の母の秘密を知るために、マリアは学校で情報を集め、友だちをつくり、ライブハウスに向かい、母が若かった頃、共にライブハウスにいた大人たちに出会う。

――物語的に本作では先輩の俳優と共演する時間が多かったのではないでしょうか?

菊地はい。学園ドラマですと同年代の方との共演になりますし、未来を描くことが多いのですが、本作はマリアが母の過去を追う物語になっているので、そこがすごく面白かったです。撮影では先輩方との共演が多く、演技を通じて学ぶことがたくさんありました。みなさんに引っ張っていただいた、という感じです。

――劇中でマリアは母のことが知りたいと能動的に行動する一方、ライブハウスなど初めての場所では不安を感じて戸惑ったりもする。彼女のふたつの側面が丁寧に描かれています。

菊地私はいま20歳なので、学生のマリアと同じ年齢だった頃を振り返ってみると、確かに役と重なるというか、あの年齢ならではの部分があると思ったんです。いろんなことをやってみたい、と飛び込んでみる気持ちと、飛び込んだ先で不安を感じることが学生時代に自分もあったな、と。だから演じる上ではいつも新しい場所に飛び込む気持ちと、そこで起こった出来事に戸惑う気持ちを意識しました。

宮崎マリアは“鏡”のような存在で、物語的には傍観者の立場にいるんです。だから周囲に導かれるように移動して、出来事を目撃する一方、彼女が鏡のように過去や感情を反射して周囲に伝える役割も担っている。菊地さんはその点を完璧に演じてくれました。マリアは映画の冒頭では母を亡くして“悲しみに暮れている”というよりも、まだ自分に何が起こっているのか完全には分かっていないし、母の死に対してどう反応してよいのか分からない状態。そこからライブハウスに行くことで、少しずつ実感を得ていく。その点は意識していました。

菊地だからこそ撮影では事前に考えすぎないようにしていました。セリフを覚えるときにも実際に相手役の方がどんな表情をするか、どんなトーンで言葉が出てくるのかは分からない。だからこそ事前にすべてを覚えて、決めて……とするのではなく、あえて初見の気持ちになることをいつも考えています。

アメリカのアドベンチャー映画の構造の物語を、日本の風景を舞台に

――本作では菊地さん演じるマリアの感情の動きが非常に細やかに描かれています。

宮崎菊地さんは本当に柔軟性の高い俳優さんです。大きなリアクションだったり、分かりやすい感情表現はこちらも簡単に指示が出せるのですが、菊地さんは本当に微妙なニュアンスだったり、その瞬間にしか生まれないリアクションや表情をどのテイクでも出してくれる。それに、ほんの少し狙いと外れたときは「もう少しこちらかな」とだけ伝えると、自ずと修正して輝いてくれる。

――その証拠に本作では感情表現が細やかであるシーン、ひとことでは説明できない場面ではマリアのクローズアップになりますね。

宮崎そうですね。作品の中に勝負どころがいくつかあって、アップで撮りたいけどダメだったら別のアングルで、と思っていたんですけど、菊地さんはすべて応えてくださったので、本当に素晴らしかったです。本人が目の前にいるのであれですけど(笑)

菊地ありがとうございます(笑)。私自身は実は感情を大きく表現するのが苦手で、学園ものだったり、キラキラした作品で感情を大きく表現することができなくて苦戦することもあったんです(笑)。でも、この映画のように感情や表情の細かな変化を表現する方が好きですし、日常の中にある、これまでに生きてきた中で出会ったことのある感情の方が演技に落とし込みやすい、と思っています。

――マリアは菊地さんの俳優としての魅力が最も発揮される役、ということですね。

菊地そういう点でもマリアは主役だから、ということではなくて、すごく運命を感じられるキャラクターでした。共感できる部分がとても多くて、リアルさを追求して演じることができました。

――本作は主人公の繊細な感情を描く一方で、物語に視線を転じると、失くなった母の遺したアイテムを手がかりに新たな人に出会い、新たな場所に出かけ、謎を解き明かしていく。本作は実は構造的には“アドベンチャー映画”ですよね?

宮崎そうなんです!よくお気づきになられました。そのことはすごく意識しています。この映画では『インディ・ジョーンズ』みたいなアメリカのアドベンチャー映画の構造の物語を、日本の風景を舞台にやりたかったんです。アメリカ映画で繰り返し描かれる主人公が目的に向かって冒険して、放浪して、最後には成長と気づきが得られる。

――菊地さん、本作は“アドベンチャー映画”でもあるようです!

菊地はい、私もビックリしています(笑)。でも、私もマリアと同じで撮影前はヴィジュアル系について知らなくて、マリアを演じることで彼女と一緒にヴィジュアル系について知っていったんです。未知の世界に飛び込んでいく、という点では冒険だと思いますし、私も本当に冒険をしているような気持ちで脚本を1ページずつめくりながら演じていったので、確かに本作は“冒険もの”だと思いますね。

――『V. MARIA』は幅広い観客、まだヴィジュアル系に触れていない方も最後まで楽しめる映画になりました。

宮崎ヴィジュアル系が好きな方にはもちろん楽しんでいただきたいのですが、もっと幅広い方、映画の中にも出てきますが、“どうしても好きなものがあって離れることができない”方、好きなものがあって追いかけている方にも楽しんでもらいたいと思っています。

菊地私もマリアを演じることを通してヴィジュアル系のことを知って、興味を持って音楽も聴くようになりました。この映画を通じて、観客の方にもそういう気持ちになってもらいたいですし、好きなものがあるけど堂々と好きと言えなかったり、恥ずかしくて言えないでいる方に「好きなものは好きなままでいいんだよ」と背中を押せるような作品になれば、と思っています。

取材・文:中谷祐介(ぴあ編集部)
撮影:源賀津己

<作品情報>
『V. MARIA』

4月1日(火) より目黒シネマにて2週間限定公開

ぴあ

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