「バルサでプレーしたい」という夢を追い続けた森岡亮太久御山高時代、神戸加入、日本代表入りで直面した転機

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「バルサでプレーしたい」という夢を追い続けた森岡亮太久御山高時代、神戸加入、日本代表入りで直面した転機

3月31日(月) 2:10

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森岡亮太インタビュー(後編)

シャルルロワSCをはじめ、ベルギーで7シーズンプレーした森岡亮太photo by Getty Images

シャルルロワSCをはじめ、ベルギーで7シーズンプレーした森岡亮太photo by Getty Images





前編◆古巣のヴィッセルに復帰した森岡亮太が引退を決断したわけ>>

幼少の頃からサッカーが好きで、プレーするのが楽しくて、ひたすらボールを追いかけてきた森岡亮太だが、決してエリート街道を歩いてきたサッカー人生ではなかった。

転機が訪れたのは、久御山高校時代。兄の「亮太の好むサッカーに合っていると思う」という勧めもあって進学を決めると、ボールをつなぐサッカーを基本スタイルに、個性を生かしたチームづくりをしていた松本悟監督のもとで頭角を現わしていく。同校が掲げるチームスローガン『キミは君らしく』のとおりに、個性を存分に発揮しながら自分らしく輝くことを求められたなかで、「考えてプレーすればするほど、伸びていくような感覚もあった」そうだ。

そんな森岡が、高校3年間で徹底的に磨いた足元の技術を武器にプロキャリアをスタートしたのは、2010年だ。

「当時のヴィッセルが、これまで自分がやってきたサッカーと違うスタイルのチームだとわかったうえで、将来を見据えて守備力を備える必要性を感じてヴィッセルを選択したんですけど、しばらくは葛藤が続きました。それは、チームスタイルに合う、合わない以前に、自分自身の問題だったというか。

実際、プロのレベルで自分のやりたいプレーをするには、体やプレー強度も含めて、備えなければいけないことが多すぎた。なので、最初の3年はどちらかというと自分と向き合う時間が長く続きました」

キャリアが動くのを感じたのは、プロ4年目を迎えた2013年。クラブとして2度目のJ2での戦いを強いられたこの年も、前半戦は思うように出場機会をつかめなかったが、シーズンも半ばをすぎた8月21日のJ2第30節、東京ヴェルディ戦で状況が一変する。

「チームスタイルと、自分のベースにある"プレーを楽しむ"ことに、どう折り合いをつけて表現できるかをずっと考えてきて、それがヴェルディ戦でようやく合致したというか。僕の特徴を周りに理解してもらえるようになったのも大きかったと思いますけど、シーズンで初めて先発した東京V戦で思い描くプレーができ、以来、僕がチームの戦術として組み込まれるようになって、一気に自分のプレーを表現しやすくなった。実際、それ以降はプレーイメージがパフォーマンスに直結することも多くて、それがJ1に復帰してからも結果につながっていきました」

その言葉どおり、J1に昇格した2014年も、チームを操る司令塔として存在感を発揮した森岡は、リーグ戦全34試合のうち33試合に先発出場(途中出場1試合)。自身にとって初の日本代表にも選出される。そのなかで戦った同年10月14日の日本vsブラジルは、自身に痛烈なインパクトを残した。

「当時はまだJクラブからの選出も多くて、その試合も先発メンバーのほとんどが国内組の選手だったんです。結果、ネイマールに4点ぶちこまれて負けたんですけど、その時、本当の意味でブラジル代表と勝負できていたのは、ほとんどが海外組の選手だったというか。

僕を含めた国内組の選手の大半は、ブラジルという名前や雰囲気に完全に飲まれてしまっていた。なんていうか......プレッシャーをかけられているわけでもないのに安パイなプレーを選択しちゃう、みたいな。その自分を感じて『ヨーロッパとかトップレベルの舞台で戦っていないとこのレベルの相手とは勝負できない』と思い知った。

だからこそ、できるだけ早く"ヨーロッパ"という土俵に自分を乗せなアカンと思うようになりました」

事実、その試合は海外移籍への思いを加速させることにつながり、森岡は2016年、ポーランド1部リーグのシロンスク・ヴロツワフに完全移籍。さらに2017年6月にはベルギー1部リーグのワースラント=ベフェレンに戦いの場を移し、2024年夏に神戸に復帰するまでベルギーでの戦いを続ける。

夢に描いた「FCバルセロナでのプレー」から逆算すればこそ、当然、世界五大リーグへのステップアップも目指していたし、実際に、オファーが届いた時期もあったが、結果的に所属チームは変えながらも7シーズンにわたってベルギーに身を置いた。

「初めて海を渡った時とは違い、海外でのキャリアを積み上げるほど、さまざまなデータをもとに、冷静にいろんなことを判断できるようになったというか。だからこそ、夢に近づきたいなら、五大リーグから逆算してチームを模索すべきだということも常に頭にありました。

ただ、そのためにはまず、自分が評価されるレベルであることが大前提なので。そのことをずっと意識しながらプレーしてきたけど、30代になってからはケガが続いて思うようなプレーもできず、試合への出場機会も減っていき、最後は夢を追える立場に自分はもういないという現実を受け入れた、と。その事実に悔しさがないと言えば嘘になりますけど、結局、それも含めて、自分の実力なので。

『こうなったらよかった』『ああしておけばよかった』ってことは、キャリアを通して......なんなら毎試合を戦い終えるたびに山ほどあったけど、そのおかげで成長しようと努力もできたし、踏ん張れたとも言える。だから、悔いはないと言いきれるんだと思います」

今になって思えば、そうして夢を叶えようと必死に"今"を戦い続けられたことも、自身にとってはサッカーの楽しさにつながるものだった、とも振り返った。

「その時々で、うまくいかないこと、思うように進まないことがいつも成長のきっかけになったというか。うまくいかへんからどうすればいいのか考えたし、できひんことがあるから、できるようになろうと向き合えた。

裏を返せば、毎試合完璧にプレーできていたら、きっと面白さ、楽しさも見出せなかったはずやし、こんなにも長くモチベーションも維持できなかったんじゃないかな。実際、戦い続けた先にどんな自分がいるのかわからなかったから、少しでもよくしよう、よくしたい、という過程が自分の未来に意味を持たせてくれる時間になった。

ただ、そうして過ごしてきた時間は、現役を引退したから終わりではないというか。むしろ、これからのキャリアにも意味を持たせてくれそうな気もしています。というか、海外を含めて、自分の歩んできたキャリアを含めて出会った人たち、たくさんの経験に感謝をすればこそ、現役時代の経験をこれからの人生でも意味のあるものにしていきたいと思っています」

そのセカンドキャリアについては、いろんな可能性を模索している最中で、自分が何をしたいのか、何ができるのかを考える日々が続いているという。そのなかでは7年にわたって生活の拠点にしたベルギーで、すでに立ち上げている"食"にまつわる事業のさらなる展開も考えているそうだ。もちろん国内でも、自身の経験を生かして「未来ある子どもたちのための食育なども行なっていきたい」と目を輝かせる。

「今はとにかく、やりたいことだらけ。それをどう形にしていけるのか、楽しみです」

苦楽を共にしてきた"戦友"と親しみを寄せる、愛する家族の存在に心強さを感じながら。

「2015年に結婚してから海外での生活が長かったけど、奥さんはいつもその時々の生活、人生を一緒に楽しんでくれた。彼女にも僕と同じように夢があったのに、海外でプレーすると決めた時もついていくと言ってくれて、最後まで僕の挑戦に寄り添ってくれました。本当にありがという、という気持ちでいっぱいです。

ベルギーのワースラント=ベフェレンに移籍した2017年6月に生まれた長男は7歳、ベルギーで生まれた長女は4歳になりましたけど、子どもたちを含めて家族の存在はいつも自分の原動力だったし、夢を諦めずに追いかける理由でもありました。

だからこそ、自分のなかで気持ちを整理して引退を決めた時は......磐田への練習参加をしたあと、所用で東京にいたんですけど、とにかく家族に会いたいと帰宅を急いだのを覚えています。その家族を幸せにするためにも、また新たなキャリアも自分らしく、進んでいきたいです」

約2時間にわたって、神戸のカフェで思いの丈を聞かせてくれた森岡は、取材を終えたあと、テーブルに置かれてあったメニューにすっと手を伸ばし、スイーツのページを開いて、にっこり微笑む。

「スイーツ、いこうかな。今はもう、何も気にせずにこれができるのが幸せ」

現役時代は体のことを第一に考えて、自身にさまざまな制限を設けてきたが、実は大の甘党なのだという。その言葉に、森岡の新たなキャリアが始まったことを実感した。

(おわり)

森岡亮太(もりおか・りょうた)

1991年4月12日生まれ。京都府出身。久御山高卒業後、ヴィッセル神戸に入団。1年目の2010シーズン、10月にプロデビューを果たす。チームがJ2に降格した2013シーズンから10番を背負う。以降、チームの司令塔として活躍。J1 に復帰した2014シーズンには初めて日本代表にも招集された。2016年にポーランドのシロンスク・ヴロツワフに完全移籍。その後、ベルギーのワースラント=ベフェレン、アンデルレヒト、シャルルロワSCでプレーし、2024シーズン途中に古巣のヴィッセルに復帰。2025年3月、現役引退を発表した。

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