【MLB】野茂英雄から大谷翔平までの道のり日本人3人がドジャース先発陣を占める意味

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【MLB】野茂英雄から大谷翔平までの道のり日本人3人がドジャース先発陣を占める意味

3月13日(木) 22:10

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2000年代前半、大黒柱としてドジャースを牽引した野茂と投手復帰を目指す大谷photo Getty Images

2000年代前半、大黒柱としてドジャースを牽引した野茂と投手復帰を目指す大谷photo Getty Images





前編:ドジャース先発陣に日本人3投手が占める意味

3月18日、ロサンゼルス・ドジャースの2025年シーズンが東京ドームで幕を開ける。昨季はギリギリの状態だった投手陣だが、経験を積んだ山本由伸の飛躍、オープン戦で脅威のスプリッターを見せた佐々木朗希の加入、大谷翔平の投手復帰と日本人3人がポストシーズンに向けてその屋台骨を支えることになる。

日本人投手がメジャーの名門チームで3人も先発に名を連ねるのは史上初のことだが、筆者は、野茂英雄と石井一久がドジャースの先発ローテーションの中心にいた2003年のドジャースを思い出す。

日本人の投手が当たり前のようにメジャーで活躍するなか、世界一のチームの中心になるまでの22年間、ドジャースの取り組みを振り返りながら、今シーズンへの期待を高めていきたい。

【野茂&石井が奮闘した2003年の記憶】今年のロサンゼルス・ドジャースは山本由伸、佐々木朗希、大谷翔平の3人がローテーションで投げる。2度目のヒジの手術から復帰する大谷については、復帰のタイミングが定かではないが、3人とも90マイル(150キロ)以上の直球を投げ、空振り率の高い変化球を武器にし、サイ・ヤング賞レベルの才能を備えていると高く評価されている。

日本人投手がメジャー球団のローテーションのうち3つの枠を占めるのは、史上初めてのこと。ワールドシリーズ連覇を目指すチームにとって、3人の活躍が鍵を握る。ドジャース投手陣は2019年から2022年まで4年連続でチーム防御率1位を誇ったが、過去2年は13位と低迷。3人の力で再びトップの座に返り咲いてもらいたい。

過去をさかのぼると、ドジャースがチーム防御率で30球団中1位だったのは21歳のクレイトン・カーショーと黒田博樹のいた2009年、そして2003年だ。

2003年は野茂英雄と石井一久がローテーションで投げた。野茂はその年の開幕投手も務め、先発試合数でもイニング数でもチームトップを誇り16勝13敗、防衛率3.09、2完封のエース級の働きを見せ、石井も27試合に先発し9勝7敗、防御率3.86だった。ふたり合わせて60試合に先発、365.1イニングを投げ、25勝20敗、317奪三振だった。

この年のドジャースはブルペンも強力だった。クローザーのエリック・ガニエがサイ・ヤング賞に輝いたシーズンで、セットアッパーのギラモ・モタ、ポール・クワントリルのコンビも圧倒的な内容。チーム防御率3.16はナ・リーグ2位のジャイアンツの3.73に0.57差と大差をつけた。にもかかわらずチーム成績は85勝77敗で、ポストシーズンに進めなかったのは打線が弱かったことが原因だった。チームOPS(出塁率+長打率)は.671で30球団中30位、124本塁打もリーグ最少だった。

現監督のデーブ・ロバーツはこの年のチームで一番・中堅手で出場。シーズンの打率は.250、出塁率.331、40盗塁だったが、チームの攻撃力を底上げするほどの存在ではなかった。

【2003年の投手陣を支えたのは日本での指導経験のあるコーチ】筆者は2003年のドジャースも取材していたが、ふたりの日本人先発投手が成功できた要因は、実力もさることながら、ジム・コルボーン投手コーチの存在が大きかったと考えている。現役時代は1973年にミルウォーキー・ブルワーズで20勝投手になり、1977年はカンザスシティ・ロイヤルズでノーヒットノーランを達成した。指導者に転じてからは、シカゴ・カブス傘下のマイナーで教えていたが、1990年~1993年に来日し、オリックス・ブルーウェーブ(現・バファローズ)でコーチを務めた。1997年~2000年はシアトル・マリナースの環太平洋スカウトを務め、佐々木主浩、イチロー獲得に大きな役割を果たしている。当時の米国で数少ない日本の野球文化を深く理解していた人物で、筆者自身も彼にとてもお世話になった。

2003年に、コルボーンはこう話していた。

「アメリカの文化は我慢や忍耐を教えない。しかし日本で指導した経験から、そうした大切なことを学ぶことができた。それは野茂や石井をコーチするだけでなく、ドジャースの投手陣全体を見る上でも役立っている。投手というのは個性が強く、独立心の強い人種。しかもMLBにはいろんな国から多様な性格や能力を持った選手が集まってくる。オリックス時代に、私は広い視野を持ち、寛容さを養うことができた」

彼はピンチで粘り強い野茂の投球を常に賞賛していた。

「1990年、近鉄でプロデビューしたばかりの野茂を初めて見た。ある試合で無死満塁のピンチを迎え、ルーキーだし自滅するだろうと思っていた。しかし確かに点は取られたが、最後は三振を奪って切り抜け、堂々とマウンドを降りていった。精神的にタフな投手だと強く印象に残った。彼は竹のような存在で、曲がることがあっても決して折れない。今季は打線の援護がなく、気の毒なシーズンだった。援護があれば25勝して今ごろ、サイヤング賞の有力候補になっていたはずだ」

【日本人3投手がローテに入るまでの長期戦略】あれから22年、今のドジャースは、3人の日本人選手を支える盤石の体制を整えている。チームには複数の日本人通訳、メディカルスタッフ、トレーナーがいて、フロントにも日本人がいる。アンドリュー・フリードマン編成本部長の信念は、「選手は適切な環境に身を置けば、最高のパフォーマンスを発揮できる」というもの。

ただ日本人スタッフを揃えるだけでなく、フリードマンをはじめとするアメリカ人スタッフも、日本文化や日本人選手の特性を深く学んでいる。そして今後、その取り組みはさらに強化される。フリードマンは、最近出演したポッドキャストでこう語っている。

「2023年、WBC日本代表の練習を視察するため宮崎を訪れた時、その光景に圧倒された。ただの初日練習なのに2万人のファンが集まっていた。日本の野球に対する情熱は計り知れない。もしこの国で本物のファン層を築くことができれば、それは球団にとって長期的な大きな財産になる。次の大谷、山本、佐々木、になり得る。

8歳、9歳、10歳の子どもたちがドジャースの帽子をかぶり、いつかドジャースの一員になりたいと思えるような環境を作りたい。日本でのブランドとファン層を拡大するためにできる限りのことをする」

単なる一時的な戦略ではなく、日本とドジャースの結びつきをさらに強める長期的な方針だ。

そもそも今の3人がドジャースのユニフォームを着ているのも偶然ではない。ドジャースは長年にわたりスカウトを頻繁に派遣し続け、人脈を築いてきた。よく知られているように高校3年時の大谷は日本ハム入りを決める前は、ドジャース入りを真剣に考えていた。佐々木に関しても、高校時代から20〜30試合を現地で視察するほど、継続的に追い続けていた。こうした長年の努力が実を結び、大谷と10年契約、山本と12年契約を結ぶに至った。佐々木に関してもメジャーのFA権取得までの6年間、その保有権を持つことになった。

野茂と石井がドジャースでともにプレーしたのは3年間だったが、今の3人は最短でも6年間は一緒にプレーすることになる。その間にどれほどの成果を残せるのか、期待は膨らむ。

ただひとつ、確実に言えるのは、野茂が2002年と2003年にフル稼働し、2年間で67試合に先発、438.2イニングを投げ、32勝19敗を記録したようなことは、もう起こらないということだ。MLBにおける投手の起用法が大きく変わったからである。

かつては、5人制ローテーションが一般的で、先発投手は年間30試合以上に登板し、200イニング超えを目指すのが理想とされていた。しかし今では、長いイニングを投げるよりも、短いイニングでも全力で投げ、相手打線を封じ込めることが求められる時代になった。球団側も「投手の故障は避けられない」という前提でチームづくりを進めるようになり、ドジャースも今オフ、かつてないほど分厚い投手陣を構築した。その結果、先発として計算できる投手が12人も揃っている。

この充実した投手陣のおかげで、大谷の復帰を急がせる必要もない。焦ることなく、じっくり調整し、最も重要な10月のポストシーズンに万全の状態で臨むことが大切なのだ。

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