新国立劇場 小川絵梨子芸術監督
3月6日(木) 10:00
2025年2月26日、新国立劇場にて2025/2026シーズン演劇ラインアップ説明会が行われ、同劇場の小川絵梨子演劇芸術監督が上演作品を紹介、上演への思いを述べた。
2018年9月に芸術監督に就任した小川にとって、これが二期8年間の任期の最終シーズンとなる。新国立劇場でたびたび再演を重ねてきた名作から海外招聘公演、小川が長く温めていたテーマを掲げたシリーズなど、引き続き充実のラインアップが実現。小川は一つひとつの作品について、丁寧に、たっぷりの思いを込めて語った。
■2025年10月(小劇場)
日韓国交正常化60周年記念公演[日韓合同公演]
『焼肉ドラゴン』
作・演出:鄭義信出演:千葉哲也、村川絵梨、智順、櫻井章喜、朴 勝哲、 崔 在哲、石原由宇、北野秀気、松永玲子イ・ヨンソク、コ・スヒ、パク・スヨン、キム・ムンシク ほか
2008年、新国立劇場と韓国の芸術の殿堂(ソウル・アーツ・センター)とのコラボレーション企画として実現した、鄭義信による書き下ろし作品。2011年、2016年の再演に続く四度目の上演となる。「日韓の俳優さんたちによる今回の2025年の上演は、これまでと同じくこの作品の魅力と、いまの時代ならではの新しい視点をもたらしてくれると思います。登場人物の1人は公募オーディションし、キャストはすでに決まっています。また、韓国の若手劇作家によるリーディング公演も行う予定です」と語る小川。彼女が「新国立劇場の財産」ともいう本作の、パワーアップ・ヴァージョンの公演となる。
■2025年11月(小劇場)
[海外招聘公演]『鼻血-The Nosebleed-』
作・演出:アヤ・オガワ
字幕翻訳:広田敦郎
出演:ドレイ・キャンベル、アシル・リー、クリス・マンリー、アヤ・オガワ、塚田さおり、カイリー・Y・ターナー
日本をルーツに持ち、米国・ブルックリンを拠点に活動する劇作家、演出家、パフォーマーのアヤ・オガワによる作品。2023年にオビー賞を受賞した。「ご自身の半生と歴史をもとに、異文化の中で、異文化とともに生きる喜びや難しさ、また家族の愛、そこでの葛藤が描かれています」と小川。彼女自身、とても胸を打たれた作品だというが、「後悔や傷み、それを乗り越えて彼女が得たものが描かれ、ある種私小説的ですが、非常に普遍的な物語。ぜひシェアしたいなと思いました」。
■2025年12月(中劇場)
『スリー・キングダムス Three Kingdoms』(日本初演)
作:サイモン・スティーヴンス
翻訳:小田島創志
演出:上村聡史
「現在、日本の演劇の世界でも大変な人気を誇るイギリスの劇作家サイモン・スティーヴンスによる日本初演の作品。演出は現在、新国立劇場演劇芸術参与である上村聡史さんです。サスペンスミステリーの体を取りながら、資本主義の裏にひそむ影、現在の闇を探求していく物語。サイモン・スティーヴンスらしいリアリズムの枠を超えた、詩情性あふれる作品となっています」(小川)。英国初演時の劇評は賛否が分かれたというが、過去に二度、スティーヴンス作品を手がけた上村がどのように描き出すのか、注目される。
ノゾエ征爾の新作、小川絵梨子が初めて演出を手がけるフルオーディション企画も以下3作品は、ひとつのテーマのもとで上演されるシリーズものとしての上演となるという。
■2026年4月(小劇場)
『ガールズ&ボーイズ』(日本初演)
作:デニス・ケリー
翻訳:小田島創志
演出:稲葉賀恵
「2020年に上演を予定していましたが、コロナ禍で中止、今回新たなチームに結集いただきます。2018年に英国ロイヤルコート劇場でキャリー・マリガン主演により初演された、比較的新しい作品で、女性の一人芝居です。ある女性の視点から、人生における愛と仕事、人生の喜びと、そこに突如現れた喪失が語られていく物語で、現代社会の歪みを、女性の視点から描きます。今回の日本初演ではその女性の役を、年代の異なるふたりの女性のWキャストで上演します。いまの女性のより広い視野を描くことができれば」。演出は、小川の芸術監督就任後の第1作となった『誤解』、ロイヤルコート劇場の劇作ワークショップから生まれた、須貝英の『私の一ヶ月』を演出した稲葉賀恵が担う。
■2026年5月(小劇場)
フルオーディションVol.8『エンドゲーム』
作:サミュエル・ベケット
翻訳:岡室美奈子
演出:小川絵梨子
小川の芸術監督就任当初から実施してきた、フルオーディション企画の第8弾。「ベケットの中でも、『ゴドーを持ちながら』と比較されることが多い作品ですが、『ゴドー』よりも、より荒廃して見える世界、人間同士の繋がりもより希薄に見え、鬱々とした空気が漂う、一見すると世界の終わりを描いているようにも見えます。しかし私は、実は私は“終わり”を描いているのではなく、“終わらないため”に私たちはどう生きるかを考えるための作品だと捉えています。私たちがより良い世界、より良い未来を考えることこそが希望のひとつなのである、ということを描ければと願っております」と語る小川。自身でフルオーディション企画の演出を手がけるのは初めてとのこと。「オーディションに参加することは実はとても大変なこと。興味をもって参加してくださる俳優さんの皆さんに期待するとともに、感謝申し上げたいと思います」。
■2026年6月(小劇場)
ノゾエ征爾 新作
作:ノゾエ征爾
演出:金澤菜乃英
「現在の我々の一人ひとりが日常で抱える痛みや苦しさ、そして人に言えない不安や弱み、それに寄り添ったような作品になっていくと思います。強くあること、間違えないこと、それを求められる現代社会で実は一人ひとりが一人ぼっちで抱えてきたある種の生き辛さを、ノゾエさんらしい温かな視点で描き出していきます」。演出を手がける青年座の金澤菜乃英は、新国立劇場初登場。「できる限り若手の、また女性の演出家につくっていただきたいと考えてまいりました。今回、金澤さんを演出にお迎えできることを、大変嬉しく思っております」。
以上2作品のシリーズのテーマは、「生きる意味を見出し続けること」というが、シリーズのタイトルは未定。「ノゾエさんの新作のタイトルが決まってからつけようと思っています」と小川はいう。それは、彼女が最後にやりたいとずっと温めていたというテーマであり、「分断化が進み、どんどん悪いほうへ、終わりのほうに向かっているのではないかという中で、個人が痛みを抱えながら、それでも未来に向かってどう考え続ければいいのかということをテーマにしています。痛みとか弱さを否定的に書くのではなく、それとともにどうあるか、よりよい未来に対して考え続けるということこそが、ひとつの我々の希望なのではないということを描きたい」と明かした。
■2026年7月(小劇場)
『11の物語-短編・中編(仮)』
演出:鵜山仁、大澤遊、小山ゆうな、須貝英、鈴木アツト、西沢栄治、宮田慶子、山田由梨、小川絵梨子ほか
「古今東西の中編、短編の戯曲を集めて、作品集として上演します。“11”というのは仮の数字で、上演作品の数に合わせて変わってゆく予定です」と小川。「日本でも世界でも、実はたくさん、たくさん短編、中編のいい作品がありますが、上演の機会はわりと少ない。それを、演劇が初めての方にも気軽に楽しんでいただける作品、またお子さん向けの作品と、楽しくいろんな作品に出会っていただきたいと、中編短編のフェスティバルを行うことにしました」。蓬莱竜太、岩井秀人の作品も登場予定とのこと。また特別編として、新国立劇場で16年以上にわたりシェイクスピアの歴史劇シリーズを手がけた鵜山仁と俳優のチームが、新しいシェイクスピア作品のリーディング公演を行うという。
このほか、トークセッションやワークショップなどを展開してきた「ギャラリープロジェクト」、プレビュー公演、聴覚障がいを持つ人を対象としたサポート公演、現場でのハラスメント講習、また公演映像のデジタル配信なども引き続き実施。もちろん、小川の強い希望で取り組みが始まったプロジェクト──上演を前提とせずに、時間をかけて稽古に取り組み、試演会を重ねる「こつこつプロジェクト」も、引き続き試演会を予定しているという。
「ここでしかできないこと」を考えた8年間8年の間にいくつもの新たな取り組みに挑戦した小川。「参加してくださったすべての作り手の皆さま、そして何より本劇場に興味を持ってくださった皆さま、作品を観てくださった皆さまに、心より、本当に御礼を申し上げたいと思います。8年間本当にありがとうございました」と述べ、感極まって声を詰まらせる場面も。質疑応答でも記者からの質問一つひとつに、きめ細やかに答える。
8年間の手応えを問われると、「できたこと、できなかったこと、反省したこと、嬉しかったこともたくさんあります。私の力不足、申し訳ないと思うこともたくさん。芸術監督になって1年目からコロナ禍が始まり、その影響は2、3年続きました。世界は戦争、震災も続いた。時代が変遷、激変していく中で、演劇に何ができるかな、その時代に沿った作品として何ができるかなと考え、その中で、精一杯やったと思っています」と振り返った。
その後会場を移して行われた小川を囲んでの記者懇談会では、より近い距離で、記者たちの様々な質問にこたえた。会場には、小川芸術監督時代の公演の全チラシが掲示されていたが、どの作品もすべて、小川にとって大切なものに違いない。が、「思い入れのある作品は?」と問われると、「そうですね、『誤解』(2018年10月)は、最初の最初でしたから──」と、愛おしそうにチラシに目を向ける。
「実は、私が芸術監督になってからチラシのあり方を変えさせていただき、デザインを重視したいと、表から俳優さんの名前を外すことに。お客さまが、パッとビジュアルを見たときに、何かワクワクする、手に取りたくなるものにしたくて、文字情報を制限したんです。新しい試みで四苦八苦しました。それから『願いがかなうぐつぐつカクテル』(2020年7月)は、コロナ禍の中で最初に上演できた作品。こどもも大人も楽しめるシリーズのひとつでしたが、すごく嬉しかったのは作品の中にマスクを組み込んでくださって、小山ゆうなさんの演出に、すごく敬意を抱きました。このシリーズでは、『モグラが三千あつまって』(2023年7月)も、セットの上にお子さんがいっぱい乗ってくださって、すごく嬉しかったな……」と、回想は止まらない。
その後の話題は、国立の劇場の芸術監督としての役割について、演劇の未来についてなど多岐にわたった。
「『ここでしかできないこととは何か』ということをすごく考えました。こつこつプロジェクトは、理解していただくのにものすごく時間がかかりましたが、いろんな人たちが関わる芸術は、一人の作り手のためのものでなく、全員での芸術。このように時間をかけていくことで、作品の強度を上げ、たくさんのお客さまに楽しんでいただける可能性に満ちた作品ができるのではないかと考え、始めました。このプロジェクトをやりたいがために、この職を引き受けさせていただいたというのが正直な気持ちです。他のものを否定するのではなく、オプションが増えることで、新国として、豊かになるためのお手伝いとして何ができるのかとずっと考えていました」
任期終了を見据えての話題が中心となったが、今シーズンの公演も、まだ4作品もの注目作が控えている。小川の芸術監督としての挑戦は、まだまだ終わらない。
取材・文:加藤智子