2025年のMotoGPは、タイ・ブリラムのチャーンインターナショナルサーキットからスタートした。
2007年以降、開幕戦は中東カタールで始まるのが通例だったが、今年と来年はタイGPからシーズンが始まる。もともとMotoGPの人気が高いお国柄で、今年は週末を通して計22万4634人が観戦に訪れた。
土曜午後に決勝の半分の距離で争うスプリント、そして日曜の決勝レースはともに、今年からドゥカティのファクトリーチームに移籍したマルク・マルケス(Ducati Lenovo Team)が優勝。また、両レースとも2位は弟のアレックス・マルケス(Gresini Racing MotoGP/Ducati)、3位はペコ・バニャイア(Ducati Lenovo Team)で、両日ともドゥカティ勢が表彰台を独占した。
小椋藍の走りに世界中のMotoGPファンが驚いたphoto by Trackhouse MotoGP Team
これらのリザルトは、多くのファンにとって想定内の結果だっただろう。ドゥカティ陣営はここ数年いつも圧倒的な強さを見せており、今回も他陣営を当たり前のように凌駕しただけのことなのだから。
だが、日本人選手の小椋藍(Trackhouse MotoGP Team/Aprilia)がスプリントで4位、そして決勝レースで5位に入った事実には、世界中の多くの人々が驚いたに違いない。
昨年のMoto2クラスチャンピオンで、アプリリアのサテライトチームからMotoGPへ昇格した小椋は、この1月に24歳になったばかりの最高峰ルーキーライダーだ。中小排気量時代は落ち着いた安定感のある走りに定評があったが、今年のステップアップに際しては、最初から大きな期待が集まっていたわけではない。
たとえば、2013年にMotoGPへ昇格したM・マルケスは、ずば抜けた才能で初戦から表彰台争いをするのが当然と思われていたし、昨年ステップアップしてきたペドロ・アコスタも、マルケス以来の超弩級ルーキー、と誰もが見なしていた。
【戦前予想はポイント圏内で上々】だが、小椋の場合は最高峰デビュー戦から上位争いをするに違いない逸材、という熱い視線が集まっていたわけではない。
小椋自身も、冷静な性格の持ち主だけに過大な目標設定はしていなかっただろうし、チームマネージャーのダビデ・ブリビオも「ルーキーなのだから、初年度は楽しみながらMotoGPの走り方について学んでほしい」と述べていた。小椋の活躍に注目する日本のファンであっても、まずは15位以内のポイント圏内に入れば上々、と思っていたのがおそらく正直なところだろう。
じっさいに、この開幕戦の約2週間前に同地で行なわれたプレシーズンテストでは、小椋は11番手タイムだった。トップタイムのM・マルケスからは0.781秒差で、ルーキーにしては上出来、というのがこの時の本人と周囲の見方だった。
小椋藍はバニャイアの走りを冷静に分析したphoto by Trackhouse MotoGP Team
しかし、開幕戦の週末が始まると、小椋はそれ以上のパフォーマンスを発揮した。
金曜午前の練習走行からいきなり6番手タイム。午後の公式プラクティスセッションでは9番手を記録して、土曜午前の予選で上位選手12名が争う組(Q2)へダイレクト進出を果たした。その予選Q2では5番手タイム。なんと、午後のスプリントと翌日の決勝本番へ向けて、2列目のグリッドを確保してしまったのだ。
現地時間午後3時にスタートしたスプリントでは、スタートを成功させてポジションを4番手に上げると、最後までその位置をキープしてゴールした。スプリントの最初から最後まで、2022年・2023年のMotoGPチャンピオンであるバニャイアの背後で走行し続けことでスムーズなライディングを学べた、と小椋はレース後に述べた。
「彼の走りをできる限りコピーしようとして走りました。ずっとペコの後ろで走り続けたことはすごく勉強になりました。スプリントでは誰もがもっとアグレッシブに攻めるものだと思っていたけれども、皆、とてもスムーズに走っていました。自分のスタイルもそうなので、いいと思います」
【ドゥカティ以外のライダーで最上位】最初のスプリントで表彰台を射程圏内に収める4位でゴールしたことには、メディア関係者のみならず多くの人々を驚かせた。だが、翌日の決勝では、この倍の周回数を走行する。気温36度・路面50度という環境条件では、フルレースディスタンスを土曜のような高いレベルで最後まで走りきるのは厳しいかもしれない、という予測するのが普通だろう。
だが、そのような予想を覆して、日曜の決勝でも終始一貫して安定したペースで走りきり、5位でチェッカーフラッグを受けた。Moto3やMoto2時代に定評のあった高水準の安定感は最高峰の決勝レースでも存分に発揮され、沈着冷静な戦況の読みもさることながら、灼熱の環境でも優れたタイヤマネジメント能力を発揮していることを感じさせた。
小椋藍の走りをマルコ・ベッツェッキも賞賛photo by Trackhouse MotoGP Team
「タイヤの摩耗はレース前に予想していたとおり、とくに最後の6〜7周が厳しかったです。びっくりしたというわけではないので、マネージできる範囲内でした」
「昨日のスプリントでペコからたくさん学んだので、それを今日の決勝レースでも活かして、最後までいいペースで走りきることができました」
MotoGPクラスに昇格したルーキーライダーが初戦で上位フィニッシュを飾るのは、2013年にM・マルケスが6番グリッドからスタートして3位に入った時以来である。日本人選手の最高峰デビュー戦としては、中野真矢の5位(2001年開幕戦・鈴鹿)以来の好成績だ。
さらに注目したいのは、土日のレースともドゥカティ以外のライダーで最上位の成績となっている点だ。アプリリアファクトリーチームのライダーで、何度も優勝や表彰台を経験しているマルコ・ベッツェッキの言葉を紹介しておこう。
「自分と乗り方が極めて似ている。非常に正確で、すばらしい。日本人ライダーの例に違わず、しっかりと計画を立てて臨み、すごくいい仕事をする。藍のデータを見て、彼よりもうまく走れるように、自分に足りないところは取り入れていきたい。
藍もまた、僕や彼のチームメイトのラウル(・フェルナンデス)のデータを見て参考にしている。そうやって(謙虚に)取り組むことは、自分にできることをハッキリさせていくうえで非常に役に立つ」
【21年ぶりの日本人ライダー優勝へ】日本人選手の最高峰クラス優勝は、2004年日本GPの玉田誠からすでに21年が経過した。表彰台登壇も、2012年最終戦バレンシアGPの中須賀克行(2位)以来、絶えてない。
今年はそれらの不名誉な記録についに終止符が打たれることに、果たしてなるのかどうか。少なくとも、その期待を持ってレースを楽しむことができるシーズンになることは間違いなさそうだ。
第2戦アルゼンチンGPは、3月16日(日本時間17日未明)に決勝レースが行なわれる。
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