『時計の社会史』(吉川弘文館)著者:角山 榮
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山崎
時間というものは、空間とともに、人間の生きる場所であり、行動の枠組にもなるもので、人間の意識の下で文化を決定している非常に重要な要素です。したがって時間を計る時計について考えることは、一つの社会を浮き彫りにすることになるわけですが、角山さんのこの本は、その時計を仲立ちにして、西欧と日本の社会を比較対照した大層興味深いものです。
着想が鋭くユニークでして、まず、十七世紀にまとめられたという「シンデレラ物語」を取り上げてあります。ご存じのようにシンデレラは真夜中の十二時になると幸福の魔法がとけてしまう。それで十一時四十五分にあわてて城を抜け出した、ということになっているのですが、しかしその四十五分という細かい時刻がどうして分ったのか、という疑問が出てきます。
次に日本でも、やはり十七世紀に、芭蕉が「奥の細道」を旅しているのですが、随行した曾良の日記には「辰ノ上尅(じょうこく)、雨止」とか「辰中尅、晴」といった、細々した時間の記述が出てきます。一日の生活を時間の節々で捉える感覚が発達しているわけです。そういうところに着目して、角山さんは、西欧と日本では共通してほぼ十七世紀ごろから、生活の中に時間の意識が確立し、庶民のレベルまで普及していたのではないか、と指摘します。
具体的に時計の歴史もいろいろ書いてあるのですが、西洋ではかつては日時計であり、砂時計だったのが、テンプと脱進装置(エスケープメント)が発明されたことにより機械時計が生まれました。
以前、この「鼎談書評」でもとりあげたことがありますが(昭和五十三年十一月号
『砂時計の書』
)、機械時計の誕生の場所は実は修道院なんですね。修道院では正確な祈りの時間を知る必要があったためです。これがだいたい十四世紀で、その時の時計にはすでにベルがついていたといいます。
それが十五、六世紀になると、公共の時計、教会の外の、いわば世俗の時計が普及するようになります。ちょうど都市の成立と並行していまして、今でもヨーロッパの町へ行くと、市役所の塔の上に時計がついているのを見ますけれども、ああいうふうに、公共の場所に時計が現れ、庶民に時間を教えるということになるわけです。「教会の時間」に対して、いわば「商人の時間」が生まれました。
商人の時間というのは、取引きを約束通り正確に行い、かつ、その取引きの中で生まれる利益、特に金融の利子を時間で計るということで、商人にとって時間は、きわめて重要なものになるわけです。
さらに、今度は産業資本に結びつくとき、時間は「労働の時間」にかわります。かつて人間の生産は出来高で評価されていたのが、労働時間で評価されるようになりまして、一五六三年、エリザベス一世のとき作られた「徒弟法」ではすでに、労働者の賃金は時間で払われています。資本主義の成立は、労働時間意識の成立と裏腹だったわけです。そこに「時は金なり(タイム・イズ・マネー)」という考え方が生まれます。
一方、西洋生まれの機械時計は宣教師たちによって中国や日本に持ち込まれましたが、それぞれ受け入れ方が違いました。中国では日本よりももっと豪華な機械時計が輸入され、また生産されたものの、結局、支配階級の愉しみのための玩具、単なる装飾品に終りました。機械時計の出現により、西洋では不定時法(昼と夜、季節と場所により時間単位がちがう時刻制度)から定時法(単位時間がいつも同じ)へと大転回したのですが、中国ではそのような時間システムの変更は起りませんでした。
中国に対し、日本の対応は独創的でした。もともとわが国では生活の中で時間をはっきり意識するという習慣が根づいていて、たとえば、旅するとき携行用紙時計――旅行案内の片隅に紙捻(こより)を立てると日時計になる――といった奇想天外な発明品を持ち歩いていたり、あるいは「鐘は上野か浅草か」という句に見られるように、お寺の鐘が生活に定着していたわけです。曾根崎心中の道行には「七つの時が六つ鳴りて……」と出てきますし、和歌山の新宮(しんぐう)の遊女の花代は、お寺の鐘できまったそうです。(笑)鐘の音で時を知るという習慣は、やがてお寺から独立して、市民の時鐘にまで発展していきます。
ちなみに、角山さんは〈戦国の動乱期に、武士や農民の組織的・軍事的行動を支えるものとして、鐘が重要性を帯びるようになり、その時代に日本人の時間訓練が培われたのではないか〉と推測されています。私は軍事的行動によってというより、むしろ兵農分離によって武士が農村から都市へ移った、そのとき、日の出、日没に準拠した生活とは違う、自覚的な時間意識が生まれたのではないか、と勝手な感想をもちました。それはともかく、時間に関心をもつ、そういう社会的基盤が広くあったため、機械時計が西洋から入ってきたときも、日本人は好奇心に溢れ、さっそく自らの手で模倣して作ろうとします。のみならず、改良に改良を重ねて、機械時計を伝統的な不定時に合うものにしてしまう、といったまるで軽業のようなことをやってのけます。
丸谷
あの話、いかにも日本的なやり方で面白いですねえ。
山崎
ええ。テンプを二つにし、その錘(おもり)の位置を動かすことで、昼と夜の単位時間の長さをかえたらしいですね。
木村
二挺天秤(てんびん)になっておりまして、暮六ツになると上の昼用天秤がとまり、自動的に下の夜用天秤が動き出す。明六ツになると下がとまって上が動き出すんです。
丸谷
ほう。すごい発明なんですね。
山崎
まったくです。そういう江戸時代の時計師の高度な技術が、実は近代産業の基盤に直結しているんだ、というのが角山さんの意見ですが、これまた鋭い指摘ですね。たとえば「からくり儀右衛門」として名高い田中久重は、明治に入ると銀座で「田中製作所」を開く。これが現在の東芝の元になっているといった具合です。
まだまだ言いたいことがありますが、一応このへんで……。
丸谷
歴史の本ですから、木村さん、どうぞ専門家からお先に……。(笑)
木村
では、ご免こうむって……。(笑)
時計そのものの歴史を書いた本は、これまでにもなかったわけではありませんが、この本は時計を中心に日本と西欧の社会史を抉(えぐ)り出そうとしている点で、類書がないと思います。丹念に調べ、過不足なくまとめてあって、教えられるところが多い本ですね。特に日本人の時間意識については、いろいろ驚かされました。たとえば、十七世紀半ばには、時鐘が江戸のみならず、全国津々浦々に行きわたっていたとは、ちょっと想像もつかないことでした。そして都市のみならず、農民も時間を大変に意識していたことを示す史料をあげて、そういう例はヨーロッパ史にもなく、〈日本人は時間にルーズであるどころか、世界でも珍しいくらい早くから時間に関心をもっていた〉と角山さんは主張されるわけです。
それに、いまも話が出ましたように、今日の日本の産業技術は、決して戦後、あるいは明治以降に急に発達したわけではなく、もともと江戸時代の櫓(やぐら)時計(二挺式テンプの和時計)に見られるような、キメ細かい技術と美意識が土台にあったのだという指摘も、その通りだと思います。
そういった意味で、これまでの日本文化論の盲点を衝いた本として、私は高く評価したいと思います。
丸谷
この本の特色は二つあるんですね。一つは、時計の本となると、とかく単なる物知り、単なる好事家が書いた、いろいろ面白い話はいっぱいあるけれど、全体として何を言っているのかよく分らない本、ということになりがちなのに、この本は問題意識がはっきりしている。つまり、時計の文化史とは実は時間意識の文化史であるというところをきちんと押えている。そこが読んでいて、頭の中がきれいに整理されるという感じになる。それが第一の特色です。
第二の特色は、そのことともちろん関係があるんですけれど、語り口が非常にうまい。シンデレラと松尾芭蕉という、片方は西洋の女であり、片方は日本の男、片方は作中人物であり、片方は実在の文学者という好対照の二人、しかもほぼ同時代の人間を拉しきたって、それで時計の文化史をきれいに始める。何だか経済史家にしておくには惜しいくらい話術が上手ですね。(笑)
山崎 同感。(笑)
丸谷
趣向がある。つまり面白い話をする。しかし、それが単に面白い話ではなくて、論理的な究明の段取りをつけるための道具として面白い話が使われている、大変な才能だと思いました。
ただし……。(笑)
山崎
でましたか。いやどうぞ。(笑)
丸谷
どうも面白い話をしようとする余りなんでしょうか、あるいは私のような程度の読者を想定するためでしょうか、何だかむやみにセックスの話が出てくる……。
山崎
アッハハハ、そうですね、ロンドンの娼婦の数とか。
丸谷
ええ。十九世紀末のロンドンでは娼婦一人当り男性十一人の割合になる。パリはロンドン以上にひどくて男性五人に娼婦一人というすさまじさ、ウィーンは一八二〇年代、男性七人に娼婦一人の割合であった、(笑)とえらく熱心なんですね。このへんは時間論とは関係ないんじゃないかしら。(笑)
木村
角山さんは十八、九世紀イギリスの経済史・社会史がご専門なんで、つい書き込んでしまったのかもしれませんね。
丸谷
あ、そうですか。ぼくはまた、調べているうちに、たまたま専門外の面白い話に出会うとつい熱中して、捨てにくくなったのかな、と思いました。舟橋(聖一)さんの小説を読んでますと、女の和服のところは一筆書きでパッと綺麗に書いてある。女の和服なら、舟橋さんはお手のものだから。ところが洋服のこととなると、調べたことが全部書いてあって、ゴタゴタしてるんですよ。
山崎
冗談をもっと弁護しますと、娼婦と時間とは本質的な関係があるんです。この職業だけは、昔から出来高払いで払うわけにはいかない。(笑)時間以外に物差しはなかったんです。ですから、この本には日本の娼婦たちの話も出てきて〈前近代的な彼女たちの労働が厳格な時間管理のもとにおかれていた〉ことを皮肉だと、角山さんはおっしゃっているけれど、皮肉ではないんで、もうそれしかしようのないのが、この職業なんですよ。
丸谷
それはよく分ります。私が以前書いた長篇小説の中で、美術史家が即興で時間について長い長い演説をする件(くだり)があるんです。その中で、西洋においては市民社会の象徴である時計塔が、日本では吉原に作られたという話をさせました。
木村
昔の花柳界と貸し自転車屋がそうですね。花代をお線香代というでしょう。どれだけの時間、客がいつづけたかをお線香で計った。貨し自転車屋も同じで、明治の初めは客が、どのくらいの時間乗ったか、お線香で計っていました。座禅の時間などもそうですね。
山崎
へえ。歴史学者はいろんなことをご存じですね。(笑)
木村
で、この本の大きな意味を認めた上で多少私なりの疑問を提出させていただきますと、著者は日本の近世においてすでに、〈時間・秩序と組織に関する限り、一種の市民社会が成立していた〉と書いておられます。でも本当にそこまでいえるのだろうか……。この本で私たちがはじめて近代以前の日本の時間について具体的に知るということは、これまでこの大事な問題について、日本人が関心を持ってこなかったということではないでしょうか。時鐘が全国でどのくらい残っているか、調査できなかったと角山さんも告白しておられますが、つまりそういう研究をしている学者がいないんですね。たとえば明治以前の日本では、誰もが知っているように昼夜をそれぞれ六等分して、午前、午後の十二時に当る九ツから始まって、ほぼ二時間置きに八ツ、七ツ、六ツ、五ツときて、午前、午後の十時ころの四ツで終ります。しかし、なぜ九ツから四ツまでなのか、なぜ時の進行とともに一つずつ数が減っていくのか――そういう基本的な問いに答えてくれる学者がいません。
丸谷
ぼくもあれ、昔から不思議だった。
木村
大槻文彦博士の「大言海」を見ますと、面白いことが書いてあります。江戸城などでは太鼓を打って時を知らせた。これを撃鼓といいますが、その打ち方は、易の陽数である九を基本単位にした。つまり正午・真夜中の第一時は9、約二時間後の第二時は9×2=18、以下9×3=27、9×4=36、9×5=45、9×6=54。しかし五十四回も打ったのでは、打つ方も聞く方も分らない。それで十の位を省くと、九ツ、八ツ……四ツとなる。
丸谷
なるほど。ぼくも「大言海」をひけばよかった。(笑)
木村
十の位を省く習慣は、江戸時代すでにあり、六十六カ所の霊場を回る六十六部を単に六部といった。いまでも「おいくつで?」「四になりました」なんて言い方をしますね。
しかしこれも一つの説で、日本の時間、時刻についてはそういう肝腎なことが知られていません。これはかつての日本人がやはり時間についてヨーロッパ人ほどは関心をもっていなかったせいではないか。少なくとも近世ヨーロッパと同じような時間意識は、もっていなかったのではないでしょうか。角山さんも〈日本の時間はヨーロッパのようにブルジョワの時間として発展せず、「上からの」共同体的時間にとどまった〉〈共同体から自由な時間の個人所有への発展は遅れた〉と大変いい指摘をされていますが、彼我のこの違いは、やはり大きいと思うんですね。
山崎
時間の文化については分らないことが沢山ある。しかし、それが分らないということを、もう一つはっきり書いてないうらみが、この本には確かにありますね。
たとえば、いまの共同体的時間について、この本からは逆の答えも出せる。日本人は旅好きな国民だと著者は言ってますね。ところが旅というのは、まさに村的共同体から離れていく行為なんです。その旅の中で、雨の降った時を単なる「朝方」ではなく、「辰ノ上尅」というふうに記す。これはまさに個人的時間への関心の強さを示すものでしょう。
木村
ヨーロッパでは占星術との関係から生まれた時刻を記しましたが、日本でも、江戸初期の豪農の史料を見ると、誰それは「卯(う)之刻」に生まれたと、ちゃんと時刻まで書いてあるそうですね。でもそれは本当に時計を見て確かめたというより、日本人の几帳面さから太陽の傾き具合などによって、自分なりに一日を十二等分し、時刻を設定したということではないでしょうか。
丸谷
それは私も思いました。「卯尅、地震ス」と曾良が書く。どんな計時器や時報によって曾良はその時刻を知ったのか、と角山さんは問う。しかし案外、大体まあ卯尅だろうという見当で書いたのかもしれない。
山崎
面白い問題なので、あえてこだわりますが、それにしてもですよ、日記ならたとえば雨が日暮時に降った、と書いてもかまわない。あるいは、時間についてこと細かに書かなくたってかまわない。なのに卯尅、辰尅とわざわざ書こうとする。つまりこれは時間についてのデジタルな表示なんですね。それが実際の時計を反映していようがいまいが、時間をデジタルで意識しようとしていることが重要なんです。これはなぜなのか、もっと考えてみたい問題ですね。
私の単なる憶測なんですが、日本には二種類の時間があったんではなかろうか、という気がするんです。農村的な、日の出に始まって日没に終る共同体的時間と、それとは別の都市的時間と。その都市的時間を持って歩くのが、芭蕉のような人ではなかったのか。
丸谷
ヨーロッパから入った機械時計を日本の時刻制度にあわせるよう改良したという話がありましたね。そうしてみると、ヨーロッパ的時間と、日本的時間、この二つの時間があるんだということを日本人は早くから発見したんだと思うんです。ヨーロッパ的な客観的時間と、日本的・主観的時間と、その二つで生きるって性格が、現在の日本人にもかなりあるような気がする。
山崎
それは面白い指摘ですね。
木村
時間の約束をきちんと守るのはヨーロッパでは偉い人で、庶民は守らない。角山さんの本にも、途中で乗客を放ったらかして祭りに行ってしまった、メキシコの汽車の機関士の話がでてきます。日本では約束を守るのは庶民で、偉い人は守らない。(笑)
時間意識が違うんですね。むこうは個人主義の社会で、一人一人が自分の時間をもっています。自分も相手もそれぞれ独自の時間をもっており、この二つをあわせるためにアポイントメントが重視される。それを守らないことは、相手を損なう、相手を無視することで、社会的に許されない。
日本人は共同体的時間の中に生きていますから、下っ端であればあるほど、約束の会合の時間をピシッと守る。「やァやァ」なんていって遅れてくる人は、その共同体的時間を無視できるほど偉い人のわけです。
山崎
日本全国に“何々時間”といって、その土地の名を冠した時間があるようです。たいてい集まりに遅れることらしいんですけど。(笑)これは日本人がみんな二つの時間を生きているってことなんですね。その“何々時間”の外に、もう一つ標準語の時間というのがあるわけね。
丸谷
そうそう。標準語と方言の関係なんですよ。
木村
日本ではテレビなどは一分一秒も違わずきちんと放送するでしょう。共同体的時間のなかに生きていることを感じるからですね。ところがヨーロッパのテレビはすごく時間にルーズですね。あれは自分が放送しているんだという気があるからでしょうね。
山崎
まあ、日本論も面白いんですけれど、時計を媒介にして、宗教改革から産業革命がいかにして生まれたかという説明なども、私には面白かったですね。フランスのブロアは時計製造の一大中心地だった。ところが当時最高の知能集団である時計工たちは宗教改革運動に走り、旧教徒に迫害されて、イギリスに大挙して逃げていく。亡命先のイギリスでは時計産業が発達するのみならず、その時計工が紡績機械を発明したり、るつぼ鋳鋼法といって、鋼をるつぼで熔(と)かして作るという画期的方法を発明する。これが産業革命に通ずるというわけですね。
もう一つ、興味深かったのは、消費社会がわりと早く来てることですね。十八世紀の終りにはもう、イギリス人はインドのお茶を飲み、絹の織物を尊び、時計を集めては喜んでいる。そこへ田舎者というか、旧世界からハイドンがやってきて、こんな忙しい社会はかなわないという。(笑)その反面、大変な収入をえる。それまで、三十年間働いた成果として二百ポンドしか持っていなかったのに、イギリスでは三年間に二千四百ポンドも稼ぐ。そしてハイドンは「時計」という曲を作曲する。
木村
ハイドンの「時計」には〈イギリス市民社会への賛歌と侮蔑のユーモラスな気持がこめられている〉と角山さんは書かれています。もう一つは、ハイドンがイギリスにきてみたらあちらこちらに時計があって、それがガッチャン、ガッチャンと、じつに大きな音を立てていたという事情があるでしょうね。これが、「時計」を作曲した一番の理由ではないか。(笑)
丸谷
耳のいい男は、うるさいと思った。
木村
そう。当時の機械時計はすごくうるさかった。だから、一方で砂時計がいつまでたってもすたれなかったんですね。
山崎
歴史家にとっては、常識なのかもしまれせんが、この本を読んでいて、啓発されることがずいぶんありました。
木村
いや、その通りで、時計とか時間意識について具体的なイメージと発想をさまざまに引き出してくれる、じつにいい本ですね。それだけに一生懸命言いたくなるのですが、もう一箇所、首をひねった記述があります。〈日本の尺時計は不定時法をベースにしていたから世界に拡がらなかった〉とありますね。尺時計というのは、柱にかけるようにした、それ自体柱の上下を切ったような短冊型の和時計です。私が見たものは針は上から下へ機械的に降りてくるのですが、九ツ、八ツ……を表示する目盛りの一つ一つがソロバン玉のように独立していまして、自由自在に動かせる。つまりたとえば九ツと八ツの間隔を短くも長くも調節できるところがミソなんです。ですから、不定時法のところだけではなく、定時法のところでも使える性能を持っていた。日本のオリジナル時計だったんですね。
山崎
それにしても時間というのは面白いものですね。一日を二十四に割るというのは、極めて恣意的なことなのに、しかし一旦そうきめると、そういう刻みで人間が呼吸するようになり始めるんですから。
丸谷
時間のパーソナル化ってことを著者は言っていますね。それは人間が腕時計をもつようになってからだと思うんです。つまり人間がこれほど体に密着させている機械はほかにないわけですね。
時計が市民社会的時間を人間に告げ知らせるものだとすれば、腕時計は、市民社会の先兵として人間を支配するために派遣されたものなわけですね。その支配が最近ひどくなってきて、目覚しが付いたり日付けや曜日が入ったり、いろいろ凄くなってきたでしょう。そのせいで時計に対する嫌悪感、恐怖感というものが、人類一般に次第に盛んになっていると思うんですね。(笑)そういう反時計の文化史って見地もあり得るんじゃないかなあ、と思ったんです。
木村
丸谷さんみたいな人はそう。
丸谷
ハハハハ。
木村
一方では定時になると、デジタル時計をピッと鳴らして喜んでいる人もいる。(笑)最近講演などをしていますと、聴衆がピッと自分の時計を鳴らして、「早く話やめろ」、(爆笑)両方の人がいますね。
丸谷
そうそう。それほど強力な存在なんですね。だから時計に対する嫌悪感は、貨幣に対する嫌悪感と並んで、東西の横綱ですね。
山崎
それをちゃんと予言した人がいますよ。「タイム・イズ・マネー」。(笑)
木村
時間的管理社会への抵抗として、この本にも「聖月曜日(セイント・マンデイ)」の話が出てきますでしょう。月曜日には労働者が遅刻したり、欠勤したりすることが多いって。実はこれ、中世からの伝統なんです。「神の休戦」といいますが、貴族同士の戦争を、教会が金曜、あるいは土曜から月曜まではやめさせようとした。月曜はまさに聖なる月曜日なんですね。
いまでも金、月曜に造ったアメリカの製品は、原子力潜水艦の部品までオシャカが多いといいますね。
山崎
自動車もそうだという話を聞きますね。要するにその日はアルバイトが造っているから。(笑)
丸谷
日本の自動車がいいのは、そういう信仰がないからでしょう。(笑)
木村
日本人はまさに時計みたいに休まず働いている……。(笑)
『時計の社会史』(吉川弘文館)著者:角山 榮
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【新書版】
『時計の社会史』(中央公論新社)著者:角山 榮
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【この対談・鼎談が収録されている書籍】
『三人で本を読む―鼎談書評』(文藝春秋)著者:丸谷才一,木村尚三郎,山崎正和
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【書き手】
山崎 正和
1934(昭和9)年京都府生まれ。劇作家、評論家。中央教育審議会会長。文化功労者。京都大学文学部哲学科卒業、同大学院博士課程修了。関西大学教授、大阪大学教授、東亜大学学長等を歴任。著書に『世阿弥』『鴎外 闘う家長』『社交する人間』『装飾とデザイン』等。
【初出メディア】
文藝春秋 1984年11月1日