連載:アナログ時代のクルマたち|Vol.48ロータス19モンテカルロ

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連載:アナログ時代のクルマたち|Vol.48ロータス19モンテカルロ

3月21日(金) 9:11

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1950年代から60年代にかけて、戦争の影響からようやく脱却したヨーロッパでは、多くのバックヤードビルダー達が、車作りに励み始めていた。その中でも早くから車作りを始めていたのは、クーパーである。父親のチャールスと共にクーパー・カー・カンパニーを立ち上げたジョン・クーパーは、すぐにオートバイ用のJAPエンジンを搭載したシングルシーターのクーパー500を製作。多くの勝利をものにすると、F2にステップアップ、さらにはF1へと駒を進める。

【画像】大きな成功をロータスにもたらした、ロータス19(写真5点)

クーパーを一躍有名にしたのは、1948年に同社に入ったオーウェン・マドックの功績が大きい。カーヴドチューブデザインのフレームに始まり、カム理論を取り入れたボブテールのボディデザインなどは、マドックのアイデアだった。しかし、決定的にクーパーを有名にしたのは、エンジンを車体後部に搭載したミドエンジン・フォーミュラの制作である。1957年登場し、58年には早くも勝利を獲得、そして59年にはワールドチャンピオンにまで上り詰めるのである。

その成功を横目で見ていたのが、ロータスの創業者、コリン・チャップマンである。彼はクーパーの成功を見て、自らのマシンへそれらのアイデアを導入して成功したエンジニアともいえる。ロータスが初めてミドエンジンのフォーミュラカーを製作したのは、1960年のこと。この年クーパーは名手ジャック・ブラバムのドライブで、1959年に続き2年連続でクーパーにチャンピオンの座をもたらしたのである。

この時代、エンジンと言えばもっとも強力だったのは、コヴェントリークライマックスの4気筒エンジン。F1に使われていたそのエンジンは、これをそのままスポーツカーにも転用して大きな成果を上げていた。クーパーは1959年にボブテールのスポーツカー、クーパーT49(モナコ)を製作。この車は大成功で、勝利数は実に89レースにも及んだ。勿論ミドシップされたのは1000cc~2000ccのコヴェントリークライマックスエンジンであった。そしてシャシーはフォーミュラ用のチューブラースペースフレームベースである。

一年遅れて1960年に、コリン・チャップマンは見た目にもクーパー・モナコと瓜二つのロータス19を作り上げる。この車はフォーミュラのロータス18用シャシーをベースに、ミドシップされたエンジンは、コヴェントリークライマックスのFPFと呼ばれたエンジンである。余談だがコヴェントリークライマックスは、元々フォークリフトやトラック、消防用ポンプなどのエンジンを製作、その後自動車に進出したものの、戦後は再び消防ポンプのエンジンを作っていた。しかし、そのエンジン(設計したのはBRMのV16等を設計したハリー・マンディである)のパフォーマンスが高かったことから、これをレース用に転用したのが、コヴェントリークライマックスレース用エンジンのスタートであった。

ロータス19がモンテカルロと呼ばれるのは、1960年のモナコグランプリで、ロータス18に乗ったスターリング・モスが優勝したことに因むのだが、すでにモナコの名はクーパーが使っていたので、モンテカルロとされた。因みにこの優勝はロータスにとってF1初勝利であった。

クーパー・モナコ同様、ロータス19は大きな成功をロータスにもたらし、全部で17台の19が製作されたという。プロトタイプが完成したのは1960年の夏。それから1962年まで2年間製作されている。17台のうち12台は、コヴェントリークライマックスを搭載してヨーロッパのサーキットで活躍したが、残りの5台はアメリカに送られて、アメリカンV8エンジンが搭載された。

シャシーナンバーは950から始まり966で終わっている。そして最後の966は、フォードの289ブロックを搭載することを前提に製作されたため、ロータス19Bと呼ばれ、サスペンションなどが他のモデルとは異なっている。

ロッソビアンコ博物館にあったモデルは、アメリカ人ドライバーであるロッド・カーヴェスが1963年に購入したもので、シャシーナンバーは962。エンジンレスの状態で購入後、ビュイックのスモールブロック3.5リッターV8を搭載して、アメリカのSCCAのレースに参戦していた。当時は黒に塗られ、「ティームブルータス」の名でレースのエントリーしていた。その後アメリカの数名のオーナーの元を渡り歩いたのちに、イギリスからロッソビアンコのピーター・カウスの元にやってきた。果たしてピーター・カウスがオリジナルに戻したのかは定かではないが、シャシーナンバー962は完全にオリジナルのボディ形状に戻され、コヴェントリークライマックスFPFエンジンが搭載された状態で博物館に展示されていた。カラーリングもロータスのBRGに、イエローのウォブリー‐ウェブホイールを装着していた。最後に購入したオラフ・グラシウスが、ロッド・カーヴェスがアメリカで「ティームブルータス」としてレースをしていた時代のカラーリングに戻し、エンジンはビュイックに、トランスミッションはヒューランドに載せ替えて現在に至っている。

ロータス19はその多くが改造されたか、あるいはクラッシュして消滅しているものが多く、オリジナルの状態で残っていたモデルは極めて稀少だという。


文:中村孝仁写真:T. Etoh
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