東日本大震災から14年。漫画家・小田原ドラゴンの「3.11被災地車中泊の旅」

「奇跡の一本松」とそれを守ったホテルの遺構を見物する観光客。周囲は更地も多かった

東日本大震災から14年。漫画家・小田原ドラゴンの「3.11被災地車中泊の旅」

3月14日(金) 21:30

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東日本大震災から14年。阪神・淡路大震災で被災した経験を持つ漫画家・小田原ドラゴンが岩手県、宮城県、福島県を巡る

東日本大震災から14年。阪神・淡路大震災で被災した経験を持つ漫画家・小田原ドラゴンが岩手県、宮城県、福島県を巡る


2023年に車中泊の旅で日本一周を達成した漫画家の小田原ドラゴン。今回は東日本大震災の気になる被災地をクルマで回った。現地を歩き、話をして、写真を撮った。

この道約30年のベテラン漫画家は、現地に赴き、いったい何を見てきたのか?そして何を得たのか?

■東日本大震災時はヤンマガ連載中 24歳の僕は兵庫県明石市の実家に暮らすフリーター。1995年1月17日、午前5時46分。阪神・淡路大震災発生時、僕は本気でこう思いました。

「地球がまっぷたつに割れた......世紀末は本当だった!」

今年で阪神・淡路大震災発生から30年がたちましたが、そのときの記憶は今でも鮮明に残っています。ちなみに弟は爆睡していました......。

僕の実家は難を逃れましたが、災害の爪痕はこの目で見ました。当時、僕は引っ越し屋さんのアルバイトをしていたからです。半壊家屋から荷物を運び出す仕事で、倒壊したらどうしようかとヒヤヒヤしながら働いていました。

40歳になった僕は、ヤンマガ(『週刊ヤングマガジン』講談社)で漫画『ワイルドチェリーナイツ』を連載していました。2011年3月11日、午後2時46分。三陸沖が震源のマグニチュード9.0、最大震度7の巨大地震が発生しました。東日本大震災です。

確か僕は漫画の執筆中だったと思います。この地震により岩手県、宮城県、福島県などの太平洋沿岸に大津波が押し寄せました。警察庁によると、死者は1万5900人、行方不明者は2520人。未曽有の大災害です。

阪神・淡路大震災と異なるのは、東京電力福島第一原子力発電所の事故です。巨大地震と大津波に襲われた東京電力福島第一原発はなす術もなく、レベル7という史上最悪レベルの事故を起こしました。いまだに故郷に戻れない人が数多くいます。

東日本大震災から10年となる21年、そして昨年と僕は福島県に足を運んでいます。いまだに避難指示が解除されていない地域をこの目で見るためです。

今年1月30日、自分のXから《修学旅行でディズニーランドもいいけどこういう所も見せたほうがいいんじゃないかと僕は思いますね(原文ママ)》とポストしました。僕の偽らざる気持ちです。

今年1月30日に小田原ドラゴン先生が公式Xからポスト。翌々日にはネットニュースに

今年1月30日に小田原ドラゴン先生が公式Xからポスト。翌々日にはネットニュースに

すると、すぐにネットニュースになりましたが、その一方で僕はもっとじっくり被災地を見たい気持ちが増していることに気づきました。自分は本当に東日本大震災とちゃんと向き合ってきたのだろうか。

知った気になっているんじゃないか。そんなふうに思っていたら、あれよあれよという間に被災地を巡る車中泊の旅に出ることになったのです。



出発直前。担当編集者とカメラマンとの打ち合わせで、僕はこう言いました。

「一気に北上して岩手県、宮城県、そして福島県の順で被災地を回りたい。理由は福島県で見た景色を胸に刻んで東京に帰りたいから。できれば福島県で合流してもらえないだろうか?」

旅のスタートは東京なので、本来なら福島県、宮城県、岩手県の順に回るほうが理にかなっているとわかってはいましたが......。僕の熱意にふたりはいぶかしげな顔をしながらも承諾してくれました。

こうして僕は、23年末に購入したトヨタのタウンエースをベースにした車中泊仕様の愛車「キャンパーアルトピアーノ」に愛犬ちょんぴーを乗せ、一路、岩手県を目指して出発したのです。

■福島県でファンと触れ合う 初日。僕は明け方に東京を出て1日で岩手県へ。向かったのは、漁業が盛んな山田町。東日本大震災では人口の約4.3%が犠牲となり、漁業関係にも大きな被害が出たそうです。その経験から山田漁港には垂直な壁のような防潮堤がありました。下から見上げると首が痛い。

山田町を目指したのはほかにも理由が。以前、車中泊の旅に来たときに見た、ランボルギーニを飾ってあるコインランドリーがどうなったか気になったからです。足を運ぶとランボルギーニがBMWになっていました。僕はとても疲れたので夕食にありつき、今夜は車内でおやすみなさい。

陸前高田市の巨大な防潮堤。平日だからか、とても静かな場所だった

陸前高田市の巨大な防潮堤。平日だからか、とても静かな場所だった

2日目は岩手県陸前高田市へ。東日本大震災の津波に襲われるも、奇跡的に残った一本の松が岩手県立高田松原津波復興祈念公園の一角にあるので見ておきたかったのです。ちなみにこの公園の広さは東京ドーム約30個分です。とにかくデカかった。

しかし、現地で話を聞くと、海水のダメージにより"奇跡の一本松"は生きているっぽいけど、すでに死んでいるそうで、上部の緑の葉っぱ部分はレプリカ。保存プロジェクトにより復元されたとか。

そもそもこの一本松は、旧陸前高田ユースホステルの敷地内に植えられていたもの。遺構として残っているこのホテルが盾的な役目を果たし、津波の直撃を免れたのが奇跡につながったそうです。

「奇跡の一本松」とそれを守ったホテルの遺構を見物する観光客。周囲は更地も多かった

「奇跡の一本松」とそれを守ったホテルの遺構を見物する観光客。周囲は更地も多かった




道の駅高田松原で休憩。昨年9月から『週プレNEWS』で連載を開始した漫画『堀田エボリューション』(小田原ドラゴン/集英社)。編集部が販促用のステッカーを作ってくれたので、今回の旅で僕のファンに配ります!

3日目。海沿いを走り宮城県へ。到着したのは、おしゃれな道の駅おながわ。すぐ先には海が見えますが、この町は防潮堤を造らない道を選んだそうな。津波の来る場所には住まないという判断だそうです。

道の駅おながわの向かいには、震災で被害を受けた交番が震災遺構として残されています。旧女川(おながわ)交番です。建物の中から生えた桜の木が14年の歳月を物語ります。

腹が減ったので道の駅おながわで女川丼をいただく。お値段は1500円。今回の旅ではこれが一番おいしかった。

大津波でひっくり返ってしまった旧女川交番。平日の昼間だったが観光客もチラホラ

大津波でひっくり返ってしまった旧女川交番。平日の昼間だったが観光客もチラホラ

道の駅おながわで食べたコチラの海鮮丼は絶品だった。ちなみにお値段は1500円

道の駅おながわで食べたコチラの海鮮丼は絶品だった。ちなみにお値段は1500円

4日目。いつもの車中泊の旅なら僕のXを見たファンが休憩場所に目星をつけて駆けつけてくれるのに......岩手県と宮城県はゼロ!誰も来てくれません。さすがに落ち込みました。僕の需要はなくなってしまったのかと嘆きながら、クルマを走らせ、21時に福島県に到着。

そして、Xを見たファンの中年男性がひとり、牛乳2パックと地元の銘菓でパンパンのコンビニ袋をぶら下げながら激励に訪れてくれました。僕のファンは中年男性ばかりなのです......。

深夜の福島県相馬市にいた小田原ドラゴン先生に会いに来たファンの男性。記念にパチリ

深夜の福島県相馬市にいた小田原ドラゴン先生に会いに来たファンの男性。記念にパチリ

■パトロールと防犯カメラ 旅の最終日。担当編集者とカメラマンと道の駅なみえで落ち合う。町内全域に避難指示が出されていた浪江町と双葉町を回る予定でしたが、警察を含めたパトロールのクルマと防犯カメラの多さにビックリ。

しかも、不審者への声かけが徹底されているようで、どこからどう見ても怪しい風体の担当編集者は、浪江町に到着してからけっこうな人数に声をかけられたという。

「おかげでいろんな情報が手に入りましたけど」

そう笑う担当編集者。まず向かったのは東京電力福島第一原発から北西に位置するJR常磐線双葉駅。駅の東側には真新しい役場庁舎。駅階段を下りて西側に行くと、ゲームで見かける平和な町的な建物が!あまりの駅近に驚いていると中年の女性が元気に声をかけてきた。

双葉駅の東側。目の前にはピッカピカの役場も。ただし、少し歩くと更地だらけとなる

双葉駅の東側。目の前にはピッカピカの役場も。ただし、少し歩くと更地だらけとなる

「こんにちは!ここね、住宅。人が住んでいるの」

東京電力福島第一原発の事故により避難指示が出ていたが、22年に一部解除となり、住民の帰還が始まっているという。同年10月1日から、この「えきにし住宅」への入居も始まったとのこと。

駅の西側に出ると、目の前に広がるのは新感覚な住居群。あまりの駅近ぶりにフリーズ

駅の西側に出ると、目の前に広がるのは新感覚な住居群。あまりの駅近ぶりにフリーズ



東側に戻り駅前を歩くと、シャッターが変形した消防団の建物が。東日本大震災発生から2分ほど進んで止まった時計が目に留まる。朽ち果てた双葉町青年婦人会館にはモニタリングポストがあり、空間線量率を表示していました。周囲には崩れた家屋や更地も。

ほぼ地震発生時の時刻で時計の針が止まっていた消防団の詰め所。草刈りはしてあった

ほぼ地震発生時の時刻で時計の針が止まっていた消防団の詰め所。草刈りはしてあった

空間線量率を表示する電光掲示板。周囲に人はおらず、いったい誰のための情報なのか......

空間線量率を表示する電光掲示板。周囲に人はおらず、いったい誰のための情報なのか......

解体工事が行なわれていた町立双葉中学校。周囲の民家はガラスが割られるなどしていた

解体工事が行なわれていた町立双葉中学校。周囲の民家はガラスが割られるなどしていた

■僕はどうしても、"フクイチ"が見たい かつて避難指示区域だったJR常磐線夜ノ森駅へ。木造の駅舎は解体され、新しくなっていました。双葉駅同様に夜ノ森駅もホームへ向かう手前に、空間線量率をデジタル表示していました。東京の駅では目にしないものです。

駅東口は更地が多く、クルマも人の息遣いもほとんどありません。ただ、信号機が赤になり、青になるだけ。

空間線量率を示す無人駅の電光掲示板。10分ほど粘ってみたが乗客はひとりもおらず

空間線量率を示す無人駅の電光掲示板。10分ほど粘ってみたが乗客はひとりもおらず

クルマを国道6号線へ。福島第一原発が近く、その放射線量の高さもあり通行規制されていましたが、22年から解除になったのです。

6号線には時が止まった郊外型のチェーン店が並んでいます。昨年来たときは朽ち果てた感じでしたが、ケーズデンキ双葉富岡店もかっぱ寿司富岡夜ノ森店も何か作業を行なっていました。ケーズデンキの敷地にいた男性作業員は気さくな感じで福島第一原発方面を指さしてこう言いました。

「信号の近くに牛を飼い始めた家もあるんですよ」

福島第一原子力発電所に近い国道6号線は、このように朽ち果てた看板や建物だらけ

福島第一原子力発電所に近い国道6号線は、このように朽ち果てた看板や建物だらけ

ネット上で必ず見かける、オープンできなかったケーズデンキ。数名の作業員がいた

ネット上で必ず見かける、オープンできなかったケーズデンキ。数名の作業員がいた

まだカッパがいる頃で時間が止まってしまったかっぱ寿司。足場が組まれていた

まだカッパがいる頃で時間が止まってしまったかっぱ寿司。足場が組まれていた

福島第一原発のすぐ近くを走ると、"帰還困難区域につき通行止め"の看板だらけ。僕は遠目でもいいので、どうしても福島第一原発が見たくなりました。

福島第一原子力発電所の案内標識。通行はまばら。トラックやダンプカーが多い

福島第一原子力発電所の案内標識。通行はまばら。トラックやダンプカーが多い

福島第一原子力発電所の周辺は今もなお帰還困難区域のため通行止めだらけだった

福島第一原子力発電所の周辺は今もなお帰還困難区域のため通行止めだらけだった

「浪江町の請戸(うけど)漁港から"フクイチ"の排気筒が見えるらしいです」

そう担当編集者が言う。"地元の声かけ"で仕入れた情報とか。僕らは請戸漁港へ向かうことに。何度目だろうか。警察車両とすれ違った。

福島県浪江町の請戸地区にある、およそ7mの防潮堤の上に立つと、ずっと姿が見えなかった"フクイチ"を遠くではありますが、目にすることができました。ちなみに"フクイチ"の周辺には東京ドーム約11杯分の「除染土」などを保管する中間貯蔵施設(福島県双葉町・大熊町)があるそうだ。

東京電力福島第一原子力発電所を防潮堤から、静かにジッと眺める小田原ドラゴン先生

東京電力福島第一原子力発電所を防潮堤から、静かにジッと眺める小田原ドラゴン先生

腹ペコなので食事へ。地元の人たちからはなみえ焼きそばを激推しされましたが、僕ら3人は"常磐もの"の海鮮丼をいただき、東京に戻ることに。

まるで仲良しOLのSNSのように映えている道の駅なみえで頼んだ海鮮丼

まるで仲良しOLのSNSのように映えている道の駅なみえで頼んだ海鮮丼

常磐双葉インターチェンジを目指していると、見渡す限りのメガソーラー畑が......。ここの電気は東電が買って、関東の都会へ送っているとか。高速道路をひた走り、僕はまばゆい光があふれる東京へ戻る。この電気は福島のメガソーラー畑産だろうか!?

拙作『堀田エボリューション』の登場人物がこんなセリフを口にしています。



「テレビやネットで知った気になるのは危険だ」

見渡す限りのメガソーラー畑。このメガソーラーでつくった電気を関東に送っているという

見渡す限りのメガソーラー畑。このメガソーラーでつくった電気を関東に送っているという

メガソーラー畑の監視をする人たちもチラホラ。ちなみにすぐ近くは帰還困難区域......

メガソーラー畑の監視をする人たちもチラホラ。ちなみにすぐ近くは帰還困難区域......

まさに僕自身も知った気になっていました。福島の原発事故とその被害というものはもうほぼ収束したというか、復興もなされたものだと思っていたんです。3年ほど前、僕の収入が良かったとき、確か「復興特別所得税」という名目でいきなり銀行口座からドカンと引かれ、

「おい、まだそんな金かかるんか!」

そう憤慨した覚えがあります。僕は冒頭に書いたとおり兵庫県出身です。阪神・淡路大震災は5年ぐらいで町はほぼ復興していたんです。しかし、福島に実際に足を運んでみるとまだ全然終わっていないし、原発は一度事故を起こすとこういうことになるんだと肌で感じました。

僕のXにも書きましたが、修学旅行でディズニーランドに行くのもいいけどこういう場所を見せるのもいいんじゃないか?いや学生といわず日本人はみんな実際に見るべき。その上でいろいろ意見を持てばいいと思いましたね。

●小田原ドラゴン(Doragon ODAWARA)

1970年生まれ、兵庫県出身。唯一無二の天才すぎる漫画家。『コギャル寿司』で第47回文藝春秋漫画賞受賞。代表作に『おやすみなさい』、ドラマ化された『チェリーナイツ』など。最新作に『今夜は車内でおやすみなさい。』。『週プレNEWS』で毎月第2/第4土曜日に新作漫画『堀田エボリューション』配信中

取材・文・撮影/小田原ドラゴン撮影/山本佳吾

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