左から)金子駿斗(ブッキング担当)、加藤良行(店長)
3月13日(木) 9:00
Text:小川智宏Photo:シンマチダ
これまで数々のバンドを輩出してきた下北沢のライブハウスDaisyBarが今年でオープンから20周年を迎えた。老舗から新進までライブハウスがひしめく音楽の街下北沢で、20年の間若手バンドの登竜門的存在としてシーンの移り変わりを見守り続けてきた名門である。今年はそのアニバーサリーを記念したスペシャルなライブが続々と開催されていくが、その中には「え、こんなバンドがデイジーに!」というようなベテランから、これから大きく羽ばたいていくであろう若手まで、バラエティ豊かなラインナップが顔を揃えている。今回、そのDaisyBarをゼロから育ててきた店長の加藤良行氏と、次々と新たなバンドをフックアップし続けるブッキング担当の金子駿斗氏へのインタビューが実現。DaisyBarの歴史とその中で感じる変化について語ってもらった。ライブハウスという場所への思いや音楽への愛が溢れる、熱い言葉に耳を傾けてほしい。
――20周年、おめでとうございます。そもそもなんですが、DaisyBarはどういうふうに始まったんですか?
加藤良行 もともとうちの社長がバンドをやっていて、僕はそのバンドのスタッフみたいなことをやっていたんですよ。その中で彼がいきなりライブハウスを作るという話になって、「ちょっと手伝ってくれ」っていうところから始まったんです。当時はまだ会社ではなかったんですが、結構急だったのでびっくりしたんですけど。
――どうして急にライブハウスをやることに?
加藤 バンドマンだったので、いろいろやる中で「自分ならこうするかな」みたいなのがあったのかもしれないですけど、あんまりそこらへんは聞いていないんですよね。本当に急に「今度ライブハウスやるから手伝ってくれ」っていう。
――もちろんそれまで加藤さんにはそういう経験もなかったわけですよね。
加藤 そうですね。まあ、今の社長のバンドの企画とかは手伝ったりしていたんで、そこで「イベントを組むの面白いな」と思って自分でもやったりはしていたので、そこからの流れでやれっていうことになったんですかね。
――下北沢でやるというのも何か理由があったんでしょうか。
加藤 それも社長が「ここで」っていう感じだったんですけど、やっぱり文化というか土壌がしっかりある街なので。やっぱり昔ながらのライブハウスの地場みたいなものもありましたけど、新しく入っていく人間にも結構寛容な感じはありました。でもその当時、どこもスケジュールがパツパツで、下北のライブハウスに出たくても出られないバンドがいっぱいいたんです。そういうのもあったのかもしれないですね。
――でも、本当にゼロからライブハウスを作るって、大変そうですね。
加藤 でもあまり深く考えていなかったんです。下北がそういう状況だったんで、ライブハウスを新しく作ればバンドが集まってくるんじゃないか、みたいな感じで気楽な感じでした。でも案外そうでもなかったっていう。
――最初にやったイベントはなんだったんですか?
加藤 最初は夜のストレンジャーズのミウラさんのソロとTHE MIDNIGHTS、今イラストを描いてくれている(フジサワ)ランナウェイくんのバンドですね。あとペリカンオーバードライブとかかな。あと、当時再検査っていうバンドをやっていて、最近もモナリザヘイトミー!!というバンドで出演してくれている鈴木(羊)さんのソロと。みんな昔からの知り合いで、お願いして出てもらったんです。
――先ほどのお話にあったように、当時すでに下北沢には老舗と呼ばれるライブハウスがいくつもあったわけですけど、その中でDaisyBarとしてはどういう色を打ち出そうと考えていたんですか?
加藤 いや、そういうのは考えてないですね。ただ、ステージもフロアも狭いんで、やっていく中でやっぱりシンプルなバンドの方がやりやすいなとは思いましたね。当時はガレージ系のロックンロールバンドと、あとニルヴァーナとかから影響を受けたオルタナ系のバンドと、変拍子を使うようなバンドと、3種類ぐらいの形があるなっていう感じだったんですけど、その中でもロックバンドがやりやすいのかなと思ってやっていました。
――なるほど。金子さんはいつ入られたんですか?
金子駿斗 僕が今、12年目とかですね。2013年か2014年ぐらいでした。僕、20歳のときに入っているんですけど、その前は普通に愛知県で高校卒業して、普通に車関係の仕事をしていたんです。でも「つまんねえな」と思って何のあてもなく上京して。愛知で仕事してるときにいろいろライブを観に行ったりとかするようになっていたので、ちょっと音楽の仕事をしてみたいなっていうのだけあったんですけど、本当に音楽のことは何も知らなくて。タワーレコードかライブハウスかぐらいしか知らないような感じだったんです。で、東京でアパートを探すために1週間ぐらい来ていたときにDaisyBarにライブを観に来たら、壁に貼ってあるフライヤーにandymoriとかSISTER JET、The Mirraz、a flood of circleとかの名前があって、当時好きだったアーティストがすごい出演しているな、面白そうだなって思ってバイトで入ったのが最初です。
――実際飛び込んでみた音楽業界というか、ライブハウスの仕事というのはどうでしたか?
金子 最初は受付とバーカウンターといういちばん簡単な仕事だったんですけど、僕も全然それだけのつもりで入ったんです。でも入って1、2カ月後ぐらいに人が辞めて、そこからステージ照明を急遽やることになって(笑)。楽器もほぼ触ったことないぐらい、機材も全然分からないし、照明ももちろんやったことはなかったんですけど、どうにかやっていたら、その1年後ぐらいに「社員にならないか」って話をもらって。そこから自分でイベントも組むようになっていったんです。最初はバイト感覚だったところからいきなりいろんな仕事をやることになって、ずっと右も左も分からないまま、でも「なんとかなるか」でやってきました。まだ若かったから楽しめたのもありますけど、こんな、十何年もいるとは全然思ってなかったですね。
――加藤さんもまさに右も左も分からないところから始めたわけですしね。
加藤 確かに(笑)。
――それが20年続いてきたというのはすごいですね。
加藤 そうですね。みんな、あまり先のこと考えずに、「とりあえず明日どうしようかな」みたいにやってたら、どうにかこうにかやってこれたっていう感じですね。
――20年やってきた中で、DaisyBarとして大事にしてきたこと、ここは外せないというところはありますか?
加藤 やっぱりいいバンドというか……いいバンド、いいアーティストの定義っていろいろあると思うんですけど、いいバンドが出てくれていると人材も集まってくるし、バンドも集まってくるしっていうことだと思うんです。なのでいいバンドを育てるというか、このバンドいいな、このアーティストいいなっていう子たちに出てもらう。このキャパなので、誰よりも早く観れるっていうところはあるんで、そこをできるだけ早く見つけて出し続けるというか、そういうことは続けていきたいなと思っていますね。
金子 まあ、最初の頃は本当に何の経験もないから、ライブを観ても「こうしたらいいんじゃないか」とか、演奏に関しては何も言えることはなかったんですよ。だから最初は同世代の、ちょっと友達感覚に近いようなバンドに多く出てもらっていて。そこからいろいろ観てくる中で、「こうしたほうがいいよ」とか「ここはこうだよ」みたいなこともようやく言えるようにはなってきたんで。何かアイデアのきっかけになるようなことができればいいかなとは思っています。でも結局、頑張ったアーティストは売れるし、頑張ってないアーティストは売れないなっていうのはやっていると思いますし、そこに対してしてあげられることってそんなにないんで。それでも、ちょっとでもきっかけになってくれたらなっていうのでやっています。
――加藤さんから見て金子さんっていうスタッフはどんな存在ですか?
加藤 金子とは好きなバンドはかぶるんですけど、ルーツや世代は違うので、やっぱり新しいバンドを観るときのポイントも違っていて。そういうのをすごくキャッチしてくれるので、僕は後になって「ああ、なるほどな」って分かることが多いんです。CRYAMYとか時速36kmとかも、最初に出てくれた頃とかはちょっと僕には分からなかったんです。観て、話をしていくといろいろよさが分かってくるんですけど。だから、彼らがデイジーに出始めた頃は、「金子、いろいろ新しいバンド連れてくるなあ」と思いながら見てましたよね。
――今名前が上がったバンドも含めて、DaisyBar出身というか、ここから羽ばたいていったバンドもたくさんいますけど、おふたりの中で今まで見てきた中で特に印象に残っているバンドというと?
加藤 やっぱりできたばっかりの頃は本当に出るバンドが少ないんで、じっくり観れたというか、全バンド印象に残ってるんですけど……それこそ最初にクリープハイプの尾崎(世界観)くんが弾き語りで出たときは、歌を聴いてなんか感動しちゃいましたね。それは今でも覚えています。あとはTHE SUZANっていうガールズバンドは最初に出てきたときから、今までのバンドとは考え方が違うなと思ったし、SISTER JETとかも初めて観たときに今までの感覚と違うなっていうのがありました。Veni Vidi Viciousとかも感覚が違うなっていうのは思いましたね。
――クリープハイプは当時メンバーがいなくなっちゃって、尾崎さんひとりになってしまって。そこで続けられたのはDaisyBarのおかげだってよくおっしゃっていますよね。
加藤 そう言ってくれるんですよね。ありがたい。
――金子さんはいかがですか?
金子 僕は、もちろん最近マネジメントも担当してる時速36kmもそうですし、CRYAMYとかJIGDRESSとか、PK Shampooとか、そのあたりはデイジー以外でもかかわることがいっぱいあるんで、彼らと出会った頃は12年間やってくる中でもいちばん濃い時間だなっていうのは感じます。その前で言うと、僕がちょうど入った頃に、モノブライトが毎週やっていたんですよね、対バンイベントを。
加藤 ああ、やってたなあ、9週連続で。
金子 The SALOVERSとかキュウソネコカミとか、ヘンリーヘンリーズとか、対バン相手も僕が好きなアーティストが多かったし、モノブライトも好きだったので、こういういいバンドたちを仕事として観ているのは楽しかったなって。あと、Shimokitazawa SOUND CRUISINGで、深夜にBiSHが出て、パンパンになって。お客さんがみんなでスピーカーを押さえてるみたいなこととか(笑)。
――ああ、振動でスピーカーが揺れるから。
加藤 それで「あれはちょっとマズいですよ」って文句言って、次の年はSuchmosとかnever young beachとか、間違ってもスピーカーが倒れないようなバンドに出てもらうようにして。そこから深夜枠がすごくいい感じになっていったんです(笑)。
――しかし、出てくる名前が全部懐かしくて震えます(笑)。
金子 モノブライトの桃野(陽介)さんとかは今も上のLaguna(DaisyBarの上階にあるライブハウス)に出演していますし、そうやってずっと活動を続けるというのもうれしいですよね。
加藤 SISTER JETもそうですけど、そういうバンドが今でも続いているのは励みになるし、ライブハウスとしてはありがたいというか。バンドの人たちが長く続けているおかげでやれているのかなっていう感じもします。
――逆にやってくる中で大変だったことはどんなことでしたか?
加藤 コロナのときも大変でしたけど、始めて1年目はまだそんなに事の重大さを分かってないというか、ライブハウスをやってる感覚がまだつかめていなかったんですけど、2年目ぐらいから、「なんかうまくいかないな、大変だな」っていうことが増えてきて。そこから軌道に乗るというか、バンドが定期的に出て、スタッフも集まってきてっていうぐらいまではやっぱり大変でした。だからコロナのときも、最悪あのときよりはマシかなと思っていました。もう1回ゼロから立ち上げてくれって言ったら、ちょっとしんどいなと思いますね。
金子 僕はずっとブッキングにはずっと悩まされてます(笑)。決まらないときは全然決まらないんで、休みの日でもずっとメールを見たり、XのDMでのやり取りだったり、いちいちずっと気になるんです。今はマネジメントをやったりとか別の業務もありますけど、ブッキングだけやっていたときはずっとブッキングのことを考え続けないといけないから「しんどいのがずっと続くな」って感じでしたね。
――そうやって苦労してブッキングしたライブに人がたくさん入って、ライブ自体もよくて、となると満たされる感じがありますか。
金子 そうですね。でも、すごく面白い組み合わせができたなと思ってもお客さんが入らないときもあるので。収支的なことでやばいなっていうのもありますしね。
――バンドマンと近い距離で接してきたおふたりから見て、この20年でのバンドの変化みたいなものはどういうふうに感じますか?
加藤 昔よりいろいろな知識を持っているバンドは増えているんですけど、でもそれよりもとりあえず「やっちゃえ」ってやってくれるバンドの方がかわいいし、面白いんですよね。ちゃんと論理立てて考えながらやってるバンドも、こっちもそれに合わせて考えようかなっていうのはあるんですけど、最初はもうちょっとチャレンジしてみてほしいかなとは思います。
金子 それこそコロナ前まではライブハウスが新人アーティストの発掘の場所でしたけど、今はライブとかもやらずにSNSでとか、いろいろなアプローチの仕方があって、ライブに出ると人気と演奏力のギャップがある子たちも増えたなあという感じもしますし。でも、やっていく中で経験を積んでいけばうまくなるでしょうし、SNSも特に日本国内だとアーティスト活動と切っても切り離せないような大事なツールだとは思うので、その上手い使い方というか、「こういうことしたらいいんじゃない」みたいなことも話したりしますね。
――SNS上とは違うリアルがライブハウスにはありますしね。
加藤 バンドの子たちにも思うんですけど、やっぱり揺り戻しというか、分かっている子はそのリアルを求めてライブハウスに来ているんじゃないかなっていう感じがしますね。裏側を見たいというか、本当のところを見たくてライブに来る子が増えてくれたらいいかなっていう気はします。
――ここから先、DaisyBarとしてこんなことをやっていきたい、みたいなイメージはありますか?
加藤 まあ、これだけ歴史というか、いいバンドやアーティストがいっぱい出てくれているんで、そういうキャリアを持っているバンドと新しい才能というか、これからのバンドにバランスよく出てもらいながら、そこでまた新しい歴史を作れたらなっていう。それこそ20年頑張っているバンドもいれば、昨日組んだばっかりのようなバンドもいるので、そこをうまく絡めていけたらなとは思っています。
金子 僕は音楽性もそうですけど、結構人柄を見て判断するんです。加藤さんが作ってきた頃のアーティストも一癖二癖あるなと思いますけど、僕が関わってきた子たちもすごい癖のある人たちで。そういう、ちょっと他のライブハウスとは肌が合わないみたいな……CRYAMYもそうでしたし、BALLOND'ORとかもそうですけど、そういうちょっと面白くて、でもなかなか肌が合わないなみたいなバンドたちが活躍できるステージになってくれればいいなと思いますし。最近はちょっとそういう変なライブハウスの印象になってきている感じもあって、それはそれでなんか面白いなと思いますし。
加藤 そういう子を金子が連れてくるんですけど、ライブを観て、そのあと打ち上げでバーカウンターの前で飲みながら話すと音楽の話をしっかりできたりして。急速に距離が近くなります。
金子 みんな音楽だけじゃなくて、ゲームとかアニメとかネットミームとか、そういうのにものすごく詳しいじゃないですか。そういうのが音楽のアウトプットになっているんだろうなって思うと面白いですよね。
――そして3月からは20周年の企画が続々と始まっていますね。
金子 20周年だから久しぶりに出てくれよっていうので、the dadadadysとかもthe dadadadysになって初めての出演で、しかもワンマンで出てくれたりとか。彼らもDaisyBarがホームだと思ってくれているみたいで、そういう子たちのワンマンも決まってきています。
加藤 対バンの組み合わせもいろいろ考えて、バランスを取りながら。2バンド呼びたいけど、この組み合わせだとキャパがどうしてもうちと合わないとか、そういうのもあったりするし、タイミングもあるので。小山田壮平くんとSISTER JETのツーマンなんかはすぐに決まってうれしかったです。
――20周年っていうのがあればこそ実現するようなライブもたくさんあるということですね。
加藤 I-SCREAM NIGHTのKOTORIとdustboxとかも、鈴木(健太郎)さん(イベントのオーガナイザー)はREDLINEが終わってイベント自体あまりやらないみたいな話もあったのでどうなのかなと思っていたんですけど、デイジーの20周年ということでやってくれることになって。それはうれしかったですね。これから解禁するものもありますし、今ちょっと調整しているものもあるので、今年1年かけて、いろいろやれたらなって思っています。
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