ガールズケイリン専念で梅川風子が目指す次なる目標現実を受け入れられなかったパリ五輪落選

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ガールズケイリン専念で梅川風子が目指す次なる目標現実を受け入れられなかったパリ五輪落選

3月12日(水) 22:10

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ガールズケイリンで圧倒的な実力を発揮している梅川風子photo by Gunki Hiroshi

ガールズケイリンで圧倒的な実力を発揮している梅川風子photo by Gunki Hiroshi





【ガールズケイリンへ専念】自転車競技トラック短距離でナショナルチームメンバーだった梅川風子(東京・112期)が昨年11月に代表活動から引退。自転車競技とガールズケイリンの二足のわらじを履きながら、世界で戦う生活から、国内でガールズケイリンに専念することになった。

「最初、戸惑いはすごくありました。急に戻った感じがあって、気持ち的に切り替わっていなかったんです。ただ年が明けたことで心機一転し、今は集中できています」

12月の開催で落車した際に負ったケガの影響で年末年始は欠場したが、復帰後は順調に勝利を重ねている。世界を相手に戦ってきた脚力は本物。2025年のガールズケイリン、主役候補のひとりといっていいだろう。

「これからも競技のときと変わらず脚力を高め、勝負にこだわって挑戦していきます。そして自分自身がそうだったように他のスポーツをやっていたアスリートにとって、ガールズケイリンの舞台がセカンドキャリアとして魅力的なものであることもアピールしたいですね」

世界を見据えた戦いから、国内の強者を相手にするステージへ。しかし自身を見つめ、己を高めることに変わりはない。まっすぐな視線で勝負へと向かっている。

【再び「非常に残酷」な世界へ】梅川は自転車競技出身ではなく、かつてはスピードスケートで活躍した選手だ。山梨学院大在学中には全日本学生選手権500mで優勝した経験を持ち、卒業後もワールドカップやオリンピック出場を目指していた。24歳でそこから引退するにあたって、選んだ次の道がガールズケイリンだった。

「ガールズケイリンのことは大学にいる間から知っていて、情報は集めていました。トレーニングでロードバイクにも乗っていましたし、これまでやってきたトレーニングをフルに生かせる場として、競輪選手を選びました。決めてから1週間後には今もホームバンクにしている京王閣で走っていました」

スピードスケートからガールズケイリンに転向した梅川photo by Gunki Hiroshi

スピードスケートからガールズケイリンに転向した梅川photo by Gunki Hiroshi



スケートで鍛えた脚力は自転車でも生かされ、2016年に競輪学校(現日本競輪選手養成所)に入ると、非凡な才能を見せた。学校内の記録会には基準タイムがあり、そのなかでも最高レベルをクリアした者にゴールデンキャップという金色の帽子が与えられるが、女子史上2人目としてそれを獲得。在校成績3位、卒業記念レース優勝という見事な成績で卒業する。プロデビューしてからも勝負強さを発揮し、翌2018年にはガールズケイリンの最高峰レース、ガールズグランプリに初出場。そこから2019年、2020年と3年連続で出場を果たしている。

「競輪学校でゴールデンキャップは絶対獲りたいと思っていました。そして実際に獲れたとき、私の前に獲ってすでに活躍していた小林優香選手以上の選手になるためにはどうしたらいいかを考えるようになったんです。私は自分より速い選手がいたとき、そこに追いつくのではなく、超えるためにどうするかというのを常に考えるようにしています」

ガールズケイリンのレーサーとなってからは概ね、順調な競技生活だったと振り返る。だが、その一方で、キャリアを重ねていくなかで、梅川の心には目標を見失う感覚も少しずつ生まれていた。

「もちろんガールズグランプリに出て、優勝するという目標はありましたが、自分自身にすこし頭打ちの感じがあったんです。そんなとき、ナショナルチームに入っていた競輪学校同期の太田りゆ選手が、そのコーチ陣にそれとなく私の話をしてくれ、『もし覚悟があるのなら、ナショナルチームに来てもいい』という誘いを受けたんです」

スピードスケート時代の経験から、タイムにこだわって競技に取り組むことは、ガールズケイリンとはまた違った厳しさがあることを梅川は知っていた。またスケートで成しえなかった"世界で戦う"という夢も競技転向当初はなかったという。

それだけに競輪学校時代に、世界で活躍できる選手を育てることを目的としたトレーニンググループ「HPD教場」(ハイパフォーマンスディビジョン)に選ばれても、ナショナルチームへの興味は示さなかったが、閉塞感を感じていたこのタイミングでの誘いに心が揺れた。そして1カ月ほど悩んだ末に覚悟を決める。

「競技の世界はシビアにタイムが求められ、非常に残酷なものだと知っていました。ただガールズケイリンを経験した後に、改めて世界の舞台で戦える可能性が出てきたとき、そこに賭けてみようと思いました」

梅川は「世界に挑戦できる環境がすぐそこにあるのに、挑戦しない理由を探すほうが大変だった」と言う。2020年、ナショナルチーム入りし、日の丸を胸に戦うことを自ら選んだ。

梅川の潜在能力は早い段階から関係者の目に留まっていたphoto by Gunki Hiroshi

梅川の潜在能力は早い段階から関係者の目に留まっていたphoto by Gunki Hiroshi





【五輪代表選考で味わった悔しさ】国際大会デビュー戦となった2021年のネーションズカップ第2戦(香港)女子スプリントでいきなり銅メダルを獲得。その後もネーションズカップやアジア選手権トラックでメダル獲得を果たした。ガールズケイリンへの出走機会は減ったが、ナショナルチームの一員として、日々、多くのスタッフに囲まれながら強化を続けた。世界を舞台に戦う日々は刺激的であり、世界のレベルの高さを痛感するたびに、成長への意欲が高まった。

ナショナルチーム在籍時の梅川が最終目標としていたのは2024年パリ五輪でのメダル獲得だった。国際大会の成績によって国ごとに出場枠が割り振られ、最終的に日本の女子短距離に与えられた出場枠は2。それをナショナルチーム内で争った結果、梅川は代表選出されず、リザーブに回ることになってしまった。パリへは帯同したものの、走ることなく帰国の途についている。

「パリ五輪の代表選考期間が明確に示され、その間の大会で自分が結果を残せなかったことは理解していました。でも最後まで代表入りは諦めず、直前までアピールし続けました。パリに行ってからも調子がよく、自分を出してほしいという気持ちで準備をしていたんです。なので、現実を受け入れるには時間がかかりました」

その悔しさを10月に行なわれた世界選手権トラック女子ケイリンにぶつけ、5位という結果を残した。「オリンピックで終わりにしようと思っていましたが、最後にこの世界選手権で自分をぶつけようと。それができたのはよかったです」と、ここでナショナルチームからの引退を決意する。本人の言葉を借りれば、「命を削るような毎日」に終止符を打ったのである。



「自分自身を認めたい」と語る梅川photo by Gunki Hiroshi

「自分自身を認めたい」と語る梅川photo by Gunki Hiroshi





【GIで強さを見せたい】ナショナルチームで過ごした時間で得たのは結果にこだわること。過程は大切にしながらも、その過程も結果を出さないことには評価されない。だからこそ結果にこだわり続けなければならない。その一方でオリンピックを目指し、ストイックに取り組んだ歩みは間違っていなかったという思いもある。

「やるだけやったとはまだ言い切れませんが、自分自身を認めたいという思いもあります。代表選考で負けて苦い経験をしましたが、苦しい戦いのなかでも何回か勝つこともできましたし、恵まれた機材で走れる喜びもありました。これらは誰しもが味わえるものではないので、いい経験をさせていただいたと思っています」

世界で戦った脚をガールズケイリンへ。次なる目標はガールズグランプリ制覇かと思いきや、本人は違うところに目線を向けている。

「もちろんガールズグランプリは最高峰の素晴らしい舞台。ただそこに至るまでの戦いも大切だと思っていて、私はまずGIでの優勝を目指したいです。グランプリは一発勝負ですが、GIは3日間を勝ち上がっていくレースで、その過程を見ながら、決勝でどんなレースをするかが面白いと思いますし、GIは運だけでは勝てません。自転車競技も何本も走ってファイナルまでたどり着く戦いだったので、その経験が生きると思います」

GIを勝ち続け、すべて制すればグランドスラムという夢にもたどり着くが、「今はそこまでは考えていません」とまずは目の前の大きなレースに集中しながら戦っていくつもりだ。

梅川が生まれた日は風が強かったことから、「風子」と名付けられたという。世界を巡ってきた風は、これからは日本のバンクの中で吹き荒れることになるだろう。



【Profile】

梅川風子(うめかわ・ふうこ)

1991年3月1日生まれ、長野県出身。4歳の頃からスケートを始め、スピードスケートの選手として全日本学生スピードスケート選手権500mで優勝を飾る。24歳でスピードスケートを引退して日本競輪学校(現日本競輪選手養成所)へ入学。26歳でデビューし、翌年にはガールズグランプリに初出場する。2023年11月のGⅠ開催「競輪祭女子王座戦」で優勝してガールズグランプリに出場し2着に。ナショナルチームにも所属し、2024年10月の世界選手権の女子ケイリンで5着となる。同年11月に自転車競技から引退した。

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