マンチェスター・シティのGKエデルソン、リバプールのGKアリソン、ニューカッスル・ユナイテッドのMFブルーノ・ギマランイス、MFジョエリントン、アーセナルのDFガブリエウ・マガリャンイス、MFガブリエウ・マルティネッリ......等々、プレミアリーグではブラジル人が善戦健闘している。
今シーズン終了後、ノッティンガム・フォレストのDFムリーロ、ウルヴァーハンプトン・ワンダラーズのFWマテウス・クーニャ、ブライトンのFWジョアン・ペドロは、メガクラブにステップアップする公算が非常に大きい。
彼らの活躍によって各クラブは、より広範囲なレーダー網をブラジル国内に張り巡らせるようになった。
ブラジル出身のジョアン・ペドロ(左)も三笘薫とのコンビで活躍中photo by AFLO
アトレチコ・ミネイロのMFアリソン・サンタナ(19歳)、フルミネンセのFWリケルメ・フェリペ(17歳)、パルメイラスのFWエステバン・ウィリアン(17歳/チェルシーと仮契約?)など、まだヨーロッパに渡っていないティーンエイジャーのもとに、早くも少なからぬ数のオファーが届いているという。
ブラジリアン柔術ならぬ「ブラジリアン蹴術」の波が、イングランドに押し寄せてきた。
プレミアリーグ初の成功例は、ミドルズブラのジュニーニョ・パウリスタである。1995年11月にサンパウロから新天地を求めた華奢なMF(168cm、58kg)は、高等テクニックと卓越した状況判断で、肉体のハンデを補って存在感を示した。
常に笑顔を絶やさず、ファンサービスにも積極的に取り組んでいたジュニーニョが、人々の心をつかむまでに時間はかからなかった。そして彼も、ミドルズブラに一刻も早く馴染もうとしていたという。
When in Rome, do as the Romans do(郷に入っては郷に従え)──。
イングランドは南米より日照時間が短く、雨も降り続ける。食事は味気ない、というか......。ブラジルにはポルトガルやスペイン、イタリアにルーツに持つ人々が多いが、英国系は非常に少ない。言語の壁も高く、かつミドルズブラは治安が悪かった。
【ミドルズブラの絶対的なアイドル】それでも、ジュニーニョは不平不満を一切もらさず、チームのために持てる力を発揮した。
1996-97シーズン、力及ばずチャンピオンシップに降格した際は、ひとりで全責任を負うかのように腰からピッチに崩れ落ちた。その姿に、人目もはばからず慟哭するサポーターも少なくはなかった。
心、ひとつに──。彼は今でも、ミドルズブラの絶対的なアイドルだ。
イングランド人に愛されたジュニーニョ・パウリスタphoto by Getty Images
ただ、ジュニーニョの例があっても、あとにプレミアリーグで成功するブラジル人は現れなかった。専属通訳を用意できなかったクラブ側にも責任があるとはいえ、プライベートが荒れたり、無断で練習に遅刻したり──。郷に入るのは、なかなか難しい。
この流れをせき止めたのが、アーセナルのアーセン・ベンゲル監督である。
1999年夏、コリンチャンスからシウヴィーニョを獲得。アップダウンを頻繁に繰り返せる体力を有した左サイドバックは、攻撃的フットボールを懸命に支えた。
2001年1月にコリンチャンスからやってきたエドゥ、およそ2年半後にアトレティコ・ミネイロから移籍したジウベルト・シウバも、アーセナルの成功例だ。「負傷や対戦相手との相性などで試合に出られなくても、自ら進んで同僚をサポートする献身的な姿勢は好ましい」と、ベンゲルも全幅の信頼を寄せていた。
また、ブラジル人選手が扱うポルトガル語と、ベンゲルの母国語であるフランス語は同じインド・ヨーロッパ語族の中でより近い言語と言われている。一部の語彙や文法に類似性が確認されているため、ポルトガル語と英語よりも言葉の障壁が低かったのではないだろうか。
当時、毎シーズンのようにアーセナルと覇権を競ったマンチェスター・ユナイテッドのアレックス・ファーガソン監督は、英語しか話さない。サー・アレックスは選手をプライベートまで厳格に管理する。よってブラジル人との相性はよろしくない。成功例のファビオとアンデルソンも、アーセナルのエドゥやジウベルト・シルバほどには貢献できなかった。
【ロナウジーニョが来ていたら...】ちなみにファーガソンは、ブラジル人選手に関する驚愕の事実を公(おおやけ)にしている。
「2003年の夏、ロナウジーニョが契約日の当日に突然キャンセルしてきた。あの男はバルセロナを選んだんだ」
このブラジル人とのビッグディールが成立していたら、プレミアリーグの勢力分布図にどのような影響を与えていたのだろうか。ロナウジーニョに断られたマンチェスター・Uは、ポルトガル人のクリスティアーノ・ロナウドと契約した。
また、2000年代に訪れた海外の巨大資本参入も、プレミアリーグのクラブのブラジル人獲得の勢いに拍車をかけた。
2003年にチェルシーを買収したロシア人オーナー(当時)のロマン・アブラモヴィッチは、イングランド人とポルトガル人の融合で成功を収めたのち、2010年からラミレス、ダヴィド・ルイス、オスカル、ウィリアンといった実践的な選手に厚遇を約束し、完全武装を図った。
2008年にマンチェスター・シティを傘下に収めたUAEの『アブダビ・ユナイテッド・グループ』は、夏の市場で補強したエラーノとロビーニョこそ失敗に終わったものの、2013年6月にシャフタール・ドネツクから獲得したフェルナンジーニョは大成功だった。スーパースターではなかったこのMFを推薦したのは、上層部が高額のサラリーで雇い入れたスカウト陣である。
ジョゼップ・グアルディオラ監督のもとでフェルナンジーニョは本職のアンカーだけでなく、センターバックやサイドバックでも期待に応えた。2021-22シーズンに退団するまでキャプテンも務めた彼は、セルヒオ・アグエロ(アルゼンチン)、ダビド・シルバ(スペイン)、ヴァンサン・コンパニ(ベルギー)、ヤヤ・トゥーレ(コートジボワール)とともにチェルシーの「五大守護聖人のひとり」に数えられている。
また、2010年にリバプールを買い取った『フェンウェイ・スポーツグループ』は、独自の査定とユルゲン・クロップ監督のプッシュに基づき、ロベルト・フィルミーノ獲得(2015年夏)というビッグヒットを放っている。
彼のインテリジェンスとハードワークは、クロップ体制下の「メインエンジン」と言って差し支えない。彼なくして2018-19シーズンのチャンピオンズリーグ制覇、翌シーズンのプレミアリーグ優勝はありえなかった。
【プレミアリーグ発足時はゼロ】1995年8月にコベントリーが契約したイサイアスを皮切りに、今冬の市場でパルメイラスからマンチェスター・Cに移籍したヴィトール・レイスまで、プレミアリーグにチャレンジしたブラジル人は延べ132名に及んでいる。
スコットランド(264名)、アイルランド(258名)、フランス(254名)、スペイン(185名)、ウェールズ(173名)、オランダ(170名)に次いでトップ7だ。プレミアリーグ発足当時にはひとりもいなかったのだから、飛躍的な向上だ。
今シーズンの占有率も、リーグ2位の9.1%(33名)。上にはイングランドの32.7%(176名)しかいない。3位フランスは28名で6.2%、4位スペインが26名で5.7%。今やブラジル人はプレミアリーグに必要不可欠な存在だ。
今夏も多くの選手がプレミアリーグにチャレンジするだろう。アタランタのMFエデルソンとユベントスのDFブレーメルは、チェルシー、アーセナル、マンチェスター・Cと長くリンクされ、次の夏こそ移籍実現との噂も聞こえてきた。
楽しみがまた増える。
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