和田一浩インタビュー(前編)
2023年から2年間、中日の打撃コーチを務めた和田一浩氏。昨年、チームは最下位に沈んだが、チーム打率はリーグ3位と成果をあげた。なかでも、現役ドラフトでDeNAから移籍してきた細川成也はチームの主力に成長し、石川昂弥、福永裕基といった若手も成長。和田氏の類まれな打撃技術をどのように伝えていたのか。
2023年から2年間、中日の打撃コーチを務めた和田一浩photo by Sankei Visual
【ヒットの延長がホームラン】
──和田さんは現役時代、あれだけのフルスイングをしても軸はまったくブレませんでした。
和田
イメージ的には、倒れてもすぐ立ち上がってくる"起き上がり小法師(こぼし)"という玩具ですよね。重心をしっかり下げてスイングしないといけないのですが、頭が動いてしまうと軸がブレてしまう。イメージとしては、頭を動かさないで眼球で投球を追いかけて振りにいく。
──和田さんは自分のスイングを「テニスのフォアハンドに似ている」と表現したこともありました。
和田
来るボールに対して、バットに100の力を伝え続けたいという考えがありました。別の表現をするなら、インパクトゾーンで押し込んでいくスイング軌道です。
──和田さんの通算打率.303は右打者では歴代6位。あの広いバンテリンドームでシーズン37本を含む通算319本。本塁打数の割に三振が少なく、率も残しました。
和田
球の少し下を叩いて、いいスピンの効いた打球を打つと落ちてきません。でも僕は、中村剛也くん(西武)や山川穂高くん(ソフトバンク)のように打球が上がるタイプではなく、ライナーが多いタイプの打者でした。だから、いい角度で上がった時はホームランになるけど、基本的にはアベレージヒッターで、「ヒットの延長がホームランになる」タイプの打者でした。
──なぜ、そんなに高打率を残せたのでしょうか。狙い球の絞り方は?
和田
基本はストレートを打ちにいきつつ、変化球に対応していくタイプでした。ただ投手のレベルが上がってくると、それでは対応できません。変化球を待ったり、しっかり狙い球を絞ることもありました。
──いわゆる「投手の決め球を待つ」ということですね。
和田
ただ変化球を狙っていてストレートに対応すると、タイミング的に差し込まれます。その時はよくても、僕の場合はそれをすると調子を崩しやすかった。だから、とにかく始動を早くしてストレートを待ってしっかりタイミングを取り、そこから対応していく。そのほうが1年間を通して好不調の波が抑えられ、いい結果を残すことができました。
【細川成也を育てた感覚はない】
──細川成也選手はバットを上下にヒッチさせたあと、オープンスタンスから振り抜く打撃フォームが和田さんそっくりです。2024年シーズンは2年連続20本塁打以上を達成するなど、チーム三冠。初のベストナインにも選出されました。
和田
僕はどの選手に対しても「この打撃フォームにしなさい」と言ったことはありません。僕の現役時代とは違って、今は情報が豊富で、コーチの話だけでなく選択肢がたくさんあります。細川の長所は、長打力、体の強さ、スイングの速さです。しかしDeNAに在籍した6年間はそこを生かしきれず、現役ドラフトで中日に移籍。ある意味、追い込まれた状況だったこともあり、すべてを僕にまかせてくれました。
──素質開花にあたり、どんなことをアドバイスしたのですか。
和田
彼はパワーがあったので、力で打とうとする力感をすごく求め、体を一生懸命使うことに注力していたのです。格闘技と違い、野球はボールやバットなど、道具を使う球技です。まず「バットをうまく使うための体の使い方」から始めました。
──具体的にはどういうことですか。
和田
簡単に言うなら、力まかせではなく、「軽い力でも打球を遠くに飛ばせる」「スイングは力じゃない」ということです。バットのグリップから引いてくる感覚、右ヒジをヘソの前に持ってくるという、いわゆる"インサイドアウト"ですね。この動作に取り組みました。
──現役ドラフトで移籍した細川選手が戦力として活躍されたことは、中日にとってはもちろん、野球界にとっても意義のある出来事だったと思います。
和田
ただ、僕自身は「育てた」という感覚はまったくありません。僕のアドバイスがきっかけで好成績を収めてくれましたが、細川がすごく努力した結果です。「言葉で伝える」というのは難しいものですね。細川には僕の言葉が響きましたが、ニュアンスの伝え方の大事さを再認識しました。
【「打球を転がせ」は打撃を衰退させる】
──中日の打者では、石川昂弥選手も期待のひとりです。
和田
彼も打球を上げるのがすごくうまい選手なんです。天性のものを持っています。体の回転スピードや瞬発力はまだまだですが、対応力がついてくるとすごい選手になる可能性を秘めています。
──昨年112試合に出場した田中幹也選手は、シュアでしぶとい打撃が持ち味です。
和田
田中は、ミート力はすごくあるのですが、パワーがない分、プロの150キロを超すスピードに対して力負けしないようなスイングの強さをつけなくてはなりません。
──福永裕基選手は思いきりがいいですね。
和田
福永はパワーがあるので、柔らかさが加われば力を入れるタイミングが変わってきて、いろいろな投球に対応できるでしょう。わかりやすく例えると、金槌で釘を叩く時、無意識に指と手首を柔らかく使って、しなるようにして釘を打ちます。道具を使って力をうまく伝えるというのは、そういうことなのです。
──それぞれに合った指導をされたと思うのですが、共通する教えもあったのですか。
和田
あくまで投手主導なので、打者はしっかりタイミングを取ること。最近はランナーなしの場面でもクイックで投球してきたり、打者のタイミングを外してきますから。とにかく、このへんに投球が来たら打つという"目つけ"をしておいて、全球打ちにいく準備をしておく。スイングする際は、体をしっかり使って、強くする。かつては、小柄な選手や足の速い選手は「打球を転がせ」と言われていましたが、それは打撃を衰退させる原因になると思います。
──中日の打撃コーチを2年間務めましたが、あらためて振り返ってみていかがでしたか。
和田
一概に打撃コーチといっても、技術を教えたり、配球を教えたり、小技などのチーム打撃を教えたり、多岐にわたります。ただ、いかに点を取るかということに特化した場合、点が取れなかったなという気持ちはあります。
──ただ、広いバンテリンドームを本拠地としているなど、なかなか厳しいところはありますが、それでも若手の成長は大いなる成果だと思います。
和田
選手たちは昨年の秋季キャンプ、2月の春季キャンプで自らの課題を自覚して、練習に取り組んでくれたと思います。今シーズン、さらなる飛躍を祈っています。
つづく
和田一浩(わだ・かずひろ)
/1972年6月19日、岐阜県出身。県岐阜商から東北福祉大、神戸製鋼を経て、96年のドラフトで西武から4位指名を受け入団。30 歳でレギュラーに定着し、リーグ優勝、日本一に貢献したほか、2004年アテネ五輪、06年第1回 WBC では日本代表として日の丸を背負ってプレーした。08年からはFA 移籍で中日ドラゴンズへ。15年には史上最年長で2000本安打を達成し、名球会入りを果たした。引退後は野球解説者として活動する傍ら、少年野球の指導、講演などで活躍。23年から24年まで中日一軍打撃コーチを務めた
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