レースで使われ、クラッシュや修理を経験してきたジャガーDタイプが、2024年のペブルビーチでクラス最優秀賞に輝いた。その革新的なレストアの裏側に迫る。
【画像】当時の組立作業の写真を参照して、ジャガーDタイプの正確性を革新的なレベルにまで高める(写真9点)マルホランド・ドライブは、ロサンゼルスのサンセット・ブールバードからハリウッドヒルズの頂上まで続く曲がりくねった山道だ。その舗装自体が驚くほど”クラシック”で、ショッキングなまでに変わっていない。ジェームズ・ディーンやスティーブ・マックイーンが、ツイスティーなカーブやヘアピンで度胸とマシンを試した頃のままだ。この道沿いには住宅もあり、同じくらい伝説的なミッドセンチュリーの巨匠、リチャード・ノイトラやジョン・ロートナーが手がけた邸宅が点在する。
頂上近く、雄大なサンガブリエル山脈からふもとのサンフェルナンド・バレーを見わたせる位置に、ロートナーが1956年に設計したミッドセンチュリーの傑作、ハーペルハウスが建つ。この家に住むのがマーク・ハダウィーだ。彼は、ロサンゼルスでもとくに名高いミッドセンチュリーの建物を修復してキャリアを築いた。ハーペルハウスもそのひとつだ。この家を2005年に購入すると、2年を費やしてロートナーの当初のビジョンどおりに復元した。照明やドアハンドルといった細部に至るまで、すべて正確に再現したのである。
「私は、過去の写真や設計図を基にして、建設当時の姿に戻した。今のやり方や可能な方法を使って現代版にするのではなくてね」とハダウィーは語る。この家には調和が漂っている。新しい部分と古い部分が混然一体となり、ただありのままに受け入れられるのだ。
家の外には、ロートナーによる放射状の梁の下に、ハダウィーの最新のプロジェクト、1955年のジャガーDタイプが鎮座する。この車は、イギリスのCKLディヴェロプメンツで6カ月間のレストアを受けたあと、すぐにペブルビーチに出品されて、戦後のスポーツレーシングクラスで最優秀賞に輝いた。ハーペルハウスとの共通点は明らかだ。どちらも誕生当時の姿で甦り、その歴史への忠実さで、従来の基準を引き上げた。
ハダウィーは、シャシーナンバーXKD 526が2023年に届くと、ドライブウェイに立ち、初納車の際に撮影された1955年の写真や、レースで駆け回っていた1956年の写真と、時間をかけてじっくり見比べた。実際に車を目の前に置いて、過去の写真と並べてみると、「それほど時間をかけなくても、私にいわせれば間違っている点や修正したい点がたくさんあることが分かった」とハダウィーは話す。
すでに端正な姿だったが、満足はしない
この車は、オーストラリア最初のDタイプとして、ブリスベンのジャガーディーラー、アンダーソンズ・エージェンシーに納車され、そのショールームで1955年末に写真が撮られた。1956年からは、経営者のシリル・アンダーソンの妻ドリス、通称”ゴーディー”のドライブでレースに出走し、見事な結果を収め、記録もいくつか作った。その後もオーストラリアで長いレースキャリアを築き、1961年にはハードトップを装着して、オーストラリアGT選手権も制覇した。クラッシュしてリビルドされたことも2度ある。最初は1956~57年、2度目は1962~65年だ。板金作業で元どおりに成形されたが、オリジナルとまったく同じではなかった。フェンダーやボンネット、フロントのエアインテークの形が、わずかに変わってしまったのである。
それでも端正な姿だったが、ハダウィーは満足しなかった。イギリスのスペシャリスト、マーク・ヒューズとクリス・キース-ルーカスと手を組んで、XKD 526を分解し、レースでクラッシュする前の1956年の姿に正確にレストアすることにした。25年前にCKLディヴェロプメンツを創業したキース-ルーカスは、このレストアの鍵を握るコンサルタントの役割を担った。プロジェクトを取り仕切ったヒューズにとっては、初めて手がけるDタイプだった。
まず調査から取り掛かった。ハダウィーはこう指摘する。「Dタイプの驚くべきところは、ハンドメイドにもかかわらず、どの車もディテールに非常に一貫性があったことだ。当時競い合った多くのスポーツレーシングカーとは違う。職人がその日の気分でやり方を変えたせいで1台1台が異なるといったことは、Dタイプにはなかった。Dタイプは、リベットをはじめ様々なディテールについて、明確な目的を持って組み立てられていた。だから、ある車がほかの車と大きく異なることはない。相違点があるとすれば、それは長年の間に変わってしまったんだ」
チームは量産型Dタイプを基準にしたが、ほとんどのDタイプは過去に破損して修理されているし、たいてい1回はレストアを受けているので、このプロジェクトの鍵となる、オリジナルの正しい基準となるものを探し出すのは困難だろうと思われた。
しかし、ハダウィーの友人が未レストアのDタイプ、シャシーナンバーXKD 524を所有しており、写真を提供してくれた。また、同じカリフォルニア州に住むビル・ルックリッジとジェレミー・マクチェズニーの助けも借りた。彼らは、見事にオリジナルの状態を維持したシャシーナンバーXKD 531について研究したことがあったからだ。イギリスでは、CKLがそのデータベースを駆使して、参考になるとびきりよい写真を見つけ出した。著名なDタイプが、オリジナルの状態で発見されたときの写真だ。研究対象は、XKD 526を含め、5台を数えた。
ここから6カ月の間に、1400枚を超える写真がハダウィーとヒューズの間を行き来し、二人は1日に3回も話し合った。これは双方向の関係だった。CKLのチームは知識と経験を伝え、ハダウィーはレストアラーが長年培ってきた常識に疑問を投げかけた。
CKLでは、既に前オーナーのときに、フロントストラクチャーの修理を行っていた。オリジナルのフロントサブフレームは、クロムモリブデン鋼を熱処理したレイノルズ531と呼ばれる鋼管でできており、それを直してまっすぐにして、オリジナルのアルミニウム製モノコックタブと再び接合したのである。Dタイプでオリジナルのフロントサブフレームが残っているのはめずらしい。当時ファクトリーでは交換アイテムと見なされていたからだ。スペアのフレームがないときには別のDタイプと交換することさえあった。
モノコックは1981年にオーストラリアで修理されたが、使われたのは飛行機用リベットで、大きすぎる上に頭部の形状が明らかに違った。また、リベットの配置も”整理”されていた。これを修正するため、CKLではモノコックストラクチャーのリベットを外し、オリジナルのボディパネルを取り外して、ボディを収縮させて正しいフォルムに戻し、これに合わせてフレームを組み直した。
ある重要なディテールを再現
Dタイプには1台に約3000本のリベットが使われているが、これまで、オリジナルの位置は場当たり的なものと考えられていた。だからレストアラーは改善してやろうと考えがちだったのだ。ところが調査の結果、リベットは明確な目的を持って一貫した位置に打たれていた。現代人にとっては必ずしも想定どおりの位置ではないだけのことだ。クリスとマークは今回のレストアで、ある重要なディテールを再現した。フロントのバルクヘッドと接するモノコック下部のパネルに、小さなステップを設けたのだ。これはオリジナルのDタイプには見られるが、レストアされたDタイプではほぼ確実になくなっている。
XKD 526のボンネットには1955年のアルミニウムがそのまま使われているが、40年前の修理でパワーバルジが拡大され、フェンダーのシルエットが変わり、開口部の楕円形もゆがんでいた。また、フェンダー内部の泥よけは、不必要に形が変えられ、スポット溶接からリベット留めに変わっていた。ルーバーパネルに至っては、サイズも形状も固定方法も間違っていた。これらはすべて取り外し、もろくなった70年前のアルミニウムを焼きなまして作業ができる状態にしてから、収縮させてハンマーで元の形に戻した。1980年代のリベット穴は溶接で埋め、研磨して正しい厚さに整えた。
内部パネルはスポット溶接で外部パネルに接合した。それが1955年にジャガーで行われた方法だったからだ。つい最近まで、これほど大きくて古いアルミニウムパネルにスポット溶接を施すことは不可能だったが、CKLでは必要な技術を開発済みだった。どの工程も、金属加工の熟練の技を必要とし、それを板金の匠であるジョン・スミスが率いた。
「サイズの間違いを修正し、リベットとスポット溶接の種類や位置を正すために、構造部分をすべて分解した。修正作業が済むと、オリジナルとまったく同じ方法で再び組み立てた」とハダウィーは説明する。
塗装を剥がしてベアメタルの状態に戻し、オリジナルと寸分違わぬ姿に戻したので、CKLではすべてのパネルを精密に分析できた。その結果、過去に修理は受けたものの、ボンネットもモノコックもテール部分も、すべてオリジナルであることが確認できた。CKLのワークショップで、XKD 526のパネルの下に隠れた細部への作業が続く間、ハダウィーは送られてきた写真を拡大して、あらゆるディテールをチェックした。「修正作業がこれほど複雑で熱のこもったものになったことはありません」とマーク・ヒューズは話す。
ウィンドスクリーンの新事実も判明
従来の常識に疑問が投げかけられ、ひっくり返された例がもうひとつある。それは、Dタイプの象徴ともいえるウィンドスクリーンだ。問題は3点あった。パースペックス製スクリーン自体の高さと上部の傾斜、スクリーンの下部をボディワークに接合するアルミニウム製フランジの構造、そして、フランジのどちら側にスクリーンを接合すべきかだ。
ハダウィーは、レストア済みのDタイプでは、ほとんどのスクリーンが当時の写真とかなり異なっていることに気づき、オリジナルのウィンドスクリーンの型を使って、自分のDタイプ用に新たに製作してもらった。すると、納車当時の写真とまったく同じ見た目になった。スクリーンは大幅に高くなり、上端はほとんど水平だ。対して、過去に使われていたレプリカのスクリーンは、オリジナルより低く、スクリーンの基部のボディワークに合わせて、わずかに傾斜が付いていた。
チームの調査で、スクリーンとボディワークを接合するアルミニウム製フランジは、3個のパーツで構成されていたことが判明した。これまでほとんどのレストアでは、馬蹄形に成形した1個のパーツが使われていた。最も顕著な違いは、これまではパースペックスが差し込めるように設けた金属の溝にフランジを配置し、パースペックスをその外側に装着していた点だ。スクリーンを交換する際にこのように装着された例はあるものの、記録を調べると、ファクトリーではパースペックスをフランジの内側に装着していたことが明らかになった。
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後編に続く。
翻訳:木下 恵Translation: Megumi KINOSHITA
Words: Simon AldridgePhotography: Evan Klein
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