デビュー2年目で優秀新人選手賞を獲得した熊谷芽緯photo by Gunki Hiroshi
【受賞はご褒美】「思い返せば『逃げて勝ちたい』と宣言してから、なんとかそれを貫き通しているので、そのご褒美かなと思います」
2024年のガールズケイリン優秀新人選手賞に輝いた熊谷芽緯(岩手・124期)は、受賞の喜びをこう語って満面の笑みを浮かべた。彼女のレースを見れば一目瞭然だが、ほとんどのレースで先行してそのまま逃げ切ることを目指し、2024年は3度の優勝を飾った。潔いほどのそのレーススタイルの意図を聞くと......。
「もう我慢できないんですよね。(距離が短い)333mのバンクだったら、余計、行っちゃったほうがいいんじゃないかなという気持ちになって。だからもう『行っちゃえ!』みたいなレースになっちゃう。そうしたら結果もついてきて、脚(力)も強くなってきました」
強豪選手とのレースであっても決してひるむことなく、とにかく自ら仕掛けていく。彼女の姿を追っていると、その時々の気持ちが手に取るようにわかるレースをする。そうして優勝回数を重ねるごとに、どんな相手にも「怖がらなくなった」と言う。その怖いもの知らずの走りから、アスリート独特のピリピリするようなオーラをまとっているかと思いきや、真逆であることに驚かされる。
彼女の言葉や表情からは鬼気迫るものやにじみ出る闘志をほとんど感じることができない。虚勢を張る様子もなく、努力や根性を読み取ることもできない。勝負師とはほど遠い存在にさえ見える。
熊谷の性格を表現するなら、天真爛漫。相手の言葉を素直に聞き、天性の明るさで周りを笑顔にする存在だ。そんな彼女の柔らかく和やかな雰囲気を象徴するのが、リフレッシュ方法。「私は練習ばっかりだと絶対にやっていけない」ため、きっちりと休みを取るようにしているという。
「休みの日は、いっぱい食べて、ショッピングをして、家でゴロゴロしています。あとは自然を感じるのが好きで、ひとりで農場に行って牛を見たりしています。緑がいっぱいで風が気持ちよく吹くなかで、この牛たちはたぶんこう思っているんだろうなと想像したりしています。牛もマイペースですが、私もだいぶマイペースなので、牛に対して同じ何かを感じますね」
普段の熊谷は乳牛のようで、レースでは闘牛なのかと想像力が膨らむような答えに、聞いているほうが笑ってしまう。人を和やかな気持ちにさせる彼女は、どのようにして優秀新人選手賞を受賞するまでになったのか。熊谷のルーツから探ってみた。
終始笑顔を絶やさない熊谷photo by Gunki Hiroshi
【恵まれた環境で練習した高校時代】自然豊かな岩手で育った熊谷は、中学から姉の影響でソフトボールを始める。
「本当は右利きなんですが、『あなたは左です!』と言われて、左投げのピッチャーをやっていました。言うことは聞こうかなと思ったし、がんばったらできるかなと思いました」
右打ちのバッターが左打ちに転向することはよくあるが、右投げを左投げに変えるのは、感覚的にかなり違和感がある。熊谷もそれを感じていたが、先生の言うことを素直に聞き入れ、懸命に練習に励んだ。
半ば強制的な左投げだったにも関わらず、「結構いい球は投げていたと思います。ソフトボールで高校への推薦の話もあって、そこの先生から『ぜひ(来て)』と言われていましたから」と言う。恐るべきポテンシャルの高さだ。
ソフトボールで自信を深め、高校でも続けようと考えていたが、中学3年の夏に開催された「ガールズサマーキャンプ」(現トラックサイクリングキャンプ)に参加したことで、自転車競技への興味が膨らんでいった。
「ソフトボールをやろうと思っていましたが、新しい競技もいいなと思ったので、紫波総合高校の自転車競技部に入りました。その高校は家からすごく近くて、練習の環境が整っていたのもよかったです」
同高校は現在男子のナショナルチームに所属している中野慎詞(岩手・121期/2024年国際賞受賞)の母校で、自転車競技の名門校だ。近隣に紫波自転車競技場もあり、競技に集中できる環境が整っていた。もちろん、熊谷は始めたばかりだったため、最初から順調だったわけではない。
「練習は男子とやることがあって、なかなかついていけなくて、どうしようと思ったことが多かったです。だから、部活が終わってから、家で筋トレもやっていました。高校1年のときは結果を出せなかったんですけど、結構がんばっていたと思います」
その甲斐があって、高校2年で早くも結果を出す。全日本自転車競技選手権大会トラックレース(ジュニア)ケイリンで3位の成績を残した。さらに3年時も同大会のスプリントで3位となった。
ガールズケイリンの選手になる夢は自転車競技を始めた当初から持っており、高校3年時には日本競輪選手養成所の試験を受けた。ただ、不安は大きかった。
「競技のほうは大丈夫だろうと思っていましたが、勉強のほうは自信がなかったので、とにかく作文と面接で自分を売ろうと。だから面接で『早く養成所に行きたいです!』と言いました。そうしたら面接官の方々が『おー!』とのけぞっている感じで。だいぶ引いていたと思います」
握りこぶしとともに『早く養成所に行きたいです』と威勢よく語る姿は、確かに面接には似つかわしくないほどのアピール。その意気込みが通じたのか、それとも成績がよかったのか、無事に入所することができた。
オンとオフを大切にするphoto by Gunki Hiroshi
【メンタルが鍛えられた養成所時代】養成所は競輪選手になるための厳しい訓練と学科課業の日々。競走訓練や記録会などでの順位やタイムで能力が評価されるシビアな世界だ。ひとりひとりが決死の覚悟で入学してくるなか、熊谷には心がけていたある思いがあった。それが「みんなと仲良く楽しむこと」。花の学園生活を思わせるような言葉だが、そこには理由があった。
「人間関係によるストレスがかかることによって気持ちが落ちてしまって、タイムも落ちることがあるかもしれないと考えていました。だから、仲良くして、みんなで切磋琢磨して、ストレスのない生活を送ることで、自分も強くなれるんじゃないかと思いました。養成所では個々のタイムが重要になりますが、チームとして考えないといけないかなと思っていたので、みんなと積極的にコミュニケーションを取っていました」
熊谷はリーダー的なタイプではなく、あくまでチームの輪を作り出す盛り上げ役。時には得意の変顔をして周囲を和ませていたという。そうして自ら競技に集中できる環境を整えながら努力を重ねたが、すぐに思うような結果を出せたわけではなかった。
養成所では全3回の記録会があり、その成績別に色の違う帽子が与えられる。上から金、白、黒、赤、青の順だ。熊谷は第1回目の記録会で最低レベルの青となってしまった。「スピード、持久力ともに劣る者」という評価だ。
「悔しいと思いましたし、甘くはないなとも思いました。そこから改めて心を入れ替えました。言われたメニューに集中して、そこで120%出し切るように意識していました」
その結果、第2回記録会では白帽を獲得。「着実にステップアップできている」と安堵した。しかし第3回目では白帽に届かなかった。
「1種目だけ0.001秒足りなくて......。落ち込みましたが、どこかで甘えが出ていたんじゃないかなと思いますし、選手になってからは絶対にこういう思いをしたくないと思いました。今となっては逆によかったかなと思います。養成所で悔しい思いができたおかげで、今少しずつ成績がついてきているんだと思います」
養成所での順位も23人中8位と目指していたトップ3には入れなかった。これらの経験を本人は「メンタルトレーニングだった」と振り返っている。
変顔も得意だという熊谷photo by Gunki Hiroshi
【「きっとできる」と前進】悔しい思いを抱えながら養成所を卒業した熊谷は、最初のレースとなったルーキーシリーズの3開催目(6月)で優勝を果たす。ここで「力がついてきているなとひと安心した」が、7月にその気持ちはもろくも打ち砕かれる。
「最初の予選で石井寛子(東京・104期)さんと同レースで6着となり、こんなに厳しいんだと思い知らされました。『あなたはまだ安心できません』と言われたみたいで」
石井は、2024年のガールズグランプリ覇者の大ベテラン。熊谷はそのレースで先行逃げ切りを目指し、残り1周から力強く踏み出したが、第3コーナーで石井にかわされると、あとは引き離される一方。力の差をまざまざと見せつけられた。
熊谷はその後も6着、7着が多く、そのたびに悔しさがこみ上げてきたが、「大丈夫、がんばればきっとできる」と自分に言い聞かせた。また、母から教えてもらった「らしくあれ」という言葉も後押しとなった。「全力を出し切って自分らしい走りができたら、前向きに次のレースに向かえたし、気持ちも切り替えられるようになりました」と語る。
「高校時代は本当にメンタルが弱かったんです。大会の回数が少ないので、余計にここで勝たなきゃと気持ちが入りすぎてしまって......。結局、負けて泣いて、立ち直れなかったんです。でも、ガールズケイリンはすぐに次の開催がくる。だから、泣いている暇なんてないぞと思って、めちゃくちゃ気持ちが強くなったと思います」
そうして1年かけてメンタルを強化させていくと、デビュー2年目の2024年11月に、初めてGⅠ開催に出場できた。「こんなに早くにGⅠに出場できるとは思わなかった」と喜んで挑んだのが、競輪祭女子王座戦だった。優勝者には最高峰のレース「ガールズグランプリ2024」への出場権が与えられる重要な開催で、出場できるのは選抜された28選手のみ。ここでも彼女は並みいる強豪選手のなかで自身のスタイルを貫いた。
「怖さもありましたけど、もう逆に吹っ切れていて、強い人しかいないから自分らしいレースをしようと思いました。だから前を取って突っ張って逃げたいと。それで2日目に3着に入れたのが、すごくうれしかったです。結果はどうであれ、怖がらずに自分の走りができたことはすごく自信になりました」
今後の目標は「すべてのGⅠに出場すること」。そして、「絶対にガールズグランプリには出たい」と意気込む。
終始明るい表情を崩さず、「悔しい」と語る言葉も笑顔で包み込んでしまう熊谷。近くにいるとその深度を計りかねるが、彼女の成長曲線が、悔しさの度合いと努力の量を物語っている。アスリート然としない異質のスタンスで成長を遂げてきた熊谷。彼女が今後、どのような感性で壁に挑み、階段を上っていくのか、楽しみに見守りたい。
将来の目標はガールズグランプリへの出場photo by Gunki Hiroshi
【Profile】
熊谷芽緯(くまがい・めい)
2003年11月6日生まれ、岩手県出身。中学時代はソフトボールに励み、高校から自転車競技を始める。2年時に全日本自転車競技選手権大会トラックレース(ジュニア)ケイリン3位、3年時に同大会のスプリントで3位と結果を残す。高校卒業後に日本競輪選手養成所に入り、在所成績8位で卒業。2024年に3度優勝し、11月にGⅠ開催「競輪祭女子王座戦」に出場する。2024年ガールズケイリン優秀新人選手賞に輝いた。
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