ヤクルト・村上宗隆が、今シーズン終了後のメジャー挑戦を公言している。ヤクルトにとって「ポスト村上」の育成は最重要課題である。そこで野村克也監督時代に打撃コーチとしてヤクルト黄金期を支えた伊勢孝夫氏が、宮崎・西都でキャンプを張るヤクルト二軍を視察。はたして、「ポスト村上」候補はいたのだろうか。
キャンプ序盤は二軍で調整を行なっていたヤクルト・村上宗隆photo by Sankei Vusual
【ポスト村上の有望株は?】キャンプを視察する際、特定の選手を注視する場合と、先入観を持たずに全体を見る場合とがある。評論家としてチームの練習を視察できる時間は限られており、その短い時間のなかで、どの選手がどのようなプレーをしているのかを見極めることが求められるわけだ。
2月上旬、私はヤクルトの二軍キャンプが行なわれている西都を訪れた。ここに来るのは約10年ぶりだ。私がヤクルトの打撃コーチを務めていた頃は、一軍のキャンプも西都で行なわれていたが、現在は沖縄・浦添に移り、今は二軍のみだ。
グラウンドに足を踏み入れると、懐かしい顔ぶれが揃っていた。池山隆寛、城石憲之、土橋勝征......かつては一緒に戦い、苦楽をともにした選手たちだ。彼らが今は二軍監督、コーチとして、次世代の育成に励んでいる。
練習中の彼らの表情には指導者としての責任感がにじみ、頼もしさを感じた。二軍監督の池山はバッティングピッチャーも務め、精力的に動いている姿が印象的だった。
しかし、私が西都を訪れたのは懐かしさに浸るためではない。ヤクルトの未来を担う若手選手たちの姿を確認するためだ。
私は馴染みのコーチたちに「有望な若手はいるか?」と尋ねた。しかし、返ってきたのは苦笑い。「村上の穴をどう埋めるんだ?」とさらに問いかけると、「ムネ(村上)の穴は埋められませんよ」との答えが返ってきた。「それはそうだが、今から対策を立てないと、後々苦しむことになるぞ」と続けても、コーチたちはまた苦笑するばかりだった。
ヤクルトの次世代を担う選手を挙げるとすると、まず長岡秀樹の名前が浮かぶ。昨年はフル出場(143試合)を果たし、セ・リーグ最多安打(163安打)のタイトルを獲得して、ベストナインにも選出された。しかし村上とはタイプの異なる打者で、首脳陣からすればやはり長距離が打てる打者の出現を期待したいところだ。
3年目の澤井廉も期待されているが、まだレギュラー争いにすら加わっていないのが現状だ。将来を見据えるならば、次々と名前が挙がるくらいの層の厚さが必要だ。しかし今のヤクルトは、一軍の浦添組ですら人材不足が目立つ状況で、二軍の西都も同様だった。
特に村上のような長距離砲の穴を埋めるのは、コーチの指導だけで解決できる問題ではない。まずはスカウティングから見直す必要がある。長距離砲候補を定期的に指名し、数年後、一軍で活躍できるどのように育成していくのか、まずはチームの方針を確立すべきだ。
【二軍は技術を盗む場でもある】今回、偶然にも二軍で調整していた村上のバッティング練習を見ることができた。オフに右ヒジのクリーニング手術を受けた影響でキャンプは二軍スタートとなったが、いい感じでバットが出ていた。無理なく、力まず、丁寧に、あくまでしっかり叩くことに集中していた。だからバットはスムーズに出るから、ボールはいい回転で飛んでいく。特にレフト方向にしっかり打っているのを見て、安心した。これこそが村上の持ち味であり、順調な調整ぶりがうかがえた。
西都という静かな環境で練習に集中できたことは、村上にとってよかったのではないか。あくまでリハビリの一環だったわけだが、気持ちの面でもプラスに働いたのではないか。自分のやるべきことに集中して取り組めている印象を受けた。
練習後、少しだけ村上と話をする機会があった。あいさつ程度のたわいもない会話だったが、話の途中で彼のバットを握らせてもらうと、グリップが以前よりも太くなっているように感じた。おそらく2ミリほどの違いだろうが、ヘッドを効かせる細いグリップを想像していたため意外に感じたものだ。
一般的にグリップを細くすれば、バットのヘッドが走りやすく、飛距離が出ると言われている。ただ村上はヘッドを効かせることよりも、バットコントロールのしやすさを優先したのだろう。村上ほどの打者であれば、芯でとらえることができれば簡単にフェンスオーバーできる。それよりも昨年の打率.244を改善するため、コントロールしやすいバットを選んだのは想像に難くない。
それにしても今回、西都を訪れて思ってことは、なぜ若手選手たちは村上から学ぼうとしないのか、ということだ。二軍はアピールの場であると同時に、技術を盗むチャンスの場でもある。しかも村上という最高のお手本が、普段ならいるはずもない二軍の場にいるのだ。
村上に聞くと「あまり質問してこない」という。私が西都に訪れたのはキャンプ序盤で、若手たちもまだ戸惑っていたのかもしれない。それでもこんな機会はめったにあるわけではない。遠慮などしている場合ではないと思うのだが......じつにもったいない話である。
最近は、プロに入っただけで満足してしまう選手が多いという話を聞いたことがある。これはヤクルトに限らず、プロ野球全体の課題である。ファンは新たなスターを待っているし、そういう選手の出現がプロ野球の活性化にもつながっていくのである。少し厳しい言葉になるが、一軍で活躍してこそ初めてプロ野球選手と言えるのではないか。そこだけは忘れてほしくない。
伊勢孝夫(いせ・たかお)
/1944年12月18日、兵庫県出身。63年に近鉄に投手として入団し、66年に野手に転向した。現役時代は勝負強い打撃で「伊勢大明神」と呼ばれ、近鉄、ヤクルトで活躍。現役引退後はヤクルトで野村克也監督の下、打撃コーチを務め、92、93、95年と3度の優勝に貢献。その後、近鉄や巨人でもリーグを制覇し優勝請負人の異名をとるなど、半世紀にわたりプロ野球に人生を捧げた伝説の名コーチ。現在はプロ野球解説者として活躍する傍ら、大阪観光大学の特別アドバイザーを務めるなど、指導者としても活躍している
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