つば九郎が語っていた夢「いしかわくんの200しょうのはなたばをわたすこと」連載担当記者が振り返る取材の思い出

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つば九郎が語っていた夢「いしかわくんの200しょうのはなたばをわたすこと」連載担当記者が振り返る取材の思い出

2月20日(木) 9:55

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ヤクルトの人気マスコット「つば九郎」の担当スタッフが死去したことが、2月19日に発表された。スポルティーバでは2022年9月から1年以上にわたり『つば九郎の人生相談〜とりですが。』の企画を連載していた。今回、連載に関わっていた長谷川晶一氏に、取材時の思い出を振り返ってもらった。

ヤクルトの人気マスコットとして絶大な人気を誇るつば九郎photo by Sano Miki

ヤクルトの人気マスコットとして絶大な人気を誇るつば九郎photo by Sano Miki





【つば九郎の「話し相手」として...】スポルティーバ編集部から連絡をもらったのは、2022年9月のことだった。そこには、こんな内容のことが書かれていた。

「今度、『つば九郎の人生相談〜とりですが。』連載が始まります。先日、最初の取材を行ったのですが、つば九郎の話し相手がいたほうが会話も盛り上がり、いろいろな回答が引き出せると思うので、ぜひ次回から取材現場に同席していただけませんか?」

こうして僕は「つば九郎の話し相手」として、この連載に関わらせてもらうことになった。それまで、神宮球場ではいつもその姿を見ていた。あるイベントで一緒になったこともあった。だけど、じっくり向かい合うのは初めてのことだった。長年ライターを続けてきたけれど、マスコットに話を聞くのも初めての経験だった。こうして僕は、若干の緊張感とともに神宮球場に向かった。

指定された部屋で待っていると、大きなおなかを左右に揺らしながら、つば九郎が現れた。慌てて立ち上がり、あらためてあいさつをする。すると、つば九郎は突然、不思議なジェスチャーを始めた。自分の右手で左手前腕部をポンポンと叩き、そして僕のことを指さすのだ。そんな動作を何回も繰り返している。

はじめは意味がわからなかった。キョトンとしていると、今度は鉛筆を持って何かを書いているジェスチャーも加わった。そうして、ようやく理解した。それは「いつも読んでるよ、なかなか腕がいいね」という最大の賛辞だったのだ。一瞬にして心をわしづかみにされた瞬間だった。以来、2カ月に一度程度の頻度で、神宮球場の一室でつば九郎と向き合うことになった。

取材現場では、いつもこんなやり取りが繰り広げられた。あらかじめ読者からの「相談内容」を伝えておくと、彼は事前にスケッチブックにその回答を書いていてくれた。それを受けて、「それはどういうことですか?」「でも、こんなケースもあるんじゃないですか?」「それはつば九郎だから許されることだけど、普通の人はなかなかそうはできないですよ」などなど、僕が相づちを入れたり、反論したり、茶々を入れたりしながら「会話」は進んでいく。

もちろん、台本なんかない。すべてその場のアドリブだ。この「会話」を通じて、僕はつくづく実感していた。

(本当に頭の回転が速いなぁ......)

【つば九郎が語っていた夢】スワローズからの公式発表によれば、つば九郎の今後については「しばらくの間休止となることをお知らせします」とある。今後、どのようになるのかはわからないけれど、あらためてスポルティーバの公式サイトにアクセスした。

そこには65回分の人生相談、そして1回分の番外編、全66本の記事が並んでいた。その一つひとつを読み返していくと、取材時の光景が鮮やかによみがえってくる。つば九郎の話し相手を務めていて、僕は「ある事実」に気がついた。

それは、「恋愛相談になると、途端に悩み始める」ということだ。仕事について、友人関係についての質問に対しては、スラスラと答えが出てくるし、「会話」のラリーも続くのに、こと恋愛相談になると、スケッチブックを手にしたまま、「ウーン」と首をひねる時間が長くなるのだ。その点を突っ込むと、「だって、あまり経験がないんだもん......」と頭を抱えている姿はかわいらしかった(笑)。

印象に残っている回答はたくさんある。例えば、「仕事でストレスを抱えている」という相談に対してつば九郎は言う。

すわろーずのおうえんをしよう!もっと すとれすをかんじるから(第10回)

この回答を聞いた時には、思わず吹き出してしまった。あるいは、「夢を持てない」というアラフォー男性の悩みを聞いた流れで、「つば九郎の夢は?」と尋ねた時のことも印象深い。この問いに対して、彼はこんなことを口にしている。

2000しあいしゅつじょうの、そのさきのゆめはなかったけど、いまのあたらしいゆめは、いしかわくん(石川雅規)の200しょうのはなたばをわたすこと。そのあとのことは、そのときむらかみくん(村上宗隆)がどうなっているかで〜かんがえる。(第14回)

石川雅規の200勝の花束を渡したい──。胸が苦しくなる言葉だ。......そうだ、このとき僕は無意識のうちに「一石三鳥」というフレーズを口にすると、即座に「そのことばは、しようきんし!とりにいしをなげないで!」と叱られたことを思い出した。確かに、鳥に対して「一石三鳥」とは失礼すぎる言葉だった。反省すると同時に、絶妙な返しにあらためて感心したものだった。

【つば九郎が語った 忘れられない 言葉...】そのなかでも、もっとも忘れられないのが「小学3年生の男の子」からの相談だ(第31回)。少年の悩みは、次のようなものだった。

「僕はまだ小学校3年生ですが、つば九郎が自分より先にいなくなるのが今から心配です。どうすればよいでしょうか」

この悩みに対して、はたしてどんな回答をするのか?興味津々だった。するとつば九郎は、それまでにない真面目なトーンで、こんな回答をする。

ものごとにはじゅんじょがあります。とうぜん、ぼくのほうがさきにいなくなるとおもうので、こころのじゅんびをしていてほしいな。

一瞬、言葉を失ってしまった。つば九郎の口から「死」に関する言葉が出てくるとは予想もしていなかったからだ。その後はいつものように絶妙なユーモアを交えながらの回答となったけれど、やはり最後も真面目なトーンで、こう結ぶ。

くれぐれも、ものごとにはじゅんばんがあるので、つばくろうよりさきにいかないように。

相談者である小学3年生の男の子は、この回答をどのように受け止めたのだろうか?そして今、つば九郎の担当スタッフの訃報を知って、どんな思いでいるのだろうか?想像しただけで、胸が締めつけられるような思いになる。前述したように、連載は第65回目まで続いた。連載の最後に「読者へのメッセージを」と頼むと、つば九郎はこう言った。

「なやんでるうちが はな。いきてます!!」いままで、ありがとう〜。また、あいましょう〜!

「また、あいましょう〜!」と、つば九郎は言った。今はまだ目の前の現実を受け入れることはできないけれど、またどこかでつば九郎に会えるんじゃないか、僕はそんな気がしている。

悲しみに包まれつつ、この「人生相談」連載を振り返ると、いつものつば九郎の姿が鮮やかによみがえってくる。今後、どうなるのかはまだわからないけれど、今はただ「ありがとう」と「お疲れさまでした」と言うことしかできない。本当にどうもありがとうございました──。

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