横浜DeNAベイスターズ・三浦大輔監督インタビュー(前編)
2024年のプロ野球の最高峰である日本シリーズを制したのは、DeNAだった。シーズン3位ながら、クライマックス・シリーズ(CS)で阪神、巨人を撃破。ソフトバンクとの日本シリーズでは本拠地で連敗を喫するも、そこから4連勝で一気に日本一へと駆け上がった。DeNAの指揮を執る三浦大輔監督はどのようにしてチームをまとめ、26年ぶりの日本一へと導いたのだろうか。
2024年、ベイスターズを26年ぶりの日本一へと導いた三浦大輔監督photo by Kai Keijiro
【ポストシーズンで加速した"横浜進化"】
──あらためて26年ぶりの日本シリーズ制覇、おめでとうございます!
三浦
ありがとうございます。26年ぶり......本当に長かったですね。1998年以来、久しぶりに味わったビールかけ。選手、コーチ、スタッフとはしゃぎまくった時間は、本当に幸せでしたし、すべてが報われた瞬間でした。
──クライマックスシリーズ(CS)のビールかけでは98年をともに戦った石井琢朗コーチと一緒にプールに飛び込んだり、本当にうれしそうでしたね。
三浦
あれをやりたかったんですよ(笑)。各テレビ局のインタビューでは、鈴木尚典コーチが後ろから付いてきて、頭からビールをかけられてね。本当に楽しかったですよ。
──ペナントレースを3位で終え、下克上を果たしたポストシーズン。怒涛の約20日間だったと思いますが、三浦監督は自分に何を言い聞かせながら、熾烈な日々を過ごしていましたか。
三浦
切り替えざるを得ない状況で挑んだ短期決戦。腹を括って、選手たちには「ミスは忘れろ」と言い続けました。ミスをしようとしてやっている人間は、うちのチームにはいません。だったら、もう忘れろ。終わりじゃない、負けじゃない、次があるんだから、と。
──とことん選手たちを信じたと?
三浦
ええ。そう言ったことで、逆にミスも減りましたし、反比例というか、疲労は間違いなくあるなかで、目の前の戦いに集中して、チームとして成長できた実感はありますね。
──まさに、チームスローガンである『横浜進化』ですね。
三浦
シーズン中も進化はしていましたが、特にポストシーズンでは、より加速して進化していったと思います。チームがひとつになっていくっていうのか、選手だけではなく我々もスタッフも、そしてファンの方々も。CSの甲子園、東京ドーム、そして日本シリーズの福岡。本拠地の応援もすごかったですが、敵地でもファンの声援が本当にすごくてビジターとは思えなかったし、本当に勇気をもらえました。
【チームを変えたベテラン勢の活躍】
──これまで大一番で勝てなかったベイスターズが、ここを勝ち切れた要因は何でしょうか。
三浦
記者会見などでもよく言っていますが、やはりチームの一体感を出せたことだったと思います。もちろん今までなかったわけじゃないけど、より強固になったのかな、と。自分の役割は何なのか、チームが勝つために今自分は何をすべきなのか。選手はもちろんコーチ、スタッフも高い意識を持って自分の役割を全力で果たした結果だったと思います。
──苦しい時は、誰かが誰かをカバーする献身力も見えました。
三浦
いい時ばかりじゃないですからね。シーズン中は連敗もありましたし、全員でもがき合うことができました。自分の責任や、なにができなかったのか、人のせいにしないで考えられたというのが大きかったと思います。
──特にポストシーズンは、CSでMVPの戸柱恭孝選手、日本シリーズMVPの桑原将志選手、そして今季チームに復帰した筒香嘉智選手などベテラン勢が活躍しました。ベンチを温めることが少なくなった選手たちの奮起に、三浦監督も思うところがあったのでは。
三浦
監督である自分が言うのもどうかと思いますけど、うれしかったですよ。シーズン中、なかなか出場機会がなかった選手たちですけど、どんな時でも常に変わらず準備をしてくれましたし、特に戸柱は普段から他の選手たちとコミュニケーションをとって、(山本)祐大や(伊藤)光が抜けたあともチームを引っ張ってくれました。普段からしっかり準備をしていなければあのようにはいきませんから、CSで戸柱がMVPを獲った時はうれしかったし、チームが盛り上がりました。
──キャプテン1年目の牧秀悟選手は、背中やプレーでチームを引っ張っていきたいと当初語っていましたが、シーズン後半からポストシーズンにかけては、プレーはもちろん自分の言葉でしっかりと問いかけ、チームをひとつの方向へ向かせる存在として成長しました。
三浦
苦しんでいた時期もあり、負担をかけてしまっているなと感じることもありましたが、筒香や佐野(恵太)といったキャプテン経験者がサポートしてくれました。牧自身も、もっと成長しなくてはいけないと、筒香たちにアドバイスを求めるなどしていたそうです。キャプテンとして大きく成長してくれたと思います。
──筒香選手の存在は、三浦監督から見ても大きかったですか。
三浦
もちろんです。筒香がいるだけで、チームが引き締まるというか、最初は本人もかなり気を遣いながらやっていたとは思いますが、目標であるチームが優勝するためというところで、自分の役割を理解しながら最後まで戦ってくれました。
1998年以来の日本一を達成し、胴上げされる三浦大輔監督photo by Sankei Visual
【胴上げの時に見た最高の景色】
──ペナントレースしかり、日本シリーズ制覇へ向かうにあたりケガ人も多く出ました。三浦監督は「無理をして出てもらっている選手もいる」とおっしゃっていましたが、心身ともにギリギリの勝負でしたね。
三浦
レギュラーで出ている選手でも、どこかにテーピングをしていたり、ケガを抱えながらプレーしている選手がほとんどでした。まあ、それぐらいの気持ちでないとレギュラーとして戦えないですから。ポストシーズンを見れば(タイラー・)オースティンは足の甲を痛めたなかでも、できることを最大限やってくれましたし、CSファーストの初戦で左腿裏を痛めた東(克樹)は、離脱しながらも「日本シリーズに間に合わせます」と、本来1カ月かかるケガを、トレーナーとともに回復に努め2週間ほどで復帰し、日本シリーズで勝利に導いてくれました。本当にみんな、いっぱいいっぱいだったと思います。
──三浦監督もそこはコミュニケーションを取りながら、選手たちを信じて託した。
三浦
選手たちは大変だったと思います。常に「明日のことを考えず、今日を出し切ってくれ」って言われるんですから。ヘトヘトになってようやく勝っても、「また明日全部出し切ってくれ」ですからね(苦笑)。本当に選手たちはよく頑張ってくれました。
──全員の力が合わさった日本シリーズ制覇。ホームの1、2戦を落とす厳しい展開でしたが、そこから4連勝で逆転をしてハマスタで戴冠。チームにとって非常に価値のある戦いだったと思いますが、戦術や作戦を練る以外、どんな思い出戦況を見つめていましたか。
三浦
1試合1試合の重みって言うんですかね......ふと思ったのは、98年の権藤(博)さんは、こんな気持ちで指揮を執っていたんだなってことですね。当時、第3戦で自分が投げたんですけど、どんな気持ちで見ていたんだろうとか、いろいろなことを考えました。だから、胴上げの時には両手の人差し指を立てたんです。
──ああ、権藤監督と一緒ですね。
三浦
ええ。もし胴上げしてもらえるのならば、俺もそうしようって思っていました。
──胴上げの時に見た景色はいかがでしたか。
三浦
最高の景色でした。本当にきれいな夜空でね。夢見心地じゃないですけど、周りの景色がスローモーションになって天にも昇る気持ちでした。これをまた味わいたいなって。
──今回、日本シリーズは制覇しましたが、ペナントでは3位。下剋上はなったものの、評価という意味では100%されてはいません。
三浦
そうおっしゃる方がいるのはわかります。だから我々としても、もうそこしかないなって。一昨年は交流戦優勝、昨年はCS優勝、日本シリーズ優勝しましたが、やはりもう一つ残っている。来年こそリーグ優勝を遂げ、日本シリーズ制覇を達成したい。選手たちの日本シリーズ後のコメントを見ても全員がその気持ちですし、昨年の経験を生かし今年1年戦っていきますよ。
つづく>>
三浦大輔(みうら・だいすけ)
/1973年12月25日、奈良県出身。高田商から91年のドラフトで横浜(現・DeNA)から6位指名を受け入団。4年目から先発ローテーションに定着し、97年には自身初の2ケタとなる10勝をマーク。98年には自己最多の12勝を挙げ、38年ぶりリーグ制覇、日本一に貢献した。2005年には最優秀防御率、最多奪三振のタイトルを獲得した。2016年に現役を引退し、19年にDeNAの一軍投手コーチ、20年に二軍監督を歴任し、21年から一軍監督として指揮を執っている
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