中村江里子、曾祖母との思い出を語る「泣きながら近所の家のベルをならし、救急車を呼んでもらいました」

※中村江里子オフィシャルブログより

中村江里子、曾祖母との思い出を語る「泣きながら近所の家のベルをならし、救急車を呼んでもらいました」

3月5日(火) 18:31

フリーアナウンサーでフランス在住の中村江里子が5日にアメブロを更新。曾祖母との思い出について語り、自身の教育論をつづった。

この日中村は「我が家は明治生まれの曾祖母、大正生まれの祖母、昭和生まれの両親と私たち3兄弟で一つ屋根の下に暮らしていました。」と明かし「小学生の時に、友人たちは夏休みや冬休みに「おじいちゃん、おばあちゃんのところに行く!!」と知り、“田舎”というものがあり、みんなそこに遊びに行くことを心待ちにしていること知りました。いいなあ~~~って思う反面、私はいつもおばあちゃまたちと一緒にいられる!!って・・思っていました。」と当時の心境をつづった。

また「曾祖母は心臓が悪く、外出は出来ず、ずっと家の中で生活をしていました。だから・・・子供の時から、常に誰かが“大きいおばあちゃま”(曾祖母をそう呼んでいました)のそばで一緒にお留守番をしていました。家の中を歩いていて、何かあったら大変だから。」とのことで「実際に私がカギをわすれてお稽古に行ってしまい、戻ってきてベルを何度もならしてしまいました。大きいおばあちゃまがゆっくりと歩きながら玄関まで出てきました。「うわ、やってしまった・・」って思った時には遅く、玄関の段差を降りようとしたときに胸をおさえて、うずくまってしまいました。泣きながら近所の家のベルをならし、救急車を呼んでもらいました。」とエピソードを紹介した。

続けて「あるとき、小さいおばあちゃま(祖母のことです)が言いました。「もし、地震や火事があったら、あなたたちはすぐに安全な場所にに避難しなさい。私はお母さまとこの家に残るから」地震の話をはなしていたときです。「小さいおばあちゃま、そんなこと言わないで!!みんなで大きいおばあちゃまを連れて逃げられれるよ」泣きながら小さいおばあちゃまに訴えました。だから・・地震や火事が絶対に起きないようにって祈っていました。」(原文ママ)と明かした。

中村は「私は自分が育ってきたこの愛しい家族は最高の家族だと思っています。」「でも家族の在り方はそれぞれ違うし、完璧な形なんてないですし、比較も出来ないですし、ほかの家族を批判することでもないですし・・・家族に限らず人それぞれ求めるものが違うし、きっと今は私が子供の時よりも様々な世界が広がり、たやすく情報を手に入れられ、そのために簡単に比較や批判ができるようになり、ある意味、窮屈になってきてしまったと思います。」と想いをつづった。

さらに「よく母が「子供は社会で育てるもの」と言っていました。家の中で育て、社会でほかの人たちとのかかわりの中でさらに大きく育てていただく。最近の日本のニュースを見ると、内臓をわしづかみされたような痛みや不快さ、言葉にならない様々な感情で一杯になります。今まではこういうことをしたら余計なお世話かな?とためらってしまったようなことも、今の時代は余計なお世話が必要なのだと。社会が守っていかないといけないのだと。ためらわずに行動できる勇気をもたなければと思っています。」と持論を展開してブログを締めくくった。

これに対してファンからは「江里子さんのお育ちになったご家族像、暖かくなりました」「本当に辛い酷い家族に関するニュースが最近多くて色々考えさせられます」「核家族で育ったので大家族って羨ましいです」「僕も大切な人には余計なお世話をどんどんやっていこうと思いました」などのコメントが寄せられている。

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