平井康三郎
ひらい・こうざぶろう作曲家
1910年9月10日、高知県出身の作曲家。2002年11月30日、東京にて没。34年、東京音楽学校(現・芸大)卒。ヴァイオリンをポーラックに、作曲と指揮をプリングスハイムに師事する。同学研究科在学中に交声曲「大いなる哉」で作曲家としてデビュー。36年には交声曲「不尽山をみて」が音楽コンクールで第1位を獲得、NHKの嘱託となり、数々の作品を発表した。また、弦楽四重奏団や合唱団を組織し、演奏、指揮活動も活発に行なった。作品には器楽曲、管弦楽曲も多いが、一般的には歌曲「平城山」などの歌曲作家として知られ、民謡の編曲による合唱曲も数多い。ドイツ・ロマン派の影響を受けながらも、邦楽の要素を加えた作風で、黎明期の邦人合唱界を支えた作曲家の一人。47年以降は、文部省教科書編纂委員として、音楽教科書編纂にも携わる一方、65年、〈詩と音楽の会〉を結成し、日本の新しい歌曲、合唱曲の創作運動を行なった。73年に紫綬褒章、83年には勲四等旭日小綬章。
- 出身地
- 高知県吾川郡伊野町(現・いの町)
- 誕生日
- 1910年9月10日
- 星座
- おとめ座