くりすちゃん・らるでミュージシャン
1951年ジュネーヴ国際コンクールでグランプリを獲得後、アイルランド・ラジオ放送管、コロンヌ管の首席奏者を務める。並行してソロ活動も始め、各国でコンサートを開く。モントリオール音楽院や、特に70年にパリ音楽院の教授になってから2000年の春に退官するまで、多くの音楽家を育てている。日本人フルーティストの多くも彼の門下生である。また夫人でハーピストのマリー=クレール・ジャメとのコンサートも数多く行なっている。