「ギフティッド」という言葉を、メディアやSNSで目にする機会が近年増えました。「IQが高い」「天才児」「成功が約束された子」――。そんなイメージを持っている人も多いのではないでしょうか。けれど、能力の高さゆえに「学校になじめない」「周囲に理解されない」といった生きづらさを抱えているギフティッドの子も少なくありません。
上越教育大学大学院教授で、ギフティッドの子どもの理解と支援について研究している角谷詩織先生は、著書『ギフティッドの子どもたち』(集英社新書)でその特性や困難について解説しています。角谷先生に、ギフティッドの子どもたちの見えにくい実態について聞きました。
「学力が高い」だけではない、ギフティッドの定義
――「ギフティッド児」とは、どのような子どものことを指すのでしょうか。
角谷詩織先生(以下、角谷):アメリカの『マーランド・レポート』(1972年)による定義では、4つのポイントが示されています。1つ目は、並外れた才能ゆえに高い実績をあげることが可能な子どもであること。2つ目は、実際に目に見えて優れた成果をあげている子どもだけでなく、潜在的な素質のある子どもも含むこと。3つ目は、才能の領域として、知的能力全般、特定の学問領域、創造的思考や生産的思考、リーダーシップ、音楽・芸術・芸能、スポーツといった領域が想定されていること。そして4つ目が、専門家によって判定された子どもであることです。
――ギフティッドの才能は勉強の領域だけでなく、芸術など幅広いのですね。
角谷:ギフティッドと聞くと、多くの方は漠然と「頭のいい子」を思い浮かべますよね。それは、ギフティッドという概念が出始めた当初、想定されていたのが「知的能力全般に並外れた才能を示す子ども」だけだったからです。その後、「才能の領域は知能だけではない」という議論が起こり、ギフティッドが指す領域が広がりました。
そのため、ギフティッドという言葉の前にどの領域なのかを付けると、より正確に表せます。たとえば、知的能力全般に並外れた才能のあるギフティッドのことを「知的ギフティッド」と言ったりします。
メディアがつくる「ギフティッド=天才児」のイメージ
――ここからは、知的ギフティッドの子どもたちについて伺います。世間が抱いているギフティッドのイメージと、実際の姿にはどんなギャップがあるのでしょうか。角谷:ギフティッドは近年、日本でもテレビを中心にメディアで多く取り上げられるようになりました。10年前に比べると、ずいぶん増えたと思います。ただ、メディアはどうしても人目を引く子どもを取り上げます。IQが150以上あるとか、小学生で大学の数学をやっているといった、突出した部分に注目が集まりがちです。そうした伝えられ方によって、「ギフティッド=天才児」というイメージが強まっている面があると思います。
――「ギフティッド=天才児」といったイメージが広がると、どんなことが起きるのでしょうか。
角谷:知的ギフティッドは、およその目安としてIQ130以上くらいとされています。メディアが描くような、IQ150以上で、分厚い眼鏡をかけて代数幾何の本を抱えている――そんな小学生のイメージが一般化してしまうと、ギフティッドの中でもごく少数の子しか想定できず、それ以外の子には気づけなくなります。その結果、たとえば「頭の回転は速いけど、風変わりな子だな」で見過ごされてしまうこともあります。
――イメージによって、多くのギフティッドの子が埋もれてしまうのですね。
角谷:そうですね。IQ130くらいの子にとっても、標準的な学校の授業は十分に退屈なんです。退屈さから授業を受けるのを嫌がったり、実際に集中していなかったりすることがあります。それが知的能力の高さからくるものではなく、障害などが原因なのではないかと誤解されてしまうこともあるのです。
最大の困難は「授業が退屈で仕方ない」こと
――知的ギフティッドの子どもたちは、学校生活でどんなことに困りやすいのでしょうか。
角谷:いちばん大きい問題は、やはり一日の大半を過ごす学校の授業が退屈で仕方ない、そのような授業を受ける意味がわからない、ということです。
多くのギフティッドの子は、平均すると2〜4学年上の知的能力を持っています。たとえるなら、「高校1年生に『小学6年生の授業を1日中、真面目に受けなさい』と言っている」ようなものです。
――それは、つらいですね。
角谷:学校生活の大半の時間が面白くないので、フラストレーションがたまり問題行動も出やすくなります。授業も学校も退屈なのですから、当然ですよね。そこへ、たとえば友だちとのやりとりで少し理不尽なことが重なると、それを受け流す余裕がなくなってしまうこともあります。はたから見るとささいなことで激高する場面が続いて、「キレやすい子」と受け取られてしまうんです。
もちろん、ギフティッドなら必ず困難を抱える、というわけではありません。その子の性格や、学校・先生との巡り合わせによっては、生き生きと力を発揮している子もいます。ただ、「先生はそういう授業をしなくちゃいけないんだよね」と達観して子どもの側が譲歩し、困りごととして表面化していないだけというケースもあります。
“クラスに1人”だからこそ、わかり合える友達に出会いにくい
――ほかにも、ギフティッドの子が困難を抱えやすい理由はありますか?
角谷:知的ギフティッドの子が少数派であることも、その一つです。割合でいうと、全体の2.8%といわれています。およそ1クラスに1人です。ただ、これは均等に割った場合の統計上の数字で、実際にどのクラスにも1人ずついるわけではありません。
――クラスに1人という割合は、正直、多いなと思ってしまいました。
角谷:これを多いと見るか、少ないと見るか。ギフティッドを「天才」とイメージしている人にとっては、「1クラスに1人も天才がいるなんて、多すぎない?」という感覚でしょう。
でも、その子の立場からするとクラスに自分と同じような子がいないということです。明らかにマイノリティなんですよね。周りに合わせて話すのではなく、構えずに自然体で話すなかで、「だよね~」と言い合える友達に出会える確率は、どうしても低くなります。
授業の中での話し合いでも、「どうしてそんなところに目をつけるのか」「どうしてそこを面白がるのか」と、ギフティッドの子もそれ以外の子も、お互いに相手の言っていることが理解しにくい状況が起こりがちです。
――人間関係にも影響しそうですね。
角谷:そうですね。ギフティッドという概念が浸透していなかったころは、人間関係がうまくいかないのは、その子の社会性が未熟だからだと捉えられてきました。でも実際には、その背景に、少数派にならざるをえないほどの知的能力の高さがある。そして、世の中の経験の仕方や、物の見方・考え方の違いがある。そこがやはり、ギフティッドの子の難しさです。
ギフティッドであることが強みになるとき
――能力に見合った環境があれば、ギフティッドの子が抱えやすい生きづらさも変わるのでしょうか。
角谷:子ども時代に、知的能力の高さだけでなくその子のありのままの姿を受け入れてもらい、能力に見合った教育環境でニーズを満たされながら成長する。そうすれば、生涯にわたって適応がよい傾向があることが研究で示されています。
たとえば、ギフティッドスクールやギフティッドクラスで力を発揮できていた子は、そうでなかったギフティッドの子よりも、子ども時代だけでなく生涯にわたって健康状態がよく、適応もよいという研究があります。
――日本の学校教育は、ギフティッドの子と相性がよくないのでしょうか。
角谷:相性が悪いというわけではないんです。むしろ、現在の教育制度のなかにもギフティッドの子に適した仕組みはあります。たとえば総合的な学習の時間は、理念上はギフティッドの子にとても合うはずです。発展的な課題を取り入れることの大切さも、ずいぶん前から言われています。
――学校教育の仕組み自体は合っているのに、なぜギフティッドの子が苦しむことになってきたのでしょうか。
角谷:10年ほど前までは、保護者も教育現場の先生も、臨床に携わる人たちも、ギフティッドという概念をほとんど知りませんでした。そのため、知的能力の高さが原因でいろいろな不具合が生じていることに気づけず、先生も保護者も困ってしまった。
ただ、文部科学省でも令和4年に有識者会議のまとめが出され、特定分野に特異な才能のある子どもたちのための特別の教育課程を、令和10年度から先行実施する方向で準備が進んでいます。学校現場に広がるのはこれからですが、制度の整備とともにギフティッドについての理解が広がっていくことが期待されます。教育の現場も今後どんどん変わっていくと思います。
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「ギフティッド=天才」「才能がある=生きやすい」。そんな思い込みが、目の前の子どもの困りごとを見えにくくしているのかもしれません。その子が抱えている退屈や孤独に目を向けることが、理解や支援への第一歩になりそうです。
<取材・文/大夏えい>
【大夏えい】
ライター、編集者。大手教育会社に入社後、子ども向け教材・雑誌の編集に携わる。独立後は子ども向け雑誌から大人向けコンテンツまで、幅広く制作中。
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