50歳・独身女子、空き家で食堂をはじめる。200円握りしめた子ども達もおやつ買いに通う“地域の居場所”、東京からUターン11年目の現在地「アトリエキッチンりんりん」岐阜県山県市

(写真撮影/本美安浩)

50歳・独身女子、空き家で食堂をはじめる。200円握りしめた子ども達もおやつ買いに通う“地域の居場所”、東京からUターン11年目の現在地「アトリエキッチンりんりん」岐阜県山県市

10月16日(金) 7:00

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東京で業界新聞の記者をしていた辰野恭子(たつの・きょうこ)さんは、フリーランスのコピーライターを経て、45歳で故郷の岐阜に戻り、50歳で食堂を始めた。その食堂は今や、放課後の子どもたちの居場所や地域のコミュニティの場になっている。「岐阜に戻ったのは東京の暮らしが私には限界だったから。最初は食堂を開くつもりも、地域の活動をするつもりもなかった」という彼女が、地域に根差した理由とは?

「ここのカツが好き!」今や、小学生たちの放課後の大切な居場所に

岐阜県山県(やまがた)市、岐阜駅から車で40分ほど。8割が森林という豊かな大自然に囲まれた場所に、辰野さんが営む食堂「アトリエキッチンりんりん」はある。もともとは辰野さんの母方の祖父が営む運輸会社があった場所で、長らく空き家だったものを改装し、6年前、食堂を始めた。
営業しているのは週に4日で、11時から18時までマイペースに営業している。
「私1人でやっているので無理をしないようにしています。朝や夜の営業をしないのは、その時間は母とゆっくり食事をしたいからなんです」

メニューは麺類や定食、単品おかずに日替わりのケーキまで。テイクアウトのお弁当も人気。地元野菜を使った添加物を極力排した料理は、“自分自身が食べたいと思う、身体にやさしい食べ物”がモットーだ。

辰野恭子さん
もともとは塩屋・タバコ屋だった場所で、その後、辰野さんの祖父は運輸会社を興した。こうした店は、その集落にとって生活必需品の購入場所だけでなく、情報交換の場でもあったので、今その役割が復活したともいえる(写真撮影/本美安浩)

食堂があるのは、いわ桜コミュニティセンターの近く。近くの神崎川は地元民の格好の水遊び場所に(写真撮影/本美安浩)
食堂があるのは、いわ桜コミュニティセンターの近く。近くの神崎川は地元民の格好の水遊び場所に(写真撮影/本美安浩)

古民家を改装。和室には座テーブルと、どこか実家に帰ってきたような、ほっこりした雰囲気で癒される。冬にはこたつを出す時期も(写真撮影/本美安浩)
古民家を改装。和室には座テーブルと、どこか実家に帰ってきたような、ほっこりした雰囲気で癒される。冬にはこたつを出す時期も(写真撮影/本美安浩)

土間にはテーブル席も。木製家具が映えるインテリア(写真撮影/本美安浩)
土間にはテーブル席も。木製家具が映えるインテリア(写真撮影/本美安浩)

看板商品の味噌チキンカツ。なんと1個200円(写真撮影/本美安浩)
看板商品の味噌チキンカツ。なんと1個200円(写真撮影/本美安浩)

周囲に飲食店があまりないため、昼間には、ご近所のおじいちゃんおばあちゃんには格好の食事処。地域活動、家族の集まり、学校や仕事場での仕出し弁当の注文も多い。なかでも小学生たちにとっては大切な居場所。近くに小学校があり、放課後や夏休みには揚げたてのチキンカツを食べにくる。
撮影時も、子どもたちは元気に挨拶して靴をそろえ、食べ終えたら自分で片付ける。「たっちゃん、たっちゃん」と親しそうに辰野さんを呼ぶ姿が印象的だった。
「うちはツケはなし。子どもたちも200円を握りしめてやってきます。店内でのんびり過ごしていることもありますが、他にお客さまが来ると、さっと立って帰っていく。学校であったこと、できるようになったことなんかを、おしゃべりしてくれるんです」

撮影日は夏休み中で、近所にあるコミュニティセンターで涼んでいた子どもたちが立ち寄った(写真撮影/本美安浩)
撮影日は夏休み中で、近所にあるコミュニティセンターで涼んでいた子どもたちが立ち寄った(写真撮影/本美安浩)

食堂内には、絵本、児童書、漫画などが充実したライブラリーコーナーがある(写真撮影/本美安浩)
食堂内には、絵本、児童書、漫画などが充実したライブラリーコーナーがある(写真撮影/本美安浩)

ボードゲームもあり、カツが揚がるまで遊ぶ(写真撮影/本美安浩)
ボードゲームもあり、カツが揚がるまで遊ぶ(写真撮影/本美安浩)

自家製の日替わりケーキ。今日はチョコとバナナのもちもちケーキ(写真撮影/本美安浩)
自家製の日替わりケーキ。今日はチョコとバナナのもちもちケーキ(写真撮影/本美安浩)

友人の子どもたちを毎週金曜日、預かっている。
「いわば『りんりん学童』ですね。ある友人の自宅が小学校からやや遠くて、習い事に行くのに一度帰るのが大変だと聞き、『だったら、うちで過ごせばいいんじゃない』となったことがきっかけです」

習い事、もしくは親御さんのお迎えまで、宿題をして過ごす子どもたち(画像提供/本人)
習い事、もしくは親御さんのお迎えまで、宿題をして過ごす子どもたち(画像提供/本人)

「りんりん学童」と称して預かっていた小学生の女の子はもう中学生。「部活の大会で賞をもらった~♪」と2人で大喜び(写真撮影/本美安浩)
「りんりん学童」と称して預かっていた小学生の女の子はもう中学生。「部活の大会で賞をもらった~♪」と2人で大喜び(写真撮影/本美安浩)

「これ、ウチで採れたから」と知人がオカワカメを持ってきてくれた。こんなやり取りも日常(写真撮影/本美安浩)
「これ、ウチで採れたから」と知人がオカワカメを持ってきてくれた。こんなやり取りも日常(写真撮影/本美安浩)

きっかけは東京でフリーランスで働くことに、違和感と限界を感じたこと

辰野さんは東京の大学を卒業後、業界新聞の記者になった。4年後に独立し、広告や社史の編集といった企業案件を中心に手掛け始める。
「フリーランスに巡ってくる仕事って、広告代理店や広告プロダクションがやりたがらない面倒なことが多いんですよね。相手が大企業であればあるほど雑に扱われ、クライアントの都合で無理なスケジュールを強いられる。時には未払いのギャラを回収するために自ら交渉することもありました」

そうして15年ほど実績を重ね、仕事は途切れることはなかった。しかし、理不尽な対応や、自分の本心とは異なる言葉を綴る日々に、心身は次第に疲弊していく。
「決定打となったのが2011年の東日本大震災でした。ボランティアとして現地を訪れ、津波の惨状や放射能問題、食の安全などの現実を目の当たりにして……。企業の代弁者として都合のいいことだけをパッケージ化して売る生き方に、限界を感じたんです。自分の気持ちに嘘をついて書き続けることに、強い苦しさを覚えるようになりました」

その後、福島の子どもたちの保養活動(放射能の影響を受けず、離れた土地でのんびりすごしてもらうこと)をしている方に出会う。
「すごく素敵な取り組みだなと思いました。私もやってみたいと考えましたが、当時の私は東京で自分のことだけて手一杯。余裕がありませんでした。でも、もしかしたら故郷の岐阜に戻ったら、なにかしらできるんじゃないかと思ったんです」

記者として働いていたころの辰野さん。撮影も自分で行っていた(画像提供/本人)
記者として働いていたころの辰野さん。撮影も自分で行っていた(画像提供/本人)

母の実家の片付け作業が心のリハビリに。地域の活動にも参加

2015年、辰野さんは岐阜に戻る決意をした。
「一人暮らしをしている高齢の母のことも心配でした。住むところがあれば、地元や東京でライター業も細々続けつつ、なんとかなると思ったんです。私は特にお金を使わないタイプですしね」

まず、母の実家の片付けを始めた。現在、辰野さんが営む食堂の場所だ。
「正直、ゴミ屋敷でした。祖父の時代から、親戚中が家で使わなくなったものを何でも持ち込んでいましたから。使わなくなった家具・家電、通知表や卒業アルバムまで。片付けても片付けても終わらなくて果てしなかったです。でもそのうち、この場所を再生させることは、自分自身を再生させるような感覚になっていたんです。正直言うと、岐阜に戻ったばかりの私は、泣いてばっかりでした。喪失感というか、人生どうする?みたいな不安があって。ただ、思い出を見つめ、いらないものを処分するーーその一連の作業が、私には心のリハビリになりました」

こうした片付け作業と同時に、高山市で行われていた保養活動や、パーマカルチャー(人と自然が共存する社会をデザインしていくこと)やトランジションタウン(市民による地域自給)の活動に参加した。
「故郷といっても18歳で地元を離れたので、友人はほとんどいませんでした。しかし、こうした活動を通して友人ができたんです。ココで知り合った方が別の活動に誘ってくれる、みたいな感じでつながっていきました。田舎に帰ったら、私の親世代ばかりに囲まれて過ごすことになるかなと思っていたけれど、案外、面白いことを考えて実験的な活動をしている若い人たち、同世代の人たちがたくさんいたんです。自分たちで田畑を耕したり、古民家をリノベーションしたり、ワークショップしたり、映画上映会したり。大人になってからの価値観が似ているコミュニティはとても心地よいです」

そのうち、母の実家の古民家を「知り合った方たちの活動で使ってもらいたい」「ワークショップもできるアトリエに改装できないか」と思うようになった。

辰野さんが参加した「ソーシャルパーマカルチャーキャンプ」を通して友人になった方々は、今も良き相談相手である。仕出し弁当など忙しいときはお手伝いをお願いすることもある(写真撮影/本美安浩)
辰野さんが参加した「ソーシャルパーマカルチャーキャンプ」を通して友人になった方々は、今も良き相談相手である。仕出し弁当など忙しいときはお手伝いをお願いすることもある(写真撮影/本美安浩)

改装には知人だけでなく、近所に暮らす人たちがふらりと現れて手を貸してくれたり、ワークショップを兼ねて友人たちが助っ人に入ってくれたりすることもあった。
「このあたりは昔から製材業や林業がさかんな地域なので、基本的に腕に覚えのある人が多いんです。そういう人たちが自然と集まってアドバイスや手助けをしてくれますし、古民家改修のワークショップも頻繁に開催されています。私のような素人でも、混じって作業をしているうちに自然とできるようになるんですよ」

都会なら専門業者が数多くあり、お金を支払って仕事を依頼するのが一般的だろう。しかし、辰野さんの周囲は違うようだ。
「自宅の改装、田植えなど、助けてほしい時に声をかけると、いろんな人が集まってきてくれます。自分も手伝いにいきます。恩返しが次に送られていく『ペイフォワード』のような感じでしょうか」

地元は杉板の産地。DIYが得意な知人たちが自分の道具を持ち込んで、壁に杉板を張る下地づくりの作業中(画像提供/本人)
地元は杉板の産地。DIYが得意な知人たちが自分の道具を持ち込んで、壁に杉板を張る下地づくりの作業中(画像提供/本人)

杉板に地元産柿渋を使って「こんな街になったらいいな」をテーマにみんなで絵を描いてもらうワークショップを開催(画像提供/本人)杉板に地元産柿渋を使って「こんな街になったらいいな」をテーマにみんなで絵を描いてもらうワークショップを開催(画像提供/本人)
杉板に地元産柿渋を使って「こんな街になったらいいな」をテーマにみんなで絵を描いてもらうワークショップを開催(画像提供/本人)

解体で出た古民家の資材を再利用して、車庫内に囲炉裏のある団らんスペースを設置(写真撮影/本美安浩)
解体で出た古民家の資材を再利用して、車庫内に囲炉裏のある団らんスペースを設置(写真撮影/本美安浩)

庭に炭焼き用の小屋を設置。その屋根の塗装をしているのは当時85歳の辰野さんの母。「現在90歳を超えていますが元気。私のつくる料理が身体にいいんだなと話しています」(画像提供/本人)
庭に炭焼き用の小屋を設置。その屋根の塗装をしているのは当時85歳の辰野さんの母。「現在90歳を超えていますが元気。私のつくる料理が身体にいいんだなと話しています」(画像提供/本人)

「食」はコミュニティの中心。新たに「食堂」を始める夢に挑戦

人が集まるとき、辰野さんは「食」をふるまっていた。手伝いに来てくれた人がみんな食べ物や飲み物を持ち寄ってくれることも多い。
「“同じ釜の飯を食べる”という言葉があるくらい、人間関係って『食』が中心になる瞬間がたくさんあるじゃないですか」
そう実感するうちに、この場所をアトリエやコミュニティの拠点としてだけでなく、「ここで食堂を始める」という新たな夢を持つようになった。「昔見た映画“かもめ食堂”みたいな場所を作れたらと思いました」

囲炉裏や炭焼き用の小屋をつくり、手伝ってくれた友人に食の場を提供することも辰野さんの楽しみ(画像提供/本人)
囲炉裏や炭焼き用の小屋をつくり、手伝ってくれた友人に食の場を提供することも辰野さんの楽しみ(画像提供/本人)

「大学で食物学を学んでいたから、食を仕事にできたら楽しいだろうなという思いは、ずっとぼんやりとありました。食堂を始めるにあたり、改装や設備導入で、結局800万円くらいかかりましたね。でも結婚も出産もしていないし、家を買ったこともない私にとって、これが一生で一番大きな買い物だと思います」

厨房部分はプロに任せてリノベーション。オープンな棚をできるだけ設置し、収納量を確保。「ただ業務用の食器洗浄乾燥機を付けるべきだったと後悔しています」(画像提供/本人)
厨房部分はプロに任せてリノベーション。オープンな棚をできるだけ設置し、収納量を確保。「ただ業務用の食器洗浄乾燥機を付けるべきだったと後悔しています」(画像提供/本人)

そうして誕生したのが「アトリエキッチンりんりん」だ。かつて多くの人が行き交う場所だったその地は、ほぼ廃墟状態を経て、辰野さんが再び社会と接続するための大切な拠点となった。

店名は“勇気りんりん”の「りんりん」から。「コピーライターの師匠が、“結城鈴”というペンネームを私につけてくれたんです。最近は、“りんりんさん”と呼ばれることもあります」(写真撮影/本美安浩)
店名は“勇気りんりん”の「りんりん」から。「コピーライターの師匠が、“結城鈴”というペンネームを私につけてくれたんです。最近は、“りんりんさん”と呼ばれることもあります」(写真撮影/本美安浩)

お弁当の対応も。法要、幼稚園の卒園式、小学校の野外活動、地域活動や趣味の会などニーズはさまざま。数が多いときは前日に泊まり込みで対応することもある(画像提供/本人)
お弁当の対応も。法要、幼稚園の卒園式、小学校の野外活動、地域活動や趣味の会などニーズはさまざま。数が多いときは前日に泊まり込みで対応することもある(画像提供/本人)

小屋を解体し、裏庭には野菜類を植え、炭焼き用の小屋を建てた。「開店休業状態のときは“裏の畑にいます”と札を立てて庭作業することもあります」(写真撮影/本美安浩)
小屋を解体し、裏庭には野菜類を植え、炭焼き用の小屋を建てた。「開店休業状態のときは“裏の畑にいます”と札を立てて庭作業することもあります」(写真撮影/本美安浩)

レッドリーフレタス、ミント、ローゼル。庭で採れたハーブや野菜は料理に使っている(写真撮影/本美安浩)
レッドリーフレタス、ミント、ローゼル。庭で採れたハーブや野菜は料理に使っている(写真撮影/本美安浩)

地域への愛着が食堂だけでなく「よりよい社会へ」という活動に広がっていく

地元に知り合いが増えるにつれ、「街のためになにかしたい」と思う気持ちが生まれた。
というのも「アトリエキッチンりんりん」は単に食べて終わりではなく、対話が生まれる場所だからこそ、自然と街の困りごとが耳に入ってくる。
そこで辰野さんは、当初から行っていた木育活動、プレーパークなど子どもたちのための活動にとどまらず、多岐にわたる市民活動にも加わっている。
「ライターなので意見をまとめて文章にして届けることには慣れています。川沿いの観光地のトイレが壊れているのに直らないという話を聞けば、ほかにも同様のケースがないか調べて署名を集めたり、地域の建物の建て替え問題で意見書を市に提出したり……気づけば『なんでも屋』になっていますね」

地元の木育活動「木育キャンプ」は、子どもたちと関わる活動の出発点だ(画像提供/本人)
地元の木育活動「木育キャンプ」は、子どもたちと関わる活動の出発点だ(画像提供/本人)

プレーパークの打合せに「りんりん」を開放(画像提供/本人)
プレーパークの打合せに「りんりん」を開放(画像提供/本人)

45歳で故郷に戻り、50歳で食堂を開くという新しい挑戦をした辰野さん。大きな環境の変化に不安はなかったのだろうか。
「不思議となかったです。というのも、東京での私はシングルでフリーランス。今思えばとても不安定な根無し草でした。岐阜に帰れば、食べるものと寝るところには困らない。正直そんなに儲からないけれど、お店という居場所があり、人が来てくれる。出逢いが次の出逢いを生み、お金はあとからついてきます。過疎地は同業者であっても競争相手という感じはありません。地域を盛り上げていこうと支え合う仲間です。大事なのは信用と縁かな。それに、この年齢ゆえの軽やかさもあると思います。20代、30代のころの『結婚しなきゃだめ』『子どもがいなきゃだめ』といった『こうでなければならない』というレールから降り、50代だからこそ、シンプルで見えてくる風景がありました」

「究極は、地域の景色の一部になりたいんです、私」と辰野さん。
「登場人物はおこがましい。地元の子どもたちが成長し、“ここでカツ買って食べたよね”って思い出してくれたらいいなぁと思っています。そんな場所を残しておくことが、私の社会への関わり方なんです」

50代で新しいことを始めた辰野さん。はたから見れば一大決心のように思えるが、「むしろそれしかない選択だった」と笑う。人生100年時代に、自分の心と体に無理のない選択をすることは決して遅すぎることはないだろう。

取材日は真夏の暑い日。辰野さんの小さな心遣いがうれしい(写真撮影/本美安浩)
取材日は真夏の暑い日。辰野さんの小さな心遣いがうれしい(写真撮影/本美安浩)

子どもたちの笑顔が何より癒し。「近くの小学校の全校生徒数は19人。みんな孫みたいなものです」(辰野さん)(写真撮影/本美安浩)
子どもたちの笑顔が何より癒し。「近くの小学校の全校生徒数は19人。みんな孫みたいなものです」(辰野さん)(写真撮影/本美安浩)

「自分が何が好きで、何が嫌なのかーー故郷に戻ることで『〇〇でなければならない』という思い込みから解放され、今は無理しない自分でいられます」(写真撮影/本美安浩)
「自分が何が好きで、何が嫌なのかーー故郷に戻ることで『〇〇でなければならない』という思い込みから解放され、今は無理しない自分でいられます」(写真撮影/本美安浩)

●取材協力
アトリエキッチンりんりん
岐阜県山県市谷合1210-2-2
Instagram @kyokotatsuno


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