【マラソン】箱根駅伝3区で区間賞なのに、周りからは「負けてんじゃん」丹所健が今も悔しがる理由

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【マラソン】箱根駅伝3区で区間賞なのに、周りからは「負けてんじゃん」丹所健が今も悔しがる理由

10月11日(日) 6:40

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【不定期連載】箱根からロス五輪へ~MGCに挑むランナーの肖像~

第8回丹所健(Honda)前編 東京国際大3年時、箱根駅伝の3区で区間賞を獲得したphoto by Aflo

東京国際大3年時、箱根駅伝の3区で区間賞を獲得したphoto by Aflo





箱根駅伝を走ったという事実は同じでも、その物語は一人ひとりまったく違う。区間賞を重ねたスターもいれば、たった一度の出走で思うような成績を残せなかった選手もいる。本連載では、2028年ロサンゼルス五輪代表の座を争うMGC(マラソングランドチャンピオンシップ)出場権獲得ランナーたちに、箱根を走った学生時代の記憶、そして世界を見据えて42.195kmに挑む現在地を聞く。

第8回は、丹所健選手(Honda・25歳)。東京国際大時代は出雲駅伝初優勝に貢献し、全日本大学駅伝と箱根駅伝で区間賞を獲得。Honda入社後は故障や体調不良に苦しんだ時期もあったが、今年8月の北海道マラソンで2時間10分55秒をマークして2位に入り、MGC出場権を獲得した。インタビュー前編では、4年連続で箱根を走った学生時代を振り返ってもらった。

【大学入学時の記録は同期のなかで7番目】 「小学生の頃、シャトルランでほかの人より多く走れて、体力に自信があったので、中学では陸上部を選びました」

丹所健(たんしょ・けん)が陸上を選択した理由だ。サッカー部も選択肢にあったが、それまで本格的にプレーした経験がなく、レギュラーになるのは難しいと考えた。体力勝負の長距離なら1番になれるかもしれないと思い、陸上を選んだ。

ただ、中学、高校と全国レベルには至らなかった。

「中学は、県大会に行って満足していました。高校は、インターハイに行きたかったんですけど、そこまでの実力はなくて。関東大会には行けたので、一応、高校での目標は達成できたかなという感じでした。大学は、僕が神奈川県出身ですし、鈴木健吾さん(現・横浜市陸協)の走りがすごく印象的で、できれば神奈川大学で走りたいと思っていました。でも、熱烈なオファーをいただいたのが東京国際大だったんです」

高校3年時、箱根駅伝予選会を見た。東京国際大は、伊藤達彦(現・Honda)、相沢悠斗ら3年生が牽引し、6位で通過した。

「達彦さんをはじめ、3年生以下が強く、僕が入学しても皆さん残っているので、箱根を目指すうえで予選会で落ちるようなチームではない。むしろ、これからシード権はもちろん、さらに上を目指せるチームだと思ったので、行く決心をしました」

丹所が進学を決めた東京国際大には、イェゴン・ヴィンセント(現・Honda)、ルカ・ムセンビ、山谷昌也(現・ロジスティード)、宗像聖(現・三菱重工)、堀畑佳吾(現・大阪ガス)ら、のちに主力となる同期が多数入学した。5000mの持ちタイムは、同期のなかで丹所が7番目だった。

「みんなインターハイに出たり、山谷は14分06秒のタイムを持っていたりしたので、すごいなあと思っていました。でも、箱根を4年間連続で走りたいという気持ちは誰よりも強かったです。(入学時は)1年目から出られるような実力はなかったんですが、その強い思いが箱根に結びついていったんじゃないかなと思います」

丹所にとって箱根駅伝は身近な存在だった。実家は2区沿道にあり、幼い頃から権太坂付近で観戦し、いつかこの区間を走りたいと思っていた。それを実現するため、1年目はヴィンセントや伊藤の背中を必死に追い、「何も考えずにがむしゃらに突っ込む」という気持ちで走り続けた。その結果、1年目から1区をまかされた。

「入部した当時から4年連続で箱根を走るということを意識していたので、1区に決まった時は、『1年目クリアー!』という感じでした(笑)。でも、区間13番で他大学の選手との力の差を感じました。悔しかったので、2年目はもっと上位で、区間5番以内で走るのを目指していたんです。わりと自信があったのですが、同じ1区を走って14番と順位をひとつ落としてしまい、本当に悔しかったですし、自分にガッカリしました」

距離を踏むなど十分に練習を積めていたものの、2年目も結果にはつながらなかった。

【練習改革で飛躍した3年目】 当時、東京国際大を率いていたのは大志田秀次監督(現・明治大監督)。丹所が2年生の時までは、距離を重視し、日頃から走り込む練習が多かった。第97回箱根駅伝(2021年)でチームは総合10位に入り、辛うじてシード権を獲得したが、当時のメンバーを考えれば物足りない成績だった。大志田監督は何かを変える必要があると考えたのだろう。丹所が3年になると、距離偏重からスピード重視へと練習の組み立てを変えた。

丹所は、それがハマったという。

「1、2年目はジョグでけっこう距離を踏むので、それでいっぱいいっぱいになって、ポイント練習はいつもキツい状態で、余力のないなかでやっていたんです。3年になって、チームとしてポイント練習にフレッシュな状態で臨み、100%消化することを重視し、同時にジョグの量を少なめにコントロールして、距離を踏むよりもスピードの強化を中心にするようになったんです。それは当時の自分の考えともマッチしていた練習メニューだったので、グーンと成長することができました」

3年時、丹所は5月の日体大記録会5000mで13分46秒17の自己ベストをマークすると、9月の全日本インカレ5000mでは13分48秒78で3位になった。自分をコントロールする術を得て、1、2年目に積み重ねてきたものが3年目の練習で開花し、結果が出るようになった。そうしていい状態で迎えたのが、出雲駅伝だった。丹所は3区区間2位の好走で、チーム初優勝に貢献した。

「出雲の前は、かなり強度の高い練習をしていたんですけど、みんな余裕そうにやっていたんです。自分もすごく調子がよくてワクワクしていましたし、ほかの選手も自信に満ちあふれていた。これで優勝できなかったら今後もうないなというぐらい、状態がすごくよかったんです。スタート前から、駅伝では初めて緊張感もなく、これなら絶対にいけるという感覚で走れました。チームも優勝できて、すべてが自信になりました」

だが、好事魔多し。出雲駅伝後に脚を痛めてしまった。ここで無理をして箱根駅伝に影響が出ることを危惧した丹所は、次戦の全日本大学駅伝を回避しようと考えていた。

大会が迫るなか、大志田監督から声をかけられた。

「丹所、おまえは脚が心配なのか、それとも呼吸が心配なのか」

その時には脚の状態は回復していた。だが、心肺機能が戻っておらず、自分が出場することでチームの順位に悪影響を及ぼすのではないかと心配していた。

「呼吸がちょっと心配です」

「なら、大丈夫だ。おまえなら走れるよ」

大志田監督は優しい表情で、丹所にそう伝えた。そのひと言に背中を押された丹所は全日本大学駅伝に出場。6区で区間賞を獲得し、大志田監督の期待に応えた。チームは5位。箱根駅伝に向けて戦える手応えをつかんだ。

【3区区間賞と地元を走る喜び】 第98回箱根駅伝(2022年)で、丹所は3区に配置された。東京国際大は1区山谷、2区ヴィンセント、3区丹所の3人で前半を優位に進める戦略だった。4位で襷を受けた丹所は、3.8km手前で青山学院大1年の太田蒼生(現・GMOインターネットグループ)を抜いて2位に浮上。そのままふたりで並走し、13km手前では先頭を行く駒澤大をとらえ、トップに立った。だが、18km過ぎにスパートした太田に離された。区間賞は丹所が獲得したものの、2位での襷渡しとなった。

「あれは悔しかったですね。区間賞を獲りましたけど、あそこであんな離され方をしたら、注目が全部、太田君にいっちゃうじゃないですか。そのせいか、周りからは僕が区間賞だとは思われていなかったんです。『負けてんじゃん』って(苦笑)。この借りはしっかり返さないといけません。MGCの舞台で(これから出場権を獲得するであろう)太田君に勝ってスッキリしたいですね。それが今の僕のモチベーションのひとつになっています」

それでも丹所の快走は、沿道のファンを熱くさせた。3区は、母校の湘南工科大学附属高の通学路沿いを走るため、家族や友人、知人が多数応援してくれた。4年時に2区を走った際も、家族や友人、近所の知人の熱烈な声援が丹所の背中を押した。

「3区、2区の応援は最高でしたね。(走っている選手のなかで)自分が一番名前を呼ばれたんじゃないかっていうくらいすごかった。ただ、(応援に対して)反応はできなかったんです。僕は、レースが終わればなんでも対応するんですけど、走りながら対応すると疲れてしまうので、基本的にはしないんです。でも、これまでの競技人生で、あれほど名前を呼んで応援してもらったのは、あの時だけです。今もすごく印象に残っています」

丹所の最後の箱根駅伝は、2区だった。地元を走れる喜びがある一方、箱根に向けた調整には余裕がなかった。「ネガティブな感じでスタートラインに立った」こともあり、区間11位に終わった。

「4年の時は、結果を出すためにもっと距離を踏もうと。それしか頭になくて周囲が見えなくなるくらい距離にとらわれてしまったんです。練習をやりすぎてしまい、気がついた時には、階段の上り下りさえキツくて、日常生活もしんどくなっていました。

(血液中の)ヘモグロビンの数値も悪く、貧血みたいになったのですが、若いから大丈夫だろうと思ったんです。結局、ずっと調子が悪いままでしたね。最後、2区を走らせてもらったんですが、最初から力が入らず、飛ばしたつもりでも1km2分55秒前後で、最後まで上げることができないまま終わってしまいました」

4年目は厳しい1年になったが、それでも丹所は入学時の「4年連続で箱根を走る」という目標を達成した。4度の箱根は、今に至る丹所の競技人生に、どんな影響を及ぼしたのだろうか。

「大学3年の時、キツい状態で練習するのではなく、余裕をもってこなし、自分自身と対話することで調子を上げて成長することができました。その時、箱根でも結果を出すことができたので、それが自分にとって大きな自信になりました。それに太田君にも大きなモチベーションを与えてもらった(笑)。僕にとって箱根は成功もあり、失敗もあり、学びもあり、自分の成長に欠かせない大きな舞台でした」

(つづく)

後編を読む>>>「結果が出なかったら、もうやめようと思っていた」故障続きだった丹所健、覚悟の初マラソンでMGC切符

丹所健(たんしょ・けん) /2001年生まれ、神奈川県出身。湘南工科大学附属高から東京国際大に進み、箱根駅伝は1年時と2年時に1区、3年時に3区、4年時に2区を走った。3年時の第98回大会では3区で1時間00分55秒をマークし、区間賞を獲得。大学卒業後はHondaに入社。今年8月の北海道マラソンでは2時間10分55秒で2位に入り、MGC(マラソングランドチャンピオンシップ/2028年ロサンゼルス五輪マラソン日本代表選考会、2027年10月3日開催)出場権を獲得した。マラソン以外の自己ベストは5000mが13分46秒17、10000mが28分01秒24、ハーフマラソンが1時間02分45秒。

佐藤俊●取材・文text by Shun Sato

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