【マラソン】「結果が出なかったら、もうやめようと思っていた」故障続きだった丹所健、覚悟の初マラソンでMGC切符

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【マラソン】「結果が出なかったら、もうやめようと思っていた」故障続きだった丹所健、覚悟の初マラソンでMGC切符

10月11日(日) 6:45

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【不定期連載】箱根からロス五輪へ~MGCに挑むランナーの肖像~

第8回丹所健(Honda)後編

8月30日、マラソン初挑戦となる北海道マラソンで2位に入り、MGC出場権を獲得したphoto by Aflo

8月30日、マラソン初挑戦となる北海道マラソンで2位に入り、MGC出場権を獲得したphoto by Aflo





箱根駅伝を走ったという事実は同じでも、その物語は一人ひとりまったく違う。区間賞を重ねたスターもいれば、たった一度の出走で思うような成績を残せなかった選手もいる。本連載では、2028年ロサンゼルス五輪代表の座を争うMGC(マラソングランドチャンピオンシップ)出場権獲得ランナーたちに、箱根を走った学生時代の記憶、そして、世界を見据えて42.195kmに挑む現在地を聞く。

第8回は、丹所健選手(Honda・25歳)。駅伝で存在感を放った東京国際大時代の歩みを振り返った前編に続き、この後編ではHonda入社後の苦悩と復活への道のりを聞いた。思うようにレースへ出られない時期を乗り越え、今年8月の北海道マラソンでは初マラソンながら2時間10分55秒で2位に入り、MGC出場権を獲得。実業団での日々、支えてくれる人たちへの思い、そしてロス五輪へつながるMGCへの決意に迫った。

前編を読む>>>箱根駅伝3区で区間賞なのに、周りからは「負けてんじゃん」丹所健が今も悔しがる理由

【ニューイヤー駅伝連覇のHondaへ】 東京国際大を卒業した丹所健(たんしょ・けん)は、Hondaに入社した。

「最初は、Hondaとほかのチームとで迷っていました。どうしようかと考えていた時、大志田(秀次/元・東京国際大監督、現・明治大監督)さんに『(伊藤)達彦、(イェゴン・)ヴィンセントと、3人での襷渡しを見たい』と言われたんです。すでにヴィンセントが入社することが決まっていましたし、達彦さんもいる。大志田さんにそう言われたのがすごく大きかったですね。あと、僕が入社する前、ニューイヤー駅伝を2連覇していて、勢いに乗っていたので、Hondaに行けば力がついて、将来、日の丸を背負えるかもしれないと思い、入社を決めました」

入社1年目は、5000mでは13分20秒~30秒台、10000mでは27分台を出すことを目標にした。まずはトラックでスピードを磨き、4年目にマラソンを走ることを考えていた。丹所は、大学時代から将来やるならマラソンと心に決めていたという。

「大学時代、ハーフ(マラソン)とかのタイムは持っていなかったんですけど、駅伝を走ったり、練習で20kmのペース走をやったりするなかで、ロングの適性があるなって思っていたんです。トラックだとラストスパートの勝負になることが多いんですけど、僕はそのスピードが少し劣るところがある一方で、長い距離を一定のペースで走る方が得意だった。それがストロングポイントでもあるので、マラソンをやろうと思っていました」

目指す方向性が明確になった入社1年目。東日本実業団駅伝を走り終えたあとのことだった。これから2024年のニューイヤー駅伝(全日本実業団駅伝)に向けて調整しようと考えていた矢先、右ふくらはぎの肉離れを起こした。大学3年時、出雲駅伝後にも軽度の肉離れを経験したが、その時は2週間ほどで回復した。今回も同じくらいで治ると思っていたものの、想像以上に長引き、ニューイヤー駅伝への出場を断念せざるを得なかった。

「ニューイヤー駅伝に出られなくて悔しかったんですけど、その時は、まあケガをしてしまったものはしょうがないと思っていたんです。でも、治ったあと、今度は左脚のふくらはぎを痛めて、それが治るとまた右脚をやってしまい......。その繰り返しで走れない時間が続き、メンタルがかなり削られました」

【故障の連鎖と向き合う日々】 丹所が精神的に最も追いつめられたのは、入社2年目の東日本実業団駅伝前だった。ふくらはぎの故障明けながら、本人が「ここまで回復するとは思わなかったほど、陸上人生で一番調子がいい」と感じる状態まで戻っていた。3区をまかされ、「区間賞を狙える」レベルまで仕上がっていた。

「レースが楽しみで、自分でもワクワクしていたんです。でも、レース1週間前、朝練習で1、2km走った時、ふくらはぎが痛いなと思い、そこから歩いて帰ったんです。検査に行ったら軽度の肉離れだったんですけど、この時はさすがに『またかよ』と思い、メンタルがキツかったです。Hondaのコーチ(エグゼクティブアドバイザー)になっていた大志田さんに励ましてもらったんですけど、部屋に戻ると自然と涙が出てきて......」

故障に苦しみ、ようやく完治したと思った矢先に再び故障して離脱する。走れない苦しさだけでなく、先の見えない故障の連鎖が精神面にも大きなダメージを与えた。それでも深く思いつめずにいられたのは、もともとのポジティブな性格に加え、故障明けの短期間でも状態を戻せた手応えがあったからだ。その経験が、復帰へ向けて気持ちを前向きにしてくれた。同時に、なぜ同じ故障を繰り返すのかを考えた。

「僕は、ふくらはぎで押して走る感じなので、どうしてもそこに負荷がかかってしまう。ふくらはぎではなく、もも裏とお尻を使って走れるように、トレーニングで修正するようにしたんです。それは今も継続中ですが、簡単じゃないですね。あと、ケガが増えたのは、環境の影響もあると思います。大学時代はクロスカントリー(不整地)でよく走っていたんです。クロカンは脚に優しいですし、脚づくりにもいい。今の練習場所にもクロカンはあるんですけど、少し離れたところにあるし、そこでポイント練習をすることもないので、そういう環境面の変化もケガに影響しているのかなと思いました」

【「吉田選手に追いつこう。3人でMGCを獲ろう」】 臀部の使い方を学び、フォームを少し変えたことで、ふくらはぎの故障はなくなった。しかし、今年1月には仙骨を疲労骨折。別の箇所の故障に気持ちは落ち込んだが、5月1日に復帰し、マラソン練習を始めた。入社4年目を迎え、当初思い描いていたマラソン挑戦の時期はすでに来ていた。目標をMGC出場権獲得に定め、8月30日の北海道マラソンへの出場を決めた。慎重にトレーニングを進め、予定していた練習をすべて消化。自信を持ってスタートラインに立った。

「最低限、MGC出場権を獲る。あわよくば優勝も、と考えていました。レース展開は、ほぼ予想どおりでした。30kmを過ぎて吉田君(響・サンベルクス)が前に出て、このまま行かれたらという焦りも少しあったんですけど、向かい風が強かったので、これはひとりで行くのはキツいんじゃないかと思っていました」

35kmを過ぎると、Hondaの先輩から「そこから一気に脚にくるぞ」と言われていたことを思い出した。どのような感覚なのかと身構えていると、実際に脚が止まり始め、1km3分30秒ほどまでペースが落ちた。

「このまま3分30秒でいくと、吉田君との差がどんどん開いてしまうし、脚もそこに慣れてしまってタイムも遅くなる。そこで、キツいけど3分05秒くらいに戻したんです。そのペースで僕が行くと、湯浅君(仁・トヨタ自動車)と荒生君(実慧・NDソフト)がついてきてくれたんです」

吉田が先行するなか、湯浅が丹所に声をかけた。

「まずは、吉田選手に追いつこう。この3人でMGCを獲ろう」

3人は吉田を追った。

37.5km付近で吉田をとらえると、湯浅、丹所、荒生の3人が先頭集団を形成した。そして、41km過ぎに湯浅がスパート。丹所も粘り、2時間10分55秒の2位でフィニッシュしてMGC出場権を獲得した。

「ゴールした時は、やったというより、ようやくひとつ形にできたなという安堵感のほうが大きかったです。この4年目で結果が出なかったら、もうやめようと思っていました。僕は、Hondaに入ってほとんどまともに走れていなかったので、この強いチームにいて、自分の存在意義って何だろうとすごく考えていたんです。このチームは、自分がひとり欠けても問題ないと思う。でも、僕に期待して採ってくれたチームに何も恩返しをしていないのは、人としてどうなのかって。ようやく結果を出せてよかったなと思います」

【MGCで強い存在感を示してきたHonda】 来年10月のMGCに向けて、すでに動き出している。北海道マラソン後、過去のMGCの映像を見返した。まずは故障なく本番を迎えることが大きな課題になるが、それまで特別なことをするつもりはない。

「まずはひとつひとつの大会で存在感を示すことですね。そうして『丹所は強いな』とほかの選手に思わせたい。そのためにも東日本実業団駅伝、ニューイヤー駅伝を走り、来年の大阪マラソンか東京マラソンで結果を残して、MGCにつなげていきたいです」

丹所には、心強い前例がある。過去2回のMGCでは、Hondaの選手が強い存在感を示してきた。第1回は設楽悠太(現・西鉄)がスタート直後から飛び出し、レースを沸かせた。第2回は小山直城(Honda)が優勝し、パリ五輪代表に内定。第3回のMGCでもHonda勢の活躍が期待される。小川智監督にも自信があるようだ。

「小山さんが優勝したMGCのあと、東日本実業団駅伝の3区の試走で移動する際、小川監督が付き添ってくれたんです。その時、MGCの話になって、『丹所、MGCに行けば、絶対に勝てる。Hondaはそれができるチームだから。まずはMGCの出場権だな』と話をしてくれたのを鮮明に覚えているんです。今は『MGC(出場権を)獲ったので、監督、勝てますよね(笑)』って感じですね。僕もがんばりますが、監督を信じています」

MGCの先にはロサンゼルス五輪がある。丹所は、MGC出場権を獲る前までは、「現実を見ないといけない」と思い、あえてロス五輪という言葉を封印していた。

しかし、MGC出場権を獲得した今、ロス五輪は単なる目標ではなくなった。

「Hondaは今、中長距離のトラック組の勢いがすごいんですが、マラソン組も負けていられない。それに以前の僕と同じようにケガなどで苦しんでいる人がたくさんいると思うんですよ。僕が苦しんだ姿を4年間、見てきた人もいます。そういう人たちに、どん底に落ちてもあきらめずに上を向いて走り続けたら明るい景色が待っているよって、ロス五輪を決めて伝えたいんです。ロス五輪は、今や目標ではなく、通過点として絶対に行かないといけないと思っています」

(了)

丹所健(たんしょ・けん) /2001年生まれ、神奈川県出身。湘南工科大学附属高から東京国際大に進み、箱根駅伝は1年時と2年時に1区、3年時に3区、4年時に2区を走った。3年時の第98回大会では3区で1時間00分55秒をマークし、区間賞を獲得。大学卒業後はHondaに入社。今年8月の北海道マラソンでは2時間10分55秒で2位に入り、MGC(マラソングランドチャンピオンシップ/2028年ロサンゼルス五輪マラソン日本代表選考会、2027年10月3日開催)出場権を獲得した。マラソン以外の自己ベストは5000mが13分46秒17、10000mが28分01秒24、ハーフマラソンが1時間02分45秒。

佐藤俊●取材・文text by Shun Sato

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