全国的に盛り上がりを見せるコーヒーシーン。飲食店という枠を超え、さまざまなライフスタイルやカルチャーと溶け合っている。なかでも、エリアごとに独自の喫茶文化が根付く関西は、個性的なロースターやバリスタが新たなコーヒーカルチャーを生み出している。そんな関西で注目のショップを紹介する当連載。店主や店長たちが気になる店へと数珠つなぎで回を重ねていく。
【写真】改良を重ねて現在14代目となる手網の進化は、尽きぬ探求心の賜物
関西編の第113回は、和歌山県かつらぎ町の「歩里人珈琲」(ぽりとこーひー)。和歌山のコーヒーシーンを牽引する一軒だ。店主の岩本さんが焙煎に用いるのは、一度に1キロ以上の豆を焼くという巨大な手網。「トップスペシャルティの豆を、最も原始的な方法で焙煎できることを示したかった」と、独自に試行錯誤を重ねた焙煎メソッドは、全国のロースターに衝撃を与えた。前代未聞の発想で、焙煎に対する先入観を覆すアプローチは痛快でさえある。とはいえ、ここまでの道のりは紆余曲折。「手網焙煎との出合いで人生が変わった」という岩本さんが辿った足跡と、コーヒーを通して追求するさらなる可能性とは。
Profile|岩本克也 (いわもとかつや)
1984(昭和59)年、和歌山県かつらぎ町生まれ。鹿児島大学理学部で化学を専攻。一時は研究者を目指すも、卒業後は地元に戻り、塾講師やレストランの仕事の傍ら、オーダーメイドソーダの野外出店を始める。その間に、手網焙煎の魅力に出合い、自家焙煎コーヒーに傾倒。独自に手網焙煎の仕組みとメソッドを考案し、2017年に「歩里人珈琲」をオープン。開店後も手網焙煎の研究・改良を続け、スペシャルティコーヒー専門店のなかでも稀有なアプローチの追求で、全国に知られる存在に。2024年、Panama Coffee Roasting Competition(PCRC)ゲイシャ部門準優勝など、焙煎の競技会でも活躍し、和歌山コーヒーシーンの盛り上がりを牽引している。
■紆余曲折の人生を変えた手網焙煎の魅力
「本来、目指した研究者になり損ねた自分が、コーヒーに救われたという感覚が原点にあって。大げさでなく、手網焙煎が人生の方向を変えてくれたと思っています」という店主の岩本さん。大学で化学を専攻し、触媒の研究に没頭するも、学究の道も就職も思うに任せず、その間、塾講師やレストランなどの仕事を掛け持つ。2017年の開店までは紆余曲折の道のりだった。
そんな意気消沈の日々を変えたのは、偶然舞い込んだライブハウスの音楽祭への協力依頼。会場の屋台で何か出してほしいとの依頼に、フランス産シロップを組み合わせた、オーダーメイドソーダの販売を思いつく。幼い頃から祖父・父の影響でモノ作りに親しんできた岩本さん。これを機に、自家製ソーダの移動販売を始めたのが、今にいたるそもそもの始まりだ。
コーヒーとの縁ができたのは、2011年頃。初めて手網焙煎に触れたのがきっかけだった。「ソーダは暑い時季に限られるので、冬場の売物を考えていた時、懇意のライブハウスのオーナーが手網で焙煎しているのを見て、“自分でもやれるかも”という気持ちの衝動を感じたんです」と、自らも早速、手網焙煎に着手。ライブの即興演奏にも通じるおもしろさを見出した岩本さんにとって、コーヒーはまたとない自己表現の手段へと変わっていった。
ひょんなことから始まったソーダの移動販売は、その後、自家焙煎のコーヒーをメニューに加えて、小さなフリーマーケットやマルシェにも出店。ついには「歩里人珈琲」として、自家焙煎のコーヒー店を構えるにいたった岩本さん。開店後は、本格的にコーヒーの焙煎を学ぶべく、各地のワークショップなどに参加。そのなかで、初めて目にした最新鋭の焙煎機、ローリング・スマートロースターにショックを受けた。と同時に、生来の負けじ魂にも火が付いた。「巷では、高性能の焙煎機でないとトップスペシャルティの豆を焼けない、というイメージが強かったのですが、そんなことはないはずだと。感覚をフルに使って焼く、手網焙煎の手法を改良すればできるんだと、示したくなったんです」
多くの人が手網で焙煎を始めるのに、なぜ辞めてしまうのか。そんな素朴な疑問から、焙煎の固定観念に一石を投じるべく、自力で試行錯誤を続け、独自に手網焙煎の機器や仕組みを開発した岩本さん。やがて、全国のロースターが集い、各店の豆の品質を検証するワークショップに参加。創意を重ねて焙煎したコーヒーは、全体で2位と望外の評価を得た。最も質の高いコーヒーを、最も原始的な方法で焙煎する。そのギャップは、各地の同業者に大きな衝撃を与えた。業務用の焙煎機でないと豆の個性は引き出せない、そんな思い込みを徒手空拳で覆すストーリーは痛快でさえある。
■想像の斜め上をいく、前代未聞の焙煎の“発明”
ところで、手網焙煎と聞けば、片手で扱える手軽な道具という印象だが、岩本さんが考案したのは長柄を取り付けた魚網サイズ。一度で最大1キロ近くの豆を焼く、前代未聞のスケールにまず目を見張る。しかも、無骨な見た目と裏腹に、温度計測用のデータロガーや内部を照らすライトも装備。パソコンにつないでプロファイルの記録も可能と、アナログとハイテクが融合したオリジナルの“発明品”だ。さらに、一見、直火のように見える炉の熱源は、輻射熱(遠赤外線)と熱風の対流をコントロール。豆の薄皮は炉外に落ち、炉内に入っても焼き切れるところまで、計算されているというから恐れ入る。
「機械の焙煎機は中が見えませんが、手網は豆の変化を観察しながら焼けるのがメリット。もちろん再現性は大事ですが、焙煎に予想外のことは付き物なので、毎回、結果が違うという点では機械も手網も同じこと」と岩本さん。焙煎中は大きい音が響き続けるため耳栓を装着。絶えず網を揺らしながら、温度変化に合わせて高さを微調整する。最初は座って、最後は立ち上がって、流れる汗もそのままに煎り止めまでもっていく。一連の作業を約20分続けるのは、傍目で見るよりはるかにきつい作業だ。
アップデートを重ねた手網は、現在14代目。一時は1.2キロまで容量を増やしたが、構造を見直すなかで1キロにとどめ、ハイエンドの豆は750グラムで焙煎する。「年々、同業の知り合いが増えてきたことで、新たに得た知識や仕組みを取り入れてきましたが、今はまた原点回帰している感じ。手網の実験は延々続いていて、すでに15代目の構想や炉の改造など、頭の中には妄想が膨らんでいます(笑)」と日々、改良に余念がない。
開店当初、2、3種から始まった豆の種類は、焙煎の勉強を本格化するとともに瞬く間に増え、COEやトップオブトップを含む多彩なスペシャルティコーヒーを吟味。いずれ劣らぬ個性派ぞろいゆえ、オーダー時にはいくつか試飲を勧め、お客の反応から好みの傾向をマッチングして提供している。
「例えば酸味一つ取っても、風味の異なるコーヒーを用意することで、ミスマッチを防ぐことができます。細かい豆の説明をするより、実際に飲んでもらうことで、お客さんの表情や言葉からたくさんの情報を得られます。そうした反応を蓄積して好みの傾向がわかるようになってくると、微妙な嗜好の幅に合わせて提案できる。わざわざ、こんな場所まで来てくださるので、“ハズレのコーヒー”を出さないのが大事。何より、個性の際立った風味を体感すると、コーヒーの選択肢がぐっと広がるので、そのはじめの一歩をお手伝いする場にしたい」
豆を選ぶ基準は、焼くのが難しいもの、特殊なフレーバーを持つもの。手網焙煎で、ユニークな豆の風味をいかに引き出すかを考え、実験的に仕入れている部分もあるという。岩本さんにとってこの店は、お客も巻き込んだコーヒーの共同研究室でもある。もとより、今まで誰もやってこなかったアプローチだけに、常に自分でデータを取り、味の検証を続けてきた。そんな地道な追究は、本人の想像以上のインパクトをもたらした。
「正直、こんなに多くの人に驚いてもらえるとは思いませんでした。いまだにコーヒーはわからないことだらけで、いつまでも楽にはならないですが(笑)。単なる体験というより“事件”に近いコーヒーと出合える機会を作って、ここを目指して来てもらえる店にしたい」と、和歌山のローカルエリアからさらなる発信を広げている。
■尽きぬ探求心で和歌山のコーヒーシーンを牽引
もはや店の存在自体が“事件”となって、全国に名を知られるまでになった「歩里人珈琲」。岩本さんの、尽きぬ探求心と行動力は地元のロースターにも大いに刺激になっている。一方で岩本さん自身も、Qグレーダーの資格を取得するなど研鑽を重ねるなかで、コーヒーがグローバルな飲み物だという実感を強くしてきた。地方にいては新たな原料や技術の情報が入ってこないことに危機感を抱き、各地のセミナーや展示会に積極的に参加。和歌山の同業者とは定期的に勉強会を開き、最新のコーヒー事情を共有する機会を増やしている。
その一環として、2025年は、地元のロースターを挙げてさまざまな焙煎競技会に参加。焙煎機メーカー・ギーセンが主催する若手の大会・1CCCで優勝者を輩出し、自身もパナマ産コーヒーに特化したPanama Coffee Roasting Competition(PCRC)ゲイシャ部門で、競技会初出場にして準優勝を獲得。2人の入賞者が誕生したことで、和歌山のコーヒーシーンに注目が集まった。岩本さんはこれにとどまらず、同じ年にエチオピアの豆に特化した焙煎競技会にも参加。また、SCAJ主催のジャパンロースティングチャンピオンシップ(JCRC)でも、決勝に進出するなど存在感を増している。「特にPCRCでは、すごく注目を浴びて、生産者さんにも喜んでもらえて、表彰式は最高の瞬間でした。手網焙煎で決勝進出したことに主催者が驚いていて、競技の映像を食い入るように見ていたのが印象に残っています(笑)」
優勝には届かなかったが、「結果的には2位でよかった」という岩本さん。その心は、「もし優勝していたら、次に和歌山から挑戦する人がいなくなるから」と、和歌山発のコーヒーの盛り上げに腐心している。近年はSCAJの展示会にも毎年、出店を続けているが、「まだまだ知ってもらえてない感が強い」と、地元への意識を常に持っている。「地方にいては成功できない、と思う人が多いぶん、この場所で続けていることには価値がある。地元を出ることは考えてないので、今後は、和歌山でコーヒーに関心を持つ人がロースターやバリスタとして活躍できる環境を作っていきたい」。学生時代に研究対象としていた触媒になぞらえて、自身が周りの人の活躍を促す触媒になれればという。
いまや「歩里人珈琲」の代名詞となった手網焙煎。岩本さんにとって、自らの個性を発揮する手段として、これ以上ないものだった。「手網はビギナーにも入りやすいし、ベテランにも原点を思い出させるもの。小さいころから親しんできたモノ作りを生かして、できたもので思った以上の反応を得られたら、それが生きる原動力になる。今では精神安定剤みたいなもので(笑)。どれだけ続けても正解は出ないけど、うまくいきそうでいかないのがコーヒーの本源的な魅力。その過程が、人の好奇心をわしづかみするのかも」
人生を変えた手網焙煎によって、コーヒーに対する視点を変えたい。和歌山に現れた“コーヒーの発明家”は、のどかな山間の町からさらなる可能性を広げている。
■岩本さんレコメンドのコーヒーショップは「BEAR COFFEE」
次回、紹介するのは、大阪府熊取町の「BEAR COFFEE」。
「店主の宇賀さんとは焙煎のワークショップで知り合い、意気投合して以来、リスペクトする同志です。お店は大阪府南部にありますが、和歌山のロースターとも活動を共にしています。開店後も常に勉強を欠かさず、Qグレーダーをはじめ数多くの資格を取得。コーヒーの魅力を広める活動やセミナーなども活発に開いていて、周りからは“宇賀先生”と呼ばれるほど(笑)。近年は競技会でも評価を高めている注目の実力派です」(岩本さん)
【歩里人珈琲のコーヒーデータ】
●焙煎機/オリジナル手網1キロ
●抽出/フレンチプレス、エスプレッソマシン(オリジナル)
●焙煎度合い/浅~中深煎り
●テイクアウト/ あり(550円~)
●豆の販売/ブレンド1種、シングルオリジン約20種、100グラム950円~
取材・文=田中慶一
撮影=直江泰治
※記事内に価格表示がある場合、特に注記等がない場合は税込み表示です。商品・サービスによって軽減税率の対象となり、表示価格と異なる場合があります。
【関連記事】
・
コーヒーで旅する日本/関西編|焙煎卸の老舗がイメージ一新。和歌山初の試みの数々で地元ファンの裾野を広げる「とびだす焙煎所」
・
コーヒーで旅する日本/関西編|代替わりで心機一転。時代と共に進化を続ける、喫茶店ならではの憩いの提案。「喫茶ピュア」
・
コーヒーで旅する日本/関西編|スーパーの中に焙煎所が出現? 気取らぬ雰囲気で多彩なコーヒーの楽しみを発信。「茶豆」
・
コーヒーで旅する日本/関西編|個性際立つコーヒーとスコーンのペアリングの妙。「kamuro. coffee & scone」で味わう“おいしい化学反応”
・
コーヒーで旅する日本/関西編|確かな技術と朗らかな接客が醸し出す、親しみに満ちた憩いの時間。「SUNDAE」