山口アタル インタビュー(前編)
背番号「127」──2022年の育成ドラフト3位で日本ハムから指名され、翌23年に入団して以来、山口アタルはこの番号を背負ってプレーしている。
カナダ・バンクーバーで生まれ育ち、アメリカの大学で野球を続けた異色の外野手。そんな山口にとって、日本で初めて渡された3桁の背番号は新鮮だった。
加藤豪将に憧れ、プロ野球選手を目指したと語る山口アタルphoto by Sportiva
【3桁の背番号は恥ずべきものではない】北米の主要スポーツでは、選手が3桁の背番号をつけてプレーすることは基本的にない。だからこそ、カナダの友人やアメリカの大学時代のチームメイトからは不思議がられたという。
「北米のスポーツ界には、そういう文化がまったくないんです。カナダにいる友だちや、アメリカの大学時代の元チームメイトから『なぜ3桁の背番号をつけているの?』とよく聞かれます。でも、説明するのが難しいんですよね」
日本のプロ野球では2005年に育成選手制度が導入され、育成選手は原則として3桁の背番号をつける。支配下選手として登録されれば1、2桁の背番号となり、一軍の公式戦に出場する道が開かれる。
育成から支配下への昇格は、狭き門だ。それでも、そこから球界を代表する選手まで駆け上がった例はある。
ソフトバンクの育成出身で、のちにメジャーリーガーとなった千賀滉大(現・メッツ)や、同じく育成から日本代表の正捕手にまで上り詰めた甲斐拓也(現・巨人)などが代表的な存在だ。
幼い頃からプロ野球選手になることを夢見てきた山口にとって、3桁の背番号は決して恥ずべきものではない。むしろ、現在地を教えてくれる番号だという。
「憧れていたプロ野球の世界に入れた大きな一歩ですから、うれしさがあります。ただ3桁というのは、まだ支配下ではないという立場でもある。だから、2桁のユニフォームをもらうための原動力になる。野球選手として評価してもらっているけど、まだ支配下選手としての評価には届いていない。僕にとっては、いい刺激になっています」
山口は、日本の育成制度に近い感覚を覚える北米の仕組みとして、学生スポーツにおける「レッドシャツ」を挙げる。
山口がアメリカの大学でプレーしていた当時、大学スポーツで広く使われていた言葉で、選手が一定期間、公式戦への出場を控えながら練習を続ける仕組みだ。日本の育成選手制度とは性質が異なるものの、「チームに所属しながら公式戦出場に制限がある」という点では、山口にとって重なる部分があるようだ。そして、日本の3桁の背番号には、北米にはないわかりやすさがあるとも感じている。
「アメリカでマイナーリーグの試合を見ても、その選手がドラフト上位で指名されたのか、ギリギリで指名されたのか、見た目ではわからないですよね。でも日本の場合は、背番号を見れば育成選手だとわかる。『3桁だから、まだ2桁の選手ほど評価されていない』と思われているわけです。『3桁の選手にしてはいいね』とは言われたくない。ただの『いい野球選手だ』と評価してもらいたいんです」
【14歳の時に加藤豪将から与えられた夢】1999年生まれの山口は、日本人の父とカナダ生まれのギリシャ系の母の間に生まれた。野球を始めたのは、野球好きだった父の影響だった。
プロ野球選手になりたいという思いが強くなった瞬間も、はっきりと覚えている。2013年のMLBドラフトだった。
当時14歳だった山口に大きな衝撃を与えたのが、ニューヨーク・ヤンキースからドラフト2巡目(全体66位)で指名された加藤豪将(かとう・ごうすけ)だった。
「父から『ほら、日本人の高校生がヤンキースにドラフトされた。おまえも頑張れば夢をかなえられるんじゃないか』と言われたんです。それから加藤さんのブログをフォローするようになりました。よく読んでいましたし、マイナーリーグでの生活や、野球について考えていることはすごく参考になりました」
それから約10年後、思いもよらない巡り合わせが待っていた。2022年のドラフトで、日本ハムはドラフト3位で加藤を、育成ドラフト3位で山口を指名したのだ。10年近くその背中を追い続けてきた存在と、まさか同じユニフォームを着ることになるとは思ってもいなかった。日本ハムでともにプレーした2年間で親交を深め、現在も連絡を取り合っているという。
【ライトスタンドからイチローを見続けた少年時代】そして山口が大きな影響を受けた日本人選手はもうひとりいる。イチローだ。
山口の故郷であるバンクーバーから国境を越えて南下すれば、シアトルがある。少年時代、マリナーズで活躍していたイチローを見るため、父と何度も球場へ足を運んだ。しかも、父が選んだ席には明確な理由があった。
「いつもイチローさんが守っている真後ろのライトスタンドで見ていました。すばらしい守備力だけじゃなくて、試合への臨み方や姿勢、投球間のストレッチまで、イチローさんのすべてを僕に吸収してほしかったからと、父はその席を選んでいたんです。内野席だったら、バッティングを見られるのは3イニングに1回くらい。でもライトスタンドなら、守っている間はずっと目の前で動いている。すごく勉強になりました」
父と日本へ里帰りした際には、イチローが少年時代に通っていたことで知られる愛知県の『空港バッティング』にも足を運んだ。
「何歳の時だったかは覚えていないんですけど、野球を始めてまだ数年しか経っていなかったと思います。イチローさんが使っていたマシンの球が、ものすごく速く感じたことを覚えています。確か120キロくらいだったと思うんですけど、『うわっ、イチローさんは子どもの頃からこんな速い球を打っていたのか』って。本当に驚きました」
ふたりの日本人選手に大きな影響を受けながら、山口のなかでプロ野球選手になるという夢は、少しずつ具体的な目標へと変わっていった。やがて、その視線の先に浮かんだのが、父のルーツでもある日本のプロ野球だった。
カナダで生まれ、アメリカで野球を続けた山口は、いかにして日本球界を目指し、日本ハムからドラフト指名を受けるまでに至ったのか──。その道のりもまた、決して平坦なものではなかった。
つづく>>
山口アタル(やまぐち・あたる)
/1999年5月28日生まれ。カナダ・バンクーバー出身。ブリタニア高からコルビー・コミュニティ・カレッジ、テキサス大タイラー校(中退)へ進み、大学時代は投手としてプレーしたのち外野手に転向。日本球界とのつながりがないなか、自ら12球団にプレー動画を送り、日本ハムなど3球団の入団テストを受験した。2022年育成ドラフト3位で日本ハムから指名され、翌23年に入団。179センチ、95キロの恵まれた体格と高い身体能力を武器に、支配下登録を目指してプレーを続けている。右投右打
ブラッド・レフトン●文text by Brad Lefton
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