養鶏場を脱走した一羽の雌鶏の旅を通して、人間社会の不条理さと滑稽さを見つめる映画「雌鶏」が9月25日に公開される。監督を務めたのは、「ハックル」(2002)「タクシデルミア ある剥製師の遺言」(2008)などで知られるハンガリーの鬼才パールフィ・ジョルジだ。なぜ彼は主人公に雌鶏を選んだのか。小林一茶の俳句に込めた意味、人間と動物を分ける「責任」、そして8羽の雌鶏たちとの撮影まで、その独創的な作品世界の裏側を聞いた。(取材・文/ISO)
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【動画】「雌鶏」予告編
【「雌鶏」あらすじ】
養鶏場で生まれ育った1羽の黒い雌鶏が、出荷用のトラックから脱走した。人生で初めて自由を手に入れた雌鶏は、刺激と危険に満ちた世界を走り抜け、ある事情を抱えた一家が暮らす家にたどり着く。庭に建つニワトリ小屋で新生活をスタートさせた雌鶏はやがて恋をし、初めて産んだ卵を温め育てようとするが、大切な卵は毎日人間に回収されてしまう。我が子がヒヨコになる日を雌鶏が夢見る一方で、飼い主一家はとある事件に巻き込まれる。その先には、両者にとって思いがけない運命が待ち受けていた。
●卵を奪われても、また産む。雌鶏に重ねた自身の映画作り
――「バルタザールどこへ行く」(1966)や「ベイブ」(1995)をはじめ、これまでいろんな動物映画が作られてきましたが、主人公の多くは目や顔の動きから感情を読み取りやすい哺乳類でした。一方、鶏は哺乳類と比べると表情の変化が少なく、観客が感情を読み取るのはより難しいように思います。それでも本作の主人公に鶏を選んだ理由から伺えますでしょうか。
パールフィ・ジョルジ(以下、ジョルジ):まず、私自身はこれを「動物映画」だとは思っていません。もちろん中心にいるキャラクターは動物ですが、これは人間の行動についての映画であり、人間が下す困難な、時には間違った決断についての映画です。
私にとって、この映画の本当の主人公は年老いたレストランの店主です。もちろんそこには動物の物語もありますが、重要なのは、人間の物語をどう別の角度、別の視点から語るかということでした。その結果、雌鶏が主人公のように見える映画になっていますが、私にとっての主人公はあくまで人間なんです。
――監督はハンガリーで政治的な理由から映画製作の資金を得ることが難しくなり、国境を越えて成立する物語を模索するようになったと伺っています。そうしたご自身の映画作りの経験は、今回の作品にどのようにつながっているのでしょうか。
ジョルジ:残念なことに、主人公の雌鶏の境遇は、私の置かれた状況と多く重なっています。雌鶏は人間のそばから逃れようとしますが、人間は何度も彼女の卵を奪ってしまう。それでも彼女はまた卵を産み、子を育てようとする。
私も映画を作って、映画館で観客に物語を届けたいと思い続けてきました。でも、それを実現するのはとても難しい。映画のアイデアを一つの「卵」だとすれば、その卵を誰かに奪われてしまうようなものです。映画を作るために資金を申請しても、予算を与えてもらえない。それでも諦めず、また映画を作ろうとする。そういう意味で、この映画には、私自身の人生や、映画を作り続けてきた経験と明確に重なっていると思います。
――映画の冒頭には、小林一茶が幼い娘を亡くした際に詠んだ「露の世は露の世ながらさりながら」という句が掲げられています。本作では、人間側の物語を古典ギリシャ悲劇の伝統に沿って描いていますが、その一方で、冒頭にはギリシャに由来する言葉ではなく、日本の俳句を選ばれました。なぜこの句だったのでしょうか。
ジョルジ:俳句は、ほんのわずかな言葉で、とても大きなことを語ることができます。冒頭にあの句を置いたのも、一羽の雌鶏を通して、それよりもずっと大きなことを語ろうとしている映画なのだと観客に示したかったからです。小林一茶が、わずかな言葉で大きなことを語ったようにね。
それに、この映画自体がとても国際的な作品です。ドイツ、ギリシャ、ハンガリーによる作品に、日本の俳句が加わったことで、少しだけ日本も入った(笑)。今は文化と文化の境界も以前ほど明確ではなく、私たちはある意味、同じ文化のプールの中で生きている。だから、日本の俳句を使うことにも抵抗はありませんでした。あの句が語っていることと、私たちがこの映画で描こうとしていること、そして人生を見つめる視点には、とても近いものがあると感じたんです。
この句を知ったのは、ハンガリー語訳を通してでした。ハンガリーの素晴らしい詩人、デジェー・タンドリが翻訳したものです。その後、英訳も探したのですが、私にはあまりしっくりこなかった。一方で、ハンガリー語訳はとても洗練されていると感じました。ほんの数語の詩であっても、翻訳によって大きな違いが生まれるんです。ですが最終的に映画では、小林一茶の言葉をギリシャ語で使いました。ドイツ、ギリシャ、ハンガリーの映画で、日本の俳句をギリシャ語で読む。かなりの「文化的カオス」です(笑)。でも、私はその混ざり合いがとても好きなんです。
●雌鶏の目を通して映し出す、人間社会の矛盾と悲劇
――雌鶏は、卵を産み、守り、育てようとする本能に従って生きています。一方、人間は倫理的な判断を下せるはずでありながら、欲望や争いの果てに傷つき、傷つけられる姿が描かれていますよね。本作では、そういった鶏の本能と人間の倫理観をどのように対比させたのでしょうか。
ジョルジ:私はこれまで映画を作るたびに、人間と動物の共通点や違いについて考えてきました。人間の中にはどれだけ「人間」の部分があり、どれだけ「動物」の部分があるのか。私たちの行動や決断のうち、何が生まれながらに備わったもので、何が後から身につけたものなのか。もちろん、その根底には、私たち人間もまた動物であるという事実があります。この作品では特に、動物にできることと人間にできることの違いを描こうとしました。そして私の8作目の映画にして、ようやくその問いへの一つの答えが見えてきた気がしています。
一つの生き物として考えれば、鶏と人間には、違いよりも共通点のほうがはるかに多い。ただ、人間にはもう一つの次元があります。私たちは過去を理解し、未来を想像しながら現在を生きることができる。つまり、過去に何が起きたのか、自分の選択によって未来に何が起こり得るのかを理解できるんです。雌鶏はただ、生き延びたい、食べたい、子どもとともに生き延びたいという本能に従っている。そこに責任はありません。でも人間は、自分の行動がもたらす結果を理解できるからこそ、責任を負い、常に道徳的な選択を迫られる。人間であることは難しいんです。
――劇中では、難民危機や人身売買といった、現代のギリシャが直面する社会的な課題も物語に深く関わっています。なかでも、難民たちを襲う出来事は非常にショッキングですが、なぜあれほど理不尽で悲惨な展開を描こうと考えたのでしょうか?
ジョルジ:残念ながら、あのような出来事は、この映画のために作り出した特別な悲劇ではありません。現実に繰り返し起きていることなんです。ギリシャを舞台にすると決めたとき、難民をめぐる状況は、この国にとって非常に大きな社会的・政治的課題でした。なぜ彼らは故郷を離れ、あのような方法で国境を越えなければならないのか。彼らをどう助けるのか。一方で、彼らを国内に入れないようにするにはどうするのか。非常に複雑で、政治的にも社会的にも大きな問題になっています。
人身売買によって人が命を落とすことも、残念ながら珍しいことではありません。もちろん、映画の中でどの悲劇を描くかを選んだのは私です。ただ、私はできるだけ誠実に、現実に即した物語を語りたかった。そう考えれば、難民をめぐる悲劇を避けて描くことはできませんでした。
――撮影前には、実際にギリシャで1年間暮らしたそうですね。その経験は、ギリシャ社会や登場人物を描くうえで、どのように活かされたのでしょうか?
ジョルジ:そもそものアイデアは、「誰からも気に留められない一羽の小さな雌鶏」と「巨大な社会問題」を、一人の人間を介して交差させることでした。ギリシャを舞台にするなら、その社会問題が難民や人身売買になることは最初から明確でした。その部分については、ギリシャで暮らす前から脚本も固まっていたんです。
私が現地で暮らす必要があると感じたのは、むしろ登場人物たちの文化的な背景を理解するためでした。ギリシャの人々がどんな日常を送り、どんなふうに話し、人と付き合い、商売をするのか。そうした振る舞いは、国や文化によって少しずつ違います。現地で大きな社会問題について知りたかったというより、そこに生きる一人ひとりの人間を知りたかったんです。なぜこの場面で「ノー」と言うのか、なぜ「イエス」と言うのか。なぜ笑い、なぜ泣くのか。そうした細かな部分まで理解することが、この映画を撮るうえでとても重要でした。
●雌鶏たちが安全に撮影できれば、この映画もうまくいく
――雌鶏の行動や感情をカメラや編集、音楽によって物語として演出しながらも、過剰に擬人化することは避けていますよね。雌鶏の内面を感じさせつつ、あくまで一羽の動物として描く。そのバランスはどのように考えたのでしょうか?
ジョルジ:そこには非常に厳格なルールを設けていました。ニワトリはあくまでニワトリであって、擬人化された動物にはしない。だから言葉を話すこともないし、実際のニワトリにできない行動もさせません。
ただ、その境界線がとても微妙になる瞬間はありました。たとえば、雌鶏がレストランの店主によって自分の卵が調理される様子を見つめる場面があります。ニワトリが人間の行動を見ること自体は当然あり得ます。でも彼女がそこで、「自分の卵に何が起きているのか」まで理解しているのかは分からない。もしかしたら理解しているかもしれないし、していないかもしれない。大切なのは、雌鶏が実際にニワトリとして可能な行動しかしていないことです。ただ、その行動にどんな意味を見出すかは観客に委ねられる。その非常に狭い境界線をどこに引くのか、撮影中は何度も難しい判断を迫られました。
――雌鶏の映像はほぼCGを使わず、8羽の雌鶏が役割を分担しながら主人公を演じたそうですね。かなり大変な撮影だったのではないかと思いますが、その雌鶏たちの安全をどのように確保したか気になる人も多いかと思います。
ジョルジ:安全な環境を整えることは、撮影において最も重要なことでした。それは単に「動物を傷つけてはいけない」というルールがあるからではありません。雌鶏たちが安心していられる環境でなければ、そもそも彼女たちと一緒に映画を作ることができないと分かったからです。そこで重要な役割を果たしたのが、動物トレーナーのリーダー、アールパード・ハラスです。彼には独自の方法があって、いわば「ホース・ウィスパラー(馬と信頼関係を築き、意思疎通する調教師)」のように動物とコミュニケーションを取ることができる。しかも馬だけではなく、どんな動物ともそうした関係を築ける人なんです。
撮影の2カ月前から、彼は雌鶏たちのトレーニングを始めました。ただし、何かを無理に覚えさせるのではなく、まず人間のそばを安全な場所だと感じてもらう。餌を与え、優しく声をかけ、撫でる。人間と接すると良いことが起きると覚えてもらうことで、撮影が始まる頃には、雌鶏たちは物怖じせず、私たちとの共同作業を受け入れてくれるようになっていました。スタッフ全員も、雌鶏たちを「同僚」として扱いました。本当にこの映画の俳優たちだったんです。人間より待遇が良かったんじゃないかな(笑)。宿泊環境も食事も良かったし、休憩もずっと多く、撮影時間も私たちより短かった。
つまり、撮影全体が雌鶏を中心に組み立てられていたんです。彼女たちの状態が良ければ、きっと映画もうまくいく。そう考えていました。単に「動物を傷つけない」という規則を守る以上に、雌鶏たちが安心していられること自体が、この映画を成立させるために不可欠だったんです。
【作品情報】
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雌鶏
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