(写真撮影/相馬ミナ)
9月18日(金) 7:00
都心部を中心に、バブルとも表現したくなるほどの不動産市場が過熱し、住まいを購入する選択肢のハードルは上がるばかり。一方各地で処分に困る「空き家問題」や「実家問題」が深刻化しています。本連載では、そんな実家を魅力的な使い道で再生させた事例をピックアップ。第1回は、祖母が暮らした古い団地を孫が買い取り、QOL爆上がりの住まいに再生させたストーリーをお届けします。
東京郊外の団地に誕生した、とことん非日常な白昼夢的空間東京のターミナル駅から電車に乗って30分ほど。到着したのは、生活に欠かせないショップと、ちょっとワクワクするような飲食店などがほどよく集まる、大きすぎも小さすぎもしない郊外の駅です。休日の午後をのんびりと過ごす老若男女が行き交っています。
駅から歩いて10分足らず。見えてきたのは、どこか懐かしい佇まいの団地。ゆったりとした敷地で周囲には緑豊かな樹木が。だれもが見覚えのありそうな、郊外の穏やかな原風景。しかし、エレベーターを上り、その1戸の扉を開いたら、広がっていたのは完全に「非日常」な空間でした。
「ホテルライクでスタイリッシュ――」
マンションの販売広告などでよく目にする表現ですが、それとは一線を画する雰囲気。とにかく、先ほどまで見ていた駅まわりのにぎわいや、団地のレトロな景観を記憶から一瞬で消し去っていきました。「幻想的」という言葉がふさわしいでしょうか。ここへ帰ってくれば、仕事場や学校など、外の世界で起きたリアルなできごとを丸ごとリセットできそうです。
「蜃気楼のような見え方、境界の曖昧さを意識してデザインを考えました。この空間に暮らしていること自体が、まるで白昼夢になるイメージです」。そう話すのは、この住まいの施主であり、設計を手がけた川内聡士(かわち・さとし)さん。27歳。建築設計事務所に勤める会社員です。実は、団地の一戸であるこの住まい。もともとは、川内さんの祖母が暮らしていました。すでに売却が決まっていますが、川内さん自身も数カ月前までここに暮らしていました。つまり、祖母の家を、孫の川内さんが引き継いで、自身の設計でリノベーションして暮らしていたのです。
「普段は、学校や庁舎など、公共の建築物の設計に携わっているので、個人住宅は畑違い。住宅設計は、今回が初めてでした」
社会人になって数年。日々の仕事とはまったく違う、個人宅の設計に取り組んでみたい。そんな思いからスタートしたリノベーション。日々の業務とは、規模も手法も違いますが、施主は自分です。妥協を強いられるクライアントはいません。建築家として、住み手として試してみたいアイディアをすべて詰め込み、自らの理想の空間をつくり上げたというわけなのです。
■川内さんのおうちDATA
住所神奈川県川崎市
築年約50年
間取り2LDK(元は3DK)
面積約57平米
リフォーム完了年2024年
工事費1500万円
世帯構成本人(ひとり暮らし)
設計本人(設計費はゼロ)
川内さんの祖母は、夫(つまり川内さんの祖父)が亡くなり、ひとり暮らしになった際に一軒家を売却。娘家族の家のそばにあるこの住まいに引越してきたんだそう。
「僕が小学6年生のときのことです。祖母はこの団地の明るさ、駅からの近さ、そしてなにより、のどかさがいいと気に入っていました。家が近かったのもあり、僕もよく遊びに来ていた思い出の場所です」と話す川内さん。
時を経て祖母がひとり暮らしに不安を感じるようになってからは、しばらく空き家状態に。両親が時折訪れ、手入れをしていましたが、管理の手間、固定資産税や管理費の負担に加え、祖母の高齢者住宅への入居が決まり、その費用を工面する必要から、売却の話が持ち上がります。そこに名乗りを上げたのが、孫である川内さんでした。
購入の決め手になったのは6階からの眺望。向かい側は公園で、その先は高い建物が建てられない第一種低層住居専用地域。この先も見晴らしはずっと確保されています。もちろん、祖母の思い出も大きいですし、自分ひとりの設計で空間をつくり上げてみたかったというのも強い動機になりました」
相続ではなく、正式に祖母から買い取る形を選択。物件購入費は住宅ローンで、リノベーション費用は融資でまかないました。親族間売買で住宅ローンを組む手続きは大変だったと川内さんは振り返ります。
とはいえ、そのかいは大いにありました。当時の川内さんは、20平米の1Kにひとり暮らし。ローン返済額に管理費・修繕積立金を合わせても、月々の支払い合計は、その家賃プラス数万円。少ない負担増で、3倍近い広さと、理想を追求したクオリティの高い住まいを手に入れたのです。この選択によって川内さんのQOL(生活の質)は、一気にアップすることとなりました。
川内さん宅に入って、まず“ハッ”とするのは、独特の色トーン。白壁のようでいて、ほんのり青みがかったニュアンスがあります。青系の白と聞くと、寒々しくなりそうなところ、ぎりぎりのラインでリラックスできる色合い。ビニールクロスではなく、ペンキ塗装をした壁だということも、空間に奥行きと豊かな表情を生み出している理由でしょう。
キッチン側の壁に採用したのは、オーストラリアの塗料ブランド「ヘイムスペイント」。色味のよさだけでなく、左官で仕上げたかのような凹凸を感じるテクスチャーで、見る角度によってもニュアンスが変わり、上質な雰囲気になっています。さらに腰壁は全面タイルを採用したというこだわりぶり。
床材に選んだのは、グレー系の「マーモリウム(リノリウム)」。塩ビなどの合成樹脂とは異なり、天然由来の原料からつくられる素材です。高い耐久性や環境負荷の少なさに加え、抗菌・抗ウイルス性能の高さから医療・教育施設で重宝されています。素材自体が高価で施工の難易度も高いため、価格面で導入のハードルは上がりますが、「さらさらとした肌触りで、ビニール床よりも暖かいんです」と川内さんは語ります。
こだわりは素材選びにとどまりません。寝室として使用していた洋室(間取り図内の「洋室2」)とLDKを仕切る壁を柔らかな曲線にしたり、動線のよさを確保しながら生活感を排除できるパントリーを設けたり。さらに広々とした玄関土間、造作の洗面台を帰宅動線に設置するなど、間取りのこだわりも随所に。古い家では課題となりやすい断熱性能にも配慮し、樹脂製のインナーサッシ(内窓)も導入しています。
ヴィジュアルの美しさだけでなく、間取りの使いやすさ、コストを押し上げてしまいがちな壁や床の質感までも諦めなかったおかげで、川内さんにとっての理想的な住まいになりました。リノベーションにしっかり予算をかけたことの成果でもあります。
初めての住宅設計にあたり、先輩建築家の内覧会やメーカーのショールームに足を運ぶなど、事前の勉強に力を入れたという川内さん。「ヘイムスペイントは講習を受けて自分で塗りましたし、寝室の壁の一部はあえて構造壁をそのまま残してラフな仕上げにしています。また扉をなくし、カーテンでゆるく仕切ったことで、結果的にその部分がコストカットに貢献しています」
予算を削るための苦肉の策というよりは、「なにが自分にとってよりよいか」を突き詰めた選択からの結果。インナーサッシに関しては、国の補助金制度も賢く活用しています。
自分が住むための家であり、日々のQOLを上げるためのリノベーション。大きな妥協はなかったようです。
「リノベーション後は、友だちがよく集まってくれるようになりました。リビングの壁にプロジェクターで映像を映せるのでキッチンから観ながらみんなで料理をして、食卓を囲む機会が増えました。年越しもここでワイワイと過ごし、そのまま海まで初日の出を見に行ったこともありました」
飛躍的に暮らしの質が上がった川内さんの日常。スタイリッシュな空間での快適な暮らしです。とはいえ、まだまだ20代。最初から、終のすみかにしようと思っていたわけではありません。自分の心地よさのためにこだわり満載で全力投球でつくった住まいではあるものの、ライフステージに合わせた「リセール(再販)」は最初から織り込み済みでした。
ファミリー層が多い立地ということもあり、子ども部屋もつくれることも考慮したうえで、間取りを計画していました。不動産広告上で『2LDK』と表記できるよう、建築基準法に基づく採光の条件もクリアさせています」
玄関土間を広く取ったのは、若いファミリーならベビーカー置き場が必要だろうと考えたから。川内さんがウォークインクロゼット兼書斎として使っていた洋室(間取り図の洋室1) は、シングルベッドを配置できるサイズを確保しているため、子ども部屋としてしっかり機能します。
あくまでも、単身の川内さんの暮らしに最適化させつつも、リセール時のアピールポイントもあらかじめ設計に取り入れたというわけです。
「1年半暮らしたところで、自分の設計がどう市場で評価されるのか、ちょっと『腕試し』がしたくなって。急いで売る必要はなかったので、自分としては強気な価格設定で不動産市場に出してみたんです」と川内さん。
すると、とんとん拍子で話が進行。購入希望者が複数になるほど反響があり、設定した価格のまま、値下げ交渉に応じることもなく、あっという間に売却が決まりました。
内見に訪れた人々の多くは、もともとこのエリアを検討対象にしていなかったと言います。希望価格帯で目にした魅力的なデザインと快適そうな間取りに惹かれて、想定外のエリアに足を踏み入れたということ。つまり、まったく候補になっていなかった地域へ、人を引き寄せる物件になっていたのです。
実家の思い切ったリノベは、売り手&買い手双方にメリットある解決策となった
「リセールのことばかりを意識すると、内装も間取りもシンプルで、ありきたりなものになっていってしまいがちです。今回は僕が住むことを第一優先にリノベーションしたのが、よい結果につながったんだと思います」と、川内さんは今回の売却を振り返ります。
「こだわりの物件に住みたい」と願う買い手がいても、限られた時間の中で知識を蓄え、ゼロからリノベーションを決行するのは、簡単なことではありません。一方で、不動産売買の事業者が販売するリノベーション済み物件は、万人に好まれる無難なデザインにまとまりがちで、ありきたりなものがほとんど。エリアや予算のハードルを乗り越えてまで住みたい!と思わせてくれる物件は、滅多に出合えないのが現実です。
そこに、個性が光るオンリーワンの物件が市場に投入されれば、「自分でのリノベーションは大変だが、こだわりのある空間に住みたい」という買い手の心をがっつり掴むことができます。オンリーワンな物件をつくることは、確実な売買をコンスタントに続ける必要がある事業者にとってはリスクを伴います。
でも、「まずは住み手が自分のためにリノベーションをして満足して暮らす。そのうえでさらなるステップとしてリセールを考える」。このプロセスなら、自分のリノベーションに共感してくれる、たったの一組の買い手に出会えればいいのです。
売却が決まり、川内さんは次なる住まいをリノベーション中だそう。狭くはなりますが、より都心に引っ越しをすることが決まっています。今回の経験を糧にして、次は、あこがれの街へとステップアップというわけなのです。
築50年近い団地。郊外という立地。一人暮らしには広く、ファミリーにはやや狭いという約57平米という生活のイメージがしずらい中途半端なサイズ感の物件を、川内さんは見事に次世代へとつなぐ価値ある物件として再生させました。
実家(祖母の家)という既存の資産は、アプローチ次第で、すばらしい価値を生み出す宝になる。そんなことを証明してくれる事例です。
●取材協力
川内聡士さん
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