【追悼・張本勲】篠塚和典が思い出す安打製造機「ハリさん」の素顔イチロー、自分とのバッティングの違いも語った

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【追悼・張本勲】篠塚和典が思い出す安打製造機「ハリさん」の素顔イチロー、自分とのバッティングの違いも語った

9月18日(金) 6:35

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NPB史上最多の通算3085安打をマークし、引退後は球界のご意見番としても知られた張本勲氏が9月9日に逝去した。巨人時代に4年間チームメイトとして過ごし、同じく球史に残る安打製造機として活躍した篠塚和典氏に、遠征時に同部屋になった経験など、印象に残っているエピソードを聞いた。

現役通算3085安打という偉大な記録を残した張本勲photo by Sankei Visual

現役通算3085安打という偉大な記録を残した張本勲photo by Sankei Visual





【遠征で一度だけ同部屋に】――張本さんの訃報は、どのような形で知りましたか?

篠塚和典(以下:篠塚)ハリさん(張本氏の愛称)とは、今年7月27日の「サントリー ドリームマッチ」でお会いしたばかりでした。その時はすごく元気そうだったので、報道で知った時は「まさか......」という心境でした。病気を患われているという話も聞いていなかったので。

ドリームマッチが始まる前、参加するOBが集まって話す時間があるのですが、ハリさんは「OBとして試合をする時にはヘラヘラ笑わない!やるからには真剣にやらなきゃいけない」と喝を入れてくれました。

――張本さんは1975年オフにトレードで日本ハムから巨人に移籍し、1976年の長嶋茂雄監督のリーグ初優勝や二連覇に大きく貢献しました。篠塚さんは1975年のドラフト1位で入団し、張本さんと4年間チームメイトでしたが、最初に接した時のことを覚えていますか?

篠塚自分がプロ2年目で初めて一軍に上がった時の試合前、相手チームの練習をベンチで見ていたらハリさんがたまたま私の近くに来たんです。そこで「お世話になります。篠塚です!」とご挨拶をしたら、「頑張れよ!」と声をかけてもらったのが最初の会話だったと思います。

――遠征時、同部屋になったことがあるとお聞きしたことがあります。

篠塚巨人が遠征時の定宿として利用していた「竹園(ホテル竹園芦屋)」で、一度だけ同じ部屋になりました。ハリさんは17歳上の大先輩でしたが、当時は先輩が後輩に対して「ああしろ、こうしろ」と指示してくれることはなかったので、とにかくハリさんに失礼がないように気を張っていました。何も言わずに外へ出ていくことなんてできませんしね。

ふたりでテレビを見る時なども特に会話はないですし、無言でじっと見ているだけ。でも、遠征の最後の日か前日あたりに、「シノ(篠塚氏の愛称)、好きに外出していいんだぞ」と言われた記憶があります。私がいつも隣りでじっとしているから、「どこかへ行かないのかな?」と思っていたのかもしれません(笑)。まぁ、歳も離れていましたし、ハリさんから見れば小学生のような感覚だったんじゃないですか。

【イチローとのバッティングの違い】――張本さんは部屋でどのように過ごされていましたか?

篠塚ハリさんは試合が終わって帰ってくると、素振りをしていました。確か8畳くらいの部屋だったと思いますが、敷いてあったふたつの布団をどかして、「これから素振りをするから」と言って、ひたすらバットを振ります。私はその横に体育座りをして、じっと見ているわけです。

20~30分の素振りを終えると風呂に行くのですが、若手はすぐには行けないので、私は少し経ってから風呂に入り、その後に食堂で食事をしました。食後はハリさんより先に部屋に戻らなければいけないので、食事中もずっとハリさんの動向を見ていましたね。

――常に気を張っていたんですね。

篠塚荷物をどこに置くかにも気を遣いましたし、部屋のなかで動く時も、「すみません、お手洗いに行きます」と言ったりしていました。トイレは部屋のなかにあるんですけどね(笑)。何をするにしても、その都度声をかけていました。会話はほとんどなく、テレビを見るだけ。ハリさんが「そろそろ寝るぞ」と言ったら寝ていました。あと、ハリさんはけっこう読書をしていましたね。

――張本さんから、バッティングについてアドバイスをもらうことはありましたか?

篠塚当時は選手が選手に教えることはまったくありませんでした。「見て盗め」という時代でしたから。ハリさんはバットの使い方が独特なんです。バットのヘッドを一度後ろに落としてから振り出すんですよ。ボールをとらえる確率を上げるため、早めにバットの面をボールに向けていたんだと思いますが、あれだけヒットを打った方ですし、勉強になりました。

――安打製造機といえばイチローさんのイメージも強いですが、張本さん、篠塚さん、イチローさんのバッティングにはどのような違いがありますか?

篠塚ハリさんは体勢を崩しながら打つイメージがないんです。私やイチローは体勢を崩しながら打つことも多いのですが、そこが一番の違いじゃないですかね。ハリさんは下半身がどっしりとしていて粘れますし、何よりも腕の使い方がうまかった。足もかなり速かったですし。

――篠塚さんとイチローさんは共通点が多い?

篠塚とんでもないボール球を打ったり、ワンハンドで打ったり、インサイドにきたらしっかりと引っ張ってホームランを打ってみたり。そういった部分は似ているかもしれません。

【偉大なバッティングの教材】――巨人での歴代シーズン打率では、篠塚さんが.357(1981年)、張本さんが.355(1976年)です。

篠塚それは、たまたまだとは思いますけどね。プレッシャーのある人気球団の巨人で、プロとしてのあり方を教えてもらいました。

――張本さんは球界のご意見番として知られ、時に厳しい言葉を口にされる方という印象もあります。実際はいかがでしたか?

篠塚普段は気さくですし、親しみやすい方です(笑)。話し方も、テレビ番組に出ている時とは違う感じですし。話しかけやすい雰囲気がありますし、こちらが質問したことに対して、しっかりと考えて答えてくれました。



――篠塚さんにとって、張本さんはどのような存在だったのでしょうか?

篠塚球界を長く牽引された方ですし、安打製造機という愛称を広く知らしめた方でもあると思います。自分も安打製造機と言われたりしましたが、それもハリさんのおかげですね。

金田正一さんの400勝じゃないですが、3000安打というのは未知の数字です。自分なんかがそれを目標にしてプレーすることはなかったですし、そこまでやるためには多くの試合に出る必要があるので、体が強くなければいけません。それだけ偉大な選手だったということですね。

――球界を長く支えてこられたレジェンドが亡くなられるのは、寂しいですね。

篠塚我々もいずれその時がくるわけですし、仕方ないことなのはわかっていますが、やっぱり寂しいですよね。まだ実感がわかないというのが正直なところです。ただ、野球に携わっている以上、子供たちに「こういう選手がいたんだよ」と伝えていくのは大事な役割だと思っています。

野球教室で子供たちにバッティングを教える時、「バットのヘッドを寝かしてみようか」とアドバイスすることがあるのですが、その時にハリさんのバッティングが頭に浮かぶんです。そういう意味では、ON(王貞治氏・長嶋茂雄氏)と同時代に活躍した、偉大なバッティングの教材のひとつでもあると思いますね。

【プロフィール】

■篠塚和典(しのづか・かずのり)

1957年7月16日生まれ、東京都出身、千葉県銚子市育ち。1975年のドラフト1位で巨人に入団し、3番などさまざまな打順で活躍。1984年、87年に首位打者を獲得するなど、8度のリーグ優勝、3度の日本一を経験した。1994年を最後に現役を引退して以降は、巨人で1995年~2003年、2006年~2010年に1軍打撃コーチ、1軍守備・走塁コーチ、総合コーチを歴任。2009年WBCでは打撃コーチとして、日本代表の2連覇に貢献した。

浜田哲男●取材・文 text by Tetsuo Hamada

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