172センチの長身と抜群のプロポーションで人気を集めるグラビアアイドルの生田柚奈さん(30歳、@03yuxna15)。「わんこそば250杯」の記録を叩き出す鉄の胃袋を持つ異色のグラドルだが、溌剌としたイメージから考えられないほどの逆境を経験している。彼女の半生に耳を傾けた。
わんこそばの250杯は「16人前くらい」
――ご家族も身長が高いとか。
生田:
そうですね。父は187センチありますし、私も小6の時点で168センチありましたから、その血筋を引いたなとは感じます。ただ早生まれだったこともあって、小学校くらいまでは背の順で一番前だったりもしました。10歳くらいのときに急に伸びたんですよね。
――わんこそばを250杯を食べたとのことですが、どのくらいすごいか想像がつかなくて……。
生田:
そうですよね(笑)。中学3年生のときにバスケ部だったのですが、当時は250杯平らげたんですよね。実際に記録も残っています。ちょうど通常のそばで言うと、16人前くらいだと言われています。重さだと4〜5キロといったところでしょうか。
もともとは役者志望だったが…
――衝撃の胃袋です。その生田さんがグラドルを目指したきっかけが気になります。
生田:
高校時代は役者を目指していたんです。ただ、大学で地元の岩手県から上京したタイミングで10キロくらい増えてしまって……。すると、グラビアのお仕事ばっかりくるようになって。始めてみると面白かったし、家族には「大学在学中に芽が出なかったら辞めるから」と約束していたので、自分なりに認めてもらえるように頑張った感じです。
――ご家族の受け止めは。
生田:
グラビアには否定的でしたね。特に母は、「肌を露出する必要があるの?」と言っていました。家族は私を愛してくれますが、地方の堅牢な価値観ではあるので、娘が人前で肌を露出することに抵抗がかなり強かったようで。
――帰省のたびにちくちく言われる。
生田:
いや、そういうことはないんですが、どっちかというとグラビアの話は我が家ではタブーです(笑)。その話題以外であれば仲良く話ができるので、私もそれでいいかなと思っています。
――結局、「大学在学中に芽が出なかったら辞める」は履行したのでしょうか。
生田:
そうですね、大学卒業後、2年制の保育の専門学校へ行き、保育士資格を取得しました。それで、実際に保育園に勤めました。大学在学中にいろいろ考えたんですよ。私の性格上、一般企業への就職は向かないだろうなぁとか。でもアルバイトでやっていた子どもたちに対する水泳の指導は好きだったから、きっと子どもに関わる仕事ならば続けていけるだろうと思って。
グラドル時代を「人生の汚点」と言われた
――実際に、グラドルを学生時代で切り上げて、保育士になった。
生田:
はい。しかし新卒1年目の秋に、園長に呼び出されました。子どもが座る用の椅子に2人で向かい合って座って、園長が「これを見てほしい」と差し出してきたのは、私のグラドル時代のDVDの表紙のカラーコピーだったんです。
当時、本名で活動していたため、検索か何かをしたんでしょうか。園長は「ブックオフでたまたま見つけた」なんて言っていたんですが……。
――しかし過去にグラビア活動をしていたからといって、保育士の仕事をやめなければならないのでしょうか。
生田:
園長は直接「やめてくれ」とは言いませんでした。けれども、「人生の汚点ですよね」とはっきり言ったんです。私は、自分なりの表現方法だし、やましいとも思っていないから本名でやっていたという点も伝えたのですが、その日から退職勧奨のような形で遠回しに退職を促す面談が始まりました。私は、「せめて現在受け持っている子たちが進級するのを見届けてから、辞めたい」と伝え、受け入れられました。
――この件について、ご家族はなんとおっしゃっていましたか。
生田:
「だから言ったでしょう」「反省しなさい」という感じでした。ただ、私は現在でもグラビアについて猥褻物だとは考えていません。むしろひとつの芸術作品だと思っているので、理解されないことについて悲しく感じました。
――家族から理解されることは、もう諦めている?
生田:
そうですね。Next Girls Collectionにてグランプリを獲得したとき、家族LINEにその旨を報告しましたが、「水着以外のアピール方法はなかったの?」と聞かれたので「あったよ」とだけ答えました。本当は「おめでとう」と言ってほしかったのですが、叶わなかったですね。
「100万人に2〜3人」の病気に罹患
――保育士を辞めた現在、生田さんは会社員をしながらグラドル活動を再開させているそうですね。職場や家族の人間関係とは別に、たいへんなことをご経験されたとか。
生田:
はい、現在はリモートワークが可能な会社で働いています。というのは、100万人に2〜3人程度の確率で発症する、アカントアメーバ角膜炎という病気に罹患してしまったんです。発症当時、本当に目が痛くて、通勤どころではありませんでした。病気がきっかけで、在宅勤務が不可の会社から、リモートでも働ける会社に転職しました。
――アカントアメーバ角膜炎に罹患したときの様子を教えてください。
生田:
ある日、唐突に左目が痛くなりました。光を受け付けず、部屋をずっと真っ暗にしていないと失神しそうになるくらいの痛みが襲ってくるんです。左目からはずっと涙が出続けて、「目はどうなっちゃうんだろう」と不安になりました。
医師に聞いたところ、免疫力が低下しているときにコンタクトレンズの不適切使用があると発症しやすいというのです。が、心当たりはありませんでした。というのもコンタクトはワンデーで使い捨てですし、入浴などの際にも必ずコンタクトは外すようにしていました。だから原因もよくわからないんです。
現在は「右目だけで生活している」
――現在は症状はよくなった。
生田:
いえ、現在でも左目はほぼ見えていません。右目だけで生活しています。最初のうちは、遠近感がわかりづらいことに苦しみました。お茶を注ごうとして手前にこぼしてしまったり、コンビニを歩いているだけなのに左腕で商品をポロポロ落としてしまったり……。見えていない左側で何かとぶつかることが多く、左腕がアザだらけだった時期もあります。ただ、近頃は感覚を掴んだというのでしょうか。そうしたこともなくなりましたね。
――治療のゴールはどのようなものでしょうか。
生田:
今は徹底的に目のなかの菌を殺しているフェーズです。それが終わったら、角膜を移植するために手術を受けます。ただ、完全に視力が回復するかどうかはわからないそうです。
――最近の生田さんのお写真だと、眼帯をしているものもありますね。
生田:
そうですね。2025年10月〜2026年3月まで、芸能のほうも活動休止していました。ただ、私も演者側の端くれとして、誰か一人でも元気にできたらという思いもあって活動を再開しました。これからも自分のペースで活動して、人に楽しんでもらえるコンテンツが作れたらと思っています。
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認めてもらいたい人から認めてもらえず、それでも自分の道を突き進んだ日々。奇病に冒されながらも前を向き、見る者に勇気を与えようと奮起する姿に、生田さんの純粋な矜持を感じる。
<取材・文/黒島暁生>
【黒島暁生】
ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki
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