名門合唱団の少女たちへの性的虐待、芸術の場での権力関係を描く「ブロークン・ヴォイス」監督インタビュー

オンドジェイ監督と出演者たち

名門合唱団の少女たちへの性的虐待、芸術の場での権力関係を描く「ブロークン・ヴォイス」監督インタビュー

9月16日(水) 15:00

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チェコの名門児童合唱団を舞台に、才能ある少女とカリスマ的な指揮者の歪な関係を描く「ブロークン・ヴォイス」が9月19日公開される。

実際の性的虐待事件に着想を得ながら、単純な告発劇にはせず、少女の視点から、芸術を生み出す場所に存在する権力関係と、その陰で静かに進行していく異変を描き出したオンドジェイ・プロバズニーク監督が作品を語るインタビューを映画.comが入手した。

物語の舞台となるのは、1989年のビロード革命を経て、共産主義体制から民主主義・資本主義へと移行しつつあった1990年代初頭のチェコ。プラハの名門少年少女合唱団「バンビーニ・ディ・プラーガ」。合唱団の指揮者と少女、被害者と加害者の両方の視点を通して、才能と成功、そして沈黙が結びつき歪められていく過程を映し出す。

――監督は大学でジャーナリズムを学んでいますが、映画監督を志したきっかけを教えてください。

もともと、ずっと映画を作りたいとは思っていました。中高生くらいの頃から友人たちとアマチュア映画を撮っていたんです。映画学校の入学を志したこともありましたが、難関校で進学できず。そこで文章を書くことや撮影に関われる別の道として大学でジャーナリズムを学び、テレビを専攻しました。卒業制作では15分ほどのドキュメンタリーを撮り、その後、映画学校の脚本学科に入ることができました。

映画学校の卒業後は、自分の脚本をすぐに映画にするのは難しかったので、友人とドキュメンタリーを作るところから始め、少しずつフィクションへ移っていきました。だから私は、ずっとドキュメンタリーとフィクションの中間にいるようなところがありますね。実際に起きた出来事から着想を得ることが好きなんです。完全に現実に忠実でなければならないということではなく、物語の背後に何か現実のものが存在している、という感覚が必要なんだと思います。もちろん私は脚本家でもあるので、今では想像力を使って現実とはまったく違うものを書くことにも慣れましたが。

――本作が興味深いのは、単純な“告発映画”ではなく、芸術を志す人々が置かれている環境や、そのなかに生まれる権力関係を一定の距離から描いていることです。実際の事件を題材にするうえで、どのような距離感を意識しましたか?

まずは、何も知らずに未知の環境へ入っていく無垢な少女の視点から描きたいと思いました。彼女自身には、そこで本当は何が起きているのか理解できません。しかし同時に、観客には少しずつ小さなヒントを示したかった。表面下で何かが起きている、目に見えているものの背後に何かがある、何か暗いものが存在している、と。そして、そのヒントは映画が進むにつれて少しずつ強くなっていきます。これは映画の構造そのものに関わっています。ある意味では「何も起きていない」作品なんです。それでも観客には「何かが起きている」と感じてもらわなければならない。ただし明示的ではない方法で。そこが難しいところでした。
私はもともと、そういう映画の作り方が好きなんだと思います。一見すると距離を置いているように見えるけれど、その一方で観客には主人公の感情に深く入り込んでもらいたい。その二つを組み合わせることが難しかったですね。今回、この映画は16mmで撮影していますが、衣装もロケーションもかなり作り込んでいて、とても効果的になっていると思います。

――物語の舞台は1990年代初頭です。チェコでは1989年のビロード革命によって共産主義体制が終わり、民主化が進みました。その時代背景も本作には反映されているのでしょうか?

はい。それはこの映画を形作るもうひとつの重要な層のひとつです。当時のチェコ、そして東欧圏全体はそれまでとはまったく異なる時代へ目覚めようとしていました。チェコ社会は資本主義的な民主主義へ移行していく過程にありました。その時期には、当然ながらさまざまな犯罪や問題も起きていました。でも私たちは、それを見たくなかったのです。ただ西側の一員になりたかった。私たちはその準備が十分にできていなかったのだと思います。

そして、当時起きていたさまざまな問題が、15年ほど経ってから表面化していきました。それはこの物語を象徴するものでもあります。当時のチェコ共和国そのものが、ある意味ではこの映画の主人公の少女と同じ状態だった。未知の新しい世界に入っていく少女と、未知の社会へ入っていこうとしていたチェコ。この二つの間にある並行関係は、私にとって非常に重要です。映画を構成するひとつの層になっています。

――チェコでは近年、性暴力や性加害についての社会的な議論は変化していますか?

大きく変わりました。私がこの映画のアイデアについて考え始め、リサーチを始めた頃にも議論はありましたが、まだ水面下からメインストリームへ出てきつつある段階だったと思います。いまでは完全にメインストリームの問題になり、議論の内容も大きく変化しました。この数年間に、著名な人物による性加害をめぐる重要な裁判もあり、それによって社会の議論も変わりました。特に、加害者がどのように行動するのかについて知識が増えたこと、そして被害者にどう接するべきなのか、警察が被害者にどう対応するべきなのかということについて、大きな議論がありました。

――被害者への向き合い方そのものが変わった?

そう思います。この映画のモデルとなった実際の合唱団をめぐる2000年代の裁判では、現在のような被害者を保護するための特別な措置はありませんでした。タブロイドメディアが事件について大量に報じ、被害者の名前まで出すようなこともあった。それはいまでは大きく変わっています。

最近の裁判では、被害者に対して非常に慎重な配慮が行われるようになりました。以前は被害者の証言そのものを疑うような傾向もありましたが、現在はより慎重に、安全に配慮しながら接するようになっていると思います。もちろん、すべての事件でそうだとは言えません。ただ、全体としてはかなり改善していると思います。

――本作の英語タイトルであり、日本公開のタイトルでもある「ブロークン・ヴォイス」という言葉には、“声を上げることができない”という意味合いも感じます。先の質問と重なりますが、共産主義体制から民主化してゆく社会の記憶や問題も、このタイトルに重ねているのでしょうか?

実は、チェコでのタイトルは英語でいうところのChoirmaster、直訳すると「合唱団長」というものです。「ブロークン・ヴォイス」はインターナショナル版のタイトルなんです。けれど、少女たちの視点に立った良いタイトルだから、映画にはこちらのほうが合っていますね。

チェコでChoirmasterと言えば、実際の事件を知っている世代にはすぐに何のことかわかります。そういう意味で、配給会社側の判断としてChoirmasterはマーケティング上で有効なタイトルではあるのです。ただ私自身は、もっと少女たちに寄り添ったタイトルにしたいと思っていたので、インターナショナル版のタイトルをとても気に入っています。

もちろん、共産主義時代に生まれ、そこである程度育った私たちには当時の抑圧が何らかの形で刻み込まれていて、おそらく私たちは一生それと向き合っていくことになるでしょう。けれど、この映画のタイトルについては、そういった意味を意図して付けてはいません。もちろん作り手自身が、作品やタイトルに含まれているすべてを意識できているわけではありません。作品とはそういうものですから、いろいろな解釈をしてもらえればと思います。

――最後に、日本映画はご覧になりますか?影響を受けた監督や作品があれば教えてください。

学生時代には黒澤明の映画がとても好きでした。北野武の作品も好きです。そして、私と娘は宮崎駿の大ファンです!娘が生まれる前から、私は大人として宮崎作品を観ていて、本当に圧倒されました。いまは6歳の娘と一緒によく観ています。若い頃は日本映画をたくさん観ていました。ただ最近は、子育てという複雑な仕事がありますから、以前ほど映画を観る時間がなくなってしまいました。

「ブロークン・ヴォイス」は、9月19日からシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開。

【作品情報】
・ ブロークン・ヴォイス

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