9月8日、オーストラリア政府はSNSのアルゴリズムに切り込む新制度「My Feed, My Way」を発表した。16歳以上の利用者に対し、XやInstagramなどのアルゴリズムが選ぶ「おすすめ」を見るのか、それとも自分がフォローした友人やクリエイターを中心とするフィードを見るのか、その初期設定を選べるようにするというものだ。
まだ法律が成立したわけではない。政府が公表した「Digital Duty of Care」の法案草案に盛り込まれ、意見募集が始まった段階である。ただし、違反した企業には最大1億920万豪ドルの制裁金が科される可能性がある。
ところが翌9日、この話はSNS依存対策の枠を飛び出した。
ホワイトハウスのクッシュ・デサイ報道官は、トランプ大統領がアメリカの主要テック企業に対するデジタルサービス税や罰金などの「extortion(ゆすり)」に反対してきたと述べ、こうした問題を通商相手国に提起していく姿勢を示した。
オーストラリアのアニカ・ウェルズ通信相は、自国のSNS改革が「ゆすり」に当たるとの見方を否定した。アルバニージー首相も前日の記者会見で、アメリカとの摩擦の可能性を問われると、「われわれは主権国家であり、オーストラリアの国益に基づいて政策を決める」と言い切っている。SNSの「おすすめ」表示という、一見すると地味な技術仕様の話が、わずか一日でアメリカとの政治問題になった。
なぜ、そこまで大きな話になるのか。理由は単純だ。SNSのアルゴリズムが、すでに「何を人の目に入れるか」を左右する巨大な権力になっているからである。
規制の戦場が変わった――「削除」から「表示の設計」へ
これまでSNS規制といえば、主に「何を投稿させないか」が問題になってきた。違法画像を削除する。誹謗中傷に対応する。未成年者に有害なコンテンツを見せない。最近では年齢確認も大きな争点になっている。
今回、オーストラリアが踏み込んだのは、その一段先だ。私たちはXやInstagramを自分の意思で眺めているつもりでいる。しかし、フォローした相手の投稿が、そのまま時系列に並んでいるとは限らない。誰の投稿を上に出すのか。どんな動画を次に薦めるのか。何を「あなたへのおすすめ」として差し出すのか。その選別を、プラットフォームの推薦システムが行っている。
もちろん、これは陰謀論ではない。フォローしているアカウントが何百、何千とあれば、投稿を全部読むことはできない。TikTokで一本見るたびに、次に見る動画を世界中から自分で探すのも現実的ではない。だから企業は利用者の行動履歴などをもとに、次に見せるものを選ぶ。
そこには滞在時間や広告収益、エンゲージメント、安全性、各国の規制への対応など、さまざまな目的がある。問題は企業が何か悪意を持っているかどうかではない。何を人の目に入れるかという決定権が、巨大プラットフォームの内部に集中していることだ。
今回のオーストラリア政府の方針は、そこへ「利用者にも選ばせろ」と割り込むものなわけだ。つまりSNSの規制対象が「投稿」から「表示する仕組み」へ広がり始めたのである。
スマホの「おすすめ」が外交問題になる理由
そこに、なぜアメリカが出てくるのか
理由は単純だ。Meta、Google、Xなど、世界の情報流通を担う巨大プラットフォームの多くはアメリカ企業だからである。アメリカから見れば、自国の巨大テック企業に外国政府が規制をかけ、巨額の制裁金まで科す制度ということになる。
一方、オーストラリア政府の見方は全く逆だ。自国民が毎日何を見るのかを決める情報インフラが、外国企業が運営しているのである。
しかも、その運営内容がブラックボックスになっていることは許容できない。だから「オーストラリアで事業をするなら、利用者にアルゴリズムを使わない選択肢も与えない」ことを目指しているワケだ。
同じ制度が、片方からは「主権」に見え、もう片方からは自国企業への不当な規制に見える。だからスマホの「おすすめ」が外交問題になるのである。
筆者は'26年9月に刊行した『「デジタル主権」戦争』で、こうした問題を「誰が最終的に決めるのか」という権力の争いとして扱った。SNSや検索、AIが人間の認知に大きな影響を持つ一方で、国家も規制を通じてその設計に入り始めている。今回のオーストラリアの動きは、その構図がきわめて分かりやすい形で表面化した例だ。
事件を予測していたわけではない。構造を追っていたら、その構造が刊行直後に外交ニュースとして姿を現したのである。
問うべきは「誰が決めるか」だけではない
では、巨大企業が握ってきた権限を国家が取り戻せば、それで問題は解決するのか。そう単純でもない。「国家がSNSに介入するなら中国と同じだ」という議論は雑すぎる。政府が表示内容を直接決める制度と、利用者に「アルゴリズムを使うかどうか」を選ばせる制度は同じではない。
オーストラリア政府も、今回の制度について「政府にコントロールを与えるのではなく、人々にコントロールを与える」と説明している。利用者がアルゴリズムを選ぶこともできるし、フォローしている相手を中心とするフィードへ切り替えることもできる。
ただし、国家規制だから自動的に安心とも言えない。今回の法案草案は、SNS企業などに「Digital Duty of Care」を課し、サービスの設計や機能そのものを規制対象にしていく。その権限が将来どこまで広がるのかは、成立する法律と実際の運用を見なければ分からない。
だから見るべきなのは、企業か国家かという二択だけではない。誰がルールを作るのか。そのルールを誰が変更できるのか。決定に異議を唱える手段があるのか。そして利用者自身に、どれだけ逃げ道が残されているのか。
そこまで見なければ、この制度の意味は分からない。今回のニュースだけを見れば、オーストラリア政府が突然SNSのアルゴリズムに目をつけたようにも見える。しかし、オーストラリアでは2025年12月10日から、Facebook、Instagram、TikTok、X、YouTubeなどに対し、16歳未満の利用者がアカウントを作成・保持できないよう合理的な措置を取ることが義務づけている。世界に先駆けたSNSの年齢規制である。eSafety Commissionerは実施状況の監視だけでなく、2026年3月にはFacebook、Instagram、Snapchat、TikTok、YouTubeの対応に懸念があるとして、執行段階へ移る方針まで示した。つまり、法律を作って終わりではない。実際にプラットフォームが従っているかまで追い始めている。
日本政府の対応は?
その次に出てきたのが、今回のアルゴリズム規制だ。
16歳未満については「そもそもSNSを使わせるのか」を問い、16歳以上については「使うとして、何を見せる仕組みにするのか」を問う。オーストラリア政府が問題にしているのは、個々の有害投稿だけではない。SNSというサービスそのものの設計にまで規制の対象を広げようとしているのである。
だからアメリカも反応する。これは子どものSNS依存をめぐる国内政策だけではなく、MetaやGoogleなどアメリカ企業が世界中で共通仕様として提供してきたサービスについて、外国政府が「わが国ではこのルールで動かせ」と要求する話だからだ。
では日本はどうか。日本でも何もしていないわけではない。こども家庭庁の有識者会議は今年7月、SNSなどの事業者に対して、サービスのリスク評価や青少年保護措置、年齢確認、その公表を求めていく方向を中間整理で示した。政府は年末までに最終報告をまとめ、青少年インターネット環境整備法の改正案を次の通常国会へ提出することを目指している。
ただし、16歳未満のSNS利用そのものを制限するかについては、いまなお「制度の実効性」や「SNSが子どもの居場所や相談手段にもなっていること」などを考慮しながら検討を続ける段階だ。政府自身、一律の年齢規制の是非については結論を出していない。
ここにオーストラリアとの大きな違いがある。日本が「どう規制するべきか」を議論している間に、オーストラリアはすでに16歳未満のSNS規制を実施し、その執行状況を監視し、さらに今度は16歳以上の利用者についてアルゴリズムの選択権にまで踏み込もうとしている。誰がSNSを使えるのか。そして、使う人間に何を見せるのか。その二つをプラットフォーム任せにしないという政策が、段階を追って進んでいるのである。
スマホの「おすすめ」がアメリカとの政治問題になったのは、その結果だ。デジタル空間のルールを誰が決めるのか。オーストラリアはすでに、その問いを具体的な法律と執行の問題として扱っている。日本でも議論は始まった。だが、両国の違いは、もはや問題に気づいているかどうかではない。どこまで実際にルールを書き換える覚悟があるか、である。
文/昼間たかし
【昼間たかし】
ルポライター。1975年岡山県に生まれる。県立金川高等学校を卒業後、上京。立正大学文学部史学科卒業。東京大学情報学環教育部修了。ルポライターとして様々な媒体に寄稿。著書に『コミックばかり読まないで』『これでいいのか岡山』
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