東京の夏は暑い。気温の数字は大したことがないようでも、満員電車は解消されるどころか混雑度が増すばかりに思われる今日この頃、とにかく蒸す。都会は人の熱気で蒸し暑い。
人が過密すると、どうしてもニオイが気になってくる。コミケのニオイ問題は今年もネタ混じりに槍玉に上げられていたが、繰り返される日常に付きまとうニオイのほうがより逃げ場がないのではないか。真のバッドスメル問題は、日々の通勤や労働のさなかにこそある。
今回話を聞かせてもらったのは、某カフェチェーン店・店長の根津さん(仮名・25歳)。彼の目下の悩みとは、とあるバイトスタッフの放つ臭気であった。
異臭漂うスタッフの経歴は
「彼は、スタッフとしては非常に頼りになる男性です。学生バイトの急なシフト変更希望で空いた穴は積極的に埋めてくれるし、もう2年以上勤めてくれており、店舗内での業務は一通りすべて任せられる。一スタッフというより、実質的には副店長かもしれません。だからクビにしたいとは決して思わないのですが、最近では私が彼とシフトが重なる日の前日には、憂鬱さから不眠にさえなってしまっています」
この男性スタッフを、仮に山口さんとしよう。山口さんは現在48歳というから、根津さんから見ると親ほどの歳の差があるが、一体、何者なのだろう。
「山口さんは、コロナ禍以前にしたタワマン投資で無事に売り抜いて、それで4年前にセミFIREしたらしいのです。ただ、単調な毎日に飽きてしまい、アルバイトを始めるに至ったと聞いています」
ニオイ問題が表面化…耐えられないレベルに
根津さんが山口さんに出会ったのは昨年春のこと。
「私がこの店舗を任されるようになったとき、すでに山口さんは働いていました。当時はおもしろい人生の先輩といった印象で、店長とバイトという関係ながら、よい師匠として慕う気持ちもあったものです。というのも、いつか自分でカフェを開くのが私の夢。だからカフェチェーンに入社したのですが、問題は開店資金です。投資に成功した山口さんに、学びたいと思っていました」
そんな人物が今や、不眠の原因。
「以前から、『おや』と思う日はあったのですが……今年の初夏くらいからは、会うたびにニオイが気になるようになってしまいました。生乾き臭と、皮脂汚れが蓄積したようなニオイのミックスとでも言えばいいんですかね。梅雨入り以降、湿度が高くなるにつれ、どんどんと悪化していきました。私はコーヒーが大好きなので、人よりも香りに敏感なところはあるかもしれませんが、今や耐え難いほどのニオイ。なんで本人が平気なのか不思議なほどです」
根津さんが任された店は、23区内にある。
「都市部の駅構内や駅前によくあるタイプの、小さいながら回転率の高いお店です。そのためカウンター内は3人入ればもうパンパンというような狭さ。基本的には2人で回す設計になっており、実際にピークタイムも2人のスタッフで回す運営となっています」
直接「臭い」とは聞かないものの…
つまり、山口さんとシフトが重なってしまえば、スタッフがそのニオイから逃れられる空間は存在しない。
「店はオフィス街にあるため、お客様のほとんどは仕事途中のサラリーマン。アイスコーヒーやブレンド一杯だけの注文が大半で、注文から提供までは流れるように行われます。なのでお客様はそのニオイに苦しまずに済んでいるとは思いますが、私は1日あたり長ければ4時間ほど、山口さんの間近で過ごすわけです。最近では精神的な拒絶反応もあるのか、『おはようございます』と挨拶した時点でウッとなり、その後は吐き気や頭痛に耐えながら働いています」
ほかのスタッフはどう思っているのだろう?
「立地柄、土日よりも平日のシフトに入ってくれる人を歓迎しているんです。1日あたりの勤務時間も短時間から組めるようになってもいることからか、ほかのスタッフは学生さんがほとんど。だからなんですかね、『臭いからどうにかして』とは言われていません。代わりに、立て続けにバイトの子たちが辞めてしまいました。辞める理由として、『山口さんが臭いから』とは聞いていないものの、彼が異臭を発するようになるまでの定着率は高かったので、因果関係はあるはずです」
言いにくい話だからこそ、悩みも深くなる
採用問題にまで発展しているなら、いよいよ本人へ改善を言い渡すべきではないのか。
「それとなく伝えてはいるんです。伝えているのですが、なにも変化はないままで。ニオイの問題はセンシティブなので、言い方を一歩間違えると、ハラスメントになってしまうじゃないですか。そもそも個人の体質や健康上の理由があるかもしれないので、安易に断罪できることでもないですし。自分よりもかなり歳上の方だし、生活がかかっているわけでもないからか、やんわりとした言い方では真剣に受け止めてもらえないのかもしれません」
だが、このニオイ事件の現場は飲食店である。清潔感に欠いたニオイを放つのは、業務にも差し支えがあるはずだ。
「就業規則として、『清潔な身なり』についての記載はもちろんあります。ただ、ニオイは目に見えるものではないので、基準が曖昧なところもあって。『香水は控える』とは書けても、それ以外は現場判断に委ねられてしかいないというか……。それに、今すぐ山口さんに辞められてしまうと、シフトが立ち行かなくなってしまうんです。山口さんのニオイが原因でバイトスタッフが減ってしまったのに、山口さんを当てにしないといけない現状は皮肉なものですが」
しかし、かつての山口さんはここまで臭くなかったわけだ。なぜ今になって臭くなってしまったのか?
「どうも長年同居していたお母様が老人ホームに入られたみたいなんです。おそらく、洗濯や料理などをそれまではお母様にしてもらっていたのが、自分で行うようになったからなのかなと思います。断言できることではありませんが、食生活も悪化すれば、洗濯のやり方も悪くなってしまったのかな、と。もともとサウナが趣味とも言っていたので、お風呂に入っていないというわけではないようですし」
いったいいつまで耐えられるのか…
根津さんは夢のために、本部での勤務も希望している。配置転換はいつになるのだろうか?
「来春には呼んでもらえると聞いているので、それまで耐えればよいと自分に言い聞かせています。けれど、不眠は悪化する一方で、それまで心身が持つか自信がなくなってしまっているほどです」
今回インタビューを受けてくれたのは、同じような悩みに苦しむ人が一人でも減ってほしいからだと根津さんは言う。
「臭さの問題って、どう転んでも笑い話じゃないんですよね。他人が容易く指摘できるものではないから、他人事だとは思わず、自分の洗濯方法を含めた生活習慣は大丈夫か、誰もが常に意識してほしいです。“ニオイ”の良し悪しは、単純に一刀両断できるものではないのはよくわかっています。香り成分の官能評価が複雑なのは、仕事柄よく知っていますし。
たとえば、『ドリアン持ち込み禁止』というマークが東南アジアの国々にはあったりするじゃないですか。好んで食されているから身近なのに、公共の場ではNGが表明されるわけです。まったく同じ話では当然ありませんが、人が集まる場に出る以上、そうした一定の配慮は誰もがしてほしいと切に思っています」
“ニオイ”には、健康状態や生活があらわれるだけでなく、文化の相違や好みの違いも影響する。さらには、経済格差や、未成年の場合には虐待が裏に隠れている場合もあるだろう。
だからもし自分が臭かったとしても、誰かに指摘されることはまず、ない。
臭いと言われないのは、「自分が臭くないから」ではなく、周囲の人に良識があるゆえでしかないかもしれないとの自戒を、忘れずに生活したいものである。
<TEXT/鬼怒川庸二>
【鬼怒川庸二】
街角では知り合いに間違われ、飲み屋では酔客に話しかけられる性質を持つ。娑婆の声に耳を傾けているうちに、自然と副業ライターになった。本業もまた別ジャンルの書く仕事。ドッペルゲンガーの報告はこれまで30件超にのぼる
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