鈴木紗理奈「反対なら山で暮らすべき」攻撃型ドローン導入めぐる発言が物議…本当に問われるべきは“彼女ではない”理由

画像は鈴木紗理奈Instagramより

鈴木紗理奈「反対なら山で暮らすべき」攻撃型ドローン導入めぐる発言が物議…本当に問われるべきは“彼女ではない”理由

8月27日(木) 15:53

提供:
そろそろコメンテーターという仕事について考えるべき時期なのかもしれません。

「山で暮らすべき」発言が物議を醸した理由

この投稿をInstagramで見る 鈴木 紗理奈___MUNEHIRO(@munehirovoice)がシェアした投稿


8月23日放送の『サンデー・ジャポン』(TBS系)で、楽天グループがドイツの軍事企業と事業提携をし、国内での攻撃用ドローン導入の支援を展開すると発表したニュースを取り上げました。これについて「楽天カードとか口座を解約しよう」などと批判的な意見が多いことに対する鈴木紗理奈氏の発言が物議を醸しているのです。

憲法9条の自衛権を引き合いに出し、「自衛のために使うんだと言っても戦争の加担になるんですか?」と疑問を呈し、さらに軍事的な技術が家電などの日常生活にも転用されている事実があるにも関わらず、それに反対だと言うなら「山で暮らすべき」と、強い口調で考えを述べました。

これに対してネットでは鈴木氏の意見に賛同する声がある一方、彼女の考え方を危惧する投稿も少なくありません。「こういう事を言うのは、そもそも山で暮らすことを下と見ているのではないか」とか、「人の命を奪う道具で豊かになることに何のためらいも持たないのか」という投稿に多くの共感が集まっていました。

体感的には、Yahooニュースでは鈴木氏支持、XなどのSNSでは反対がそれぞれ過半数を占めているように思われます。

筆者は、鈴木氏が言うように軍事技術の多くが今日の都市生活の利便性を支える土台となっている事実そのものは否定しません。しかしながら、その正しさをもって彼女の主張を支持しようとまでは思いません。彼女の「山で暮らせ」という発言には、やむを得ない合理性の前には理想を放棄しろというニヒリズムが染み込んでいるからです。

問題は鈴木紗理奈ではなく「コメンテーター」という存在

ただし、ここで鈴木氏の発言そのものを詳細に分析したり批判したりすることは建設的ではないでしょう。問題は彼女のような人たちを「コメンテーター」という肩書きで、今回の楽天グループとドイツの軍事企業の提携のような、複雑で精緻なロジックを必要とするトピックにも平気で話をさせてしまうメディア環境の方にあるからです。

テレビでの情報番組の隆盛とともに、いわゆる専門家でない人物に何らかの意見を発する場を与えることが「市民目線」という大義名分によって黙認されてきた経緯があります。学者や専門家には世間一般の生活感覚がわからない。だからこそ、「何も知らない代わりに何かを感じられる」ふつうの人の声が必要だ。そんな世間の空気が、コメンテーターという職業に市民権を与えてきたのです。

もちろん、そうした門外漢だからこそ、視聴者の共感を得られる発言ができる側面もあったでしょう。それは学者や専門家がすくい取ることのできなかった社会の情緒や空気を代弁する役割を果たしていました。そうした言葉の持つキャッチフレーズ的な痛快さに、視聴者は拍手喝采してきたのです。

「わかりやすい言葉」の先に待っているもの

ただし、わかりやすい言葉の刺激を求め続けた先には行き止まりしかありません。「(軍事技術の恩恵を受けるのが嫌なら)山で暮らせ」という著しい論理の飛躍は、こうした痛快さがインフレを起こし、発言者も視聴者も感覚が麻痺していることを如実に現しています。

本来シリアスな物事とは、つまらない手順を繰り返したのちに、たいして面白くもない言葉で説明しなければ伝わらないものです。それは正確を期すと同時に、何らかの判断を下す際には慎重でなければならないという常識が働かざるを得ないからです。

にもかかわらず、メディアはその常識という退屈な重石の部分を担ってきた学者や専門家を軽視してきました。「コメンテーター」や「パネリスト」の軽い言葉によるケンカやプロレスをいっぱしの娯楽だと持ち上げ続けてきた風潮が、今回の鈴木氏のような発言を生む温床となってきたわけです。

つまり、この「嫌なら山で暮らせ」というあからさまな挑発行為は、「コメンテーター」文化が袋小路に追い込まれた象徴的な光景だったのです。

「面白いコメンテーター」の代償は、もう無視できない

だから、鈴木紗理奈氏ひとりを批判したところで、何も得られるものはありません。むしろ、より深刻なのは、こうした発言に象徴される軽薄さが日々繰り返され、長年に渡り蓄積されてきた結果、日常の深いところまで食い込んでしまったことだからです。

面白い発言をする「コメンテーター」という道化の代償を、過小評価すべきではないのかもしれません。

物事を考える自由は、それを発表する自由とイコールではない。英語辞典を編纂した、かのサミュエル・ジョンソンによる、つまらない格言が思い出される一件でした。

文/石黒隆之

【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。X: @TakayukiIshigu4

【関連記事】
・ 「ほらサナエ。今すぐイランへ飛んで、床に額なすりつけて…」早大名誉教授の投稿に批判殺到。軽率な発言が生み出されてしまう“根本的な原因”とは
・ 「やる気ない」「不真面目すぎ」King Gnuの宣伝動画に批判が殺到。アーティストに“好感度”ばかり求める時代への違和感
・ あの「鈴木紗理奈嫌い」騒動の本質とは?怒りの矛先をあのに向けることが「間違っている」と言えるワケ
・ 「米津とミセスばかり」「なんで高市首相が出てくるの?」菅田将暉司会の音楽賞に落胆の声。コンセプト、演出、段取り…すべてに“違和感”
・ Ado初の“顔出し”演出が「期待外れ」だったワケ。話題性が音楽を追い越してしまった“構造的欠陥”
日刊SPA!

生活 新着ニュース

合わせて読みたい記事

編集部のおすすめ記事

エンタメ アクセスランキング

急上昇ランキング

注目トピックス

Ameba News

注目の芸能人ブログ