推し活、家族、仕事、治療――長年続けてきたものを手放すには、未練や罪悪感、費やした時間とお金への執着がつきまとう。だが、時に“続ける”ことで、人は身動きが取れなくなる。自分を守り、次へ進むための「やめどき」はどこにあるのか。人生を左右する大きな決断をした人の実例から、その見極め方を探る。
不妊治療の苦悩を抱えていた当事者
今や夫婦の4組に1組が経験しているという不妊治療。だが、その「やめどき」は実に難しい。40代前半までの10年間の治療に終止符を打った渡邉一平さん(56歳)、雅代さん(55歳)も、そんな苦悩を抱えていた当事者だ。
雅代さんが34歳のとき、元サッカー選手の一平さんと結婚。当時は2人とも「いずれ子どもができる」と楽観視していた。ところが翌年に雅代さんが不正出血し、産婦人科へ通院するようになった。そこから、妊娠しやすい時期を予測し、自然妊娠を目指す「タイミング法」を始めた。
「妊娠できず、不妊の原因もわからなかったので、だんだん焦っていきました。靴下を4枚履く『冷え取り』や鍼灸、大量のサプリ……あらゆるものを試して、頭は妊娠のことでいっぱいでした」(雅代さん)
「自分は種馬か、と感じました」
そんな雅代さんに対し、「最初は妻から話を聞くだけで、どこか他人事でした」と一平さんは振り返る。追い詰められていく雅代さんに対し、距離を取っていた時期もあったという一平さん。
「自分は種馬か、と感じました。『自分との子が欲しいのか、それともただ子が欲しいだけなのか』と、口論になったこともありましたね」
夫婦関係は冷え切り、家庭内別居同然に。感情的にならないよう、手紙で雅代さんへの思いを伝え、関係を再生する糸口を模索した。その間、お金と時間は無情にも溶けていった。しかし妊娠には至らず、治療は人工授精、体外受精、さらには顕微授精とステップアップしていった。
雅代さんが42歳のときに転機が…
転機は雅代さんが42歳のとき。希望が薄い治療を重ね、心身ともに疲弊する雅代さんの姿を見かねた主治医から「夫婦だけの人生を考えてみてはどうか」と告げられた。
雅代さんは「崖から突き落とされるような感覚でした」と振り返る。そして「最後のチャンスをください」と泣きじゃくり、一平さんは「できることは全部やろう」と声をかけ、体質改善を行った。
そのかいあってか、雅代さんは自然妊娠を果たすも2度の流産を経験。これを機に、徐々に気持ちの踏ん切りをつける準備が進んでいった。
「『これで終わり』ときっぱりと決意してやめたというより、少しずつ治療をフェードアウトしていったという感じです。お互いの思いを率直に語り合えるようになったとき、不妊治療が終わったと実感しました」(雅代さん)
自分の子ではないけれど…
現在、雅代さんはヨガ講師や不妊カウンセラーとして活動中。「私よりよっぽど子どもが好きなんですよ」という一平さんは、小学生へのサッカー指導に勤しんでいる。
「自分の子ではないけれど、“育てる”ことはできている。今は『これでもよかったんだ』と、心から思えるようになってきました」(一平さん)
不妊治療をやめた先に待っていたのは、新たな幸せの形だったのかもしれない。
※2026年9月2日号より
取材・文/週刊SPA!編集部
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