(写真撮影/相馬ミナ)
8月25日(火) 7:00
食の仕事をする人たちのキッチンから、使いやすく快適な空間づくりのヒントを探る連載「キッチンは語る」。3回目は、人気料理研究家の藤井恵(ふじい・めぐみ)さんの登場です。自宅にあるキッチンスタジオは食器庫を含めて約37畳の広さ。地下にありながら、3m近い天井高や彩光の工夫によって、ほっと安らぐ開放感が生み出されています。キッチンカウンター下のビルトイン冷蔵庫をはじめ、設備や収納も見どころ満載です。そんなキッチンでつくってくれたのは、体にやさしい「麹納豆」。しみじみと味わい深い一品をいただきながら藤井さんのキッチンに対する想いを伺いました。
撮影を前提に考えたスタイリッシュなキッチンスタジオ料理研究家・藤井恵(ふじい・めぐみ)さんの自宅があるのは落ち着きのある東京の住宅街。玄関とは別に地下に下りる階段があり、その先にガラスで仕切られたキッチンスタジオが現れます。コンクリート打ちっぱなしの壁にはガラスや木などの器が浮かぶように並び、雰囲気はインテリアショップさながら。壁付けの長いキッチンカウンターの前にはアイランドカウンターもあり、どちらも光沢のある白で統一されています。スタイリッシュな空間はどこを切り取っても美しく、見とれずにはいられません。
「昔から海外のインテリア雑誌を見るのが好きで、こんなキッチンにしたいなという私の憧れを詰め込みました。ここではテレビや雑誌などの撮影をすることも多いので、料理のしやすさはもちろん、スタッフの方の動きやすさも考えました」と藤井さん。
例えば、キッチンカウンターの間は両側で作業しても余裕で通り抜けられるほど広くし、シンクとコンロはそれぞれ2カ所に。地下でありながら3m近い天井高にしたのも撮影のしやすさを考えてのことだとか。
しかも、コンロの熱源はガスとIHが並ぶ珍しいタイプ。昨今、ガスのご家庭、IHのご家庭とあるため、どちらの環境でもレシピをきちんと再現できるかを検証するために特別につくったそうです。
まさにプロ仕様といえるキッチンで目を見張るのはなんといっても収納です。単にスペースが広いだけではなく、藤井さんはキッチンに集まるアイテムを「見せたいもの」と「見せたくないもの」にカテゴライズ。「見せたいもの」の置き場として壁に造作したのがオープンラックです。
「ここに並べているのは、自分が目にして楽しくなるものだけ。例えば、ガラスの器は30年くらい前にアメリカのスーパーで買いました。値段はそれほど高くはないのですが、若いころから憧れていたものだったからうれしくて、抱えるようにして飛行機に乗った思い出があるんです。そういうお気に入りのものを並べられるよう奥行きや棚板の高さを決めてオリジナルでつくってもらったのですが、いざ食器を並べてみると重さで棚板がたわんできてしまって。なので、後からワイヤーで補強してもらいました。施工した方からは『象が乗っても大丈夫』と言われたほど頑丈です(笑)」
一方、「見せたくないもの」はすべてキッチンカウンターの下へ。アイランドキッチンには、まな板、計量カップ、スケール、バット類など調理道具から、電子レンジや炊飯器などの家電まで、そっくり収められています。壁付けのキッチンカウンターにも、道具類からさまざまな茶葉、さらになんと冷蔵庫まで!
「冷蔵庫って存在感があるし、生活感が出てしまうのが好きではなかったんですね。冷蔵庫は別でもう1台、裏のスペースにあるので、ここに入れるのは撮影のときに使う食材が中心ですね」
収納はそれだけではありません。藤井さんが案内してくれたのは、キッチンの奥にある10畳ほどのスペース。ここには和洋さまざまな食器や鍋などがぎっしり収められ、一角には冷蔵庫や食品棚、そして大きな本棚も。
「私は『食器庫』と呼んでいるんですが、いわゆるキッチンのバックヤード。家を建てたときは決めることが多すぎて、とりあえず食器はスチールラックに並べていたのですが、5年くらい経ったころにきちんとした棚が欲しくてスペースに合わせてつくってもらいました。
本棚もお気に入りのスペースですね。料理家になる前から料理本が大好きでした。本屋さんに行くとワクワクしますし、海外でもよく料理本を買って帰ります。ここには私がアシスタントをさせていただいた恩師の滝口操先生の著書や当時のレシピファイルも置いていて、いつでも見返せるようにしています。私にとってはバイブルであり宝物。迷ったときに開くと原点に立ち返れるんです」
藤井さんがこの家を建てたのは2009年。結婚してからここまでに引越しを6回しているそうです。
「賃貸のマンションや生活が厳しかった時代には実家に居候していたこともありました。実は、この家を建てる前にも、一度家を建てた経験があり、場所は郊外の町田市内。リビングとキッチンは1階にあって、インテリアは当時好きだったフレンチカントリーでまとめていました。ぶどう棚のある庭もあって、入居後にガーデンキッチンをつくって家族でバーベキューもしていましたね」
その家に暮らしたのは7年間ほど。郊外の立地は撮影クルーにとって不便であることに加え、リビングを通って2階に上がる動線が家族のストレスになってしまったのです。
「うちは娘が2人いるのですが、当時は思春期の真っ盛り。帰宅したときにキッチンで撮影中だと、自分の部屋に行くにもスタッフの方たちと顔を合わせることになり、それが嫌だと言われてしまって。夫も娘たちと同じ気持ちだったようで、引越すことに決めました」
次の家は東京都内で利便性のよい場所が条件に。探しに探してようやく見つけたのが現在の場所でした。
「今度の家はプライベートの空間と仕事のスペースの入り口を分けることが条件。土地の広さは約42坪しかなく、住宅地なので上に延ばすことは難しい。なので、キッチンスタジオは地下につくるしかなかったんです」
地下のスペースは採光が取りにくく、湿気もこもりやすいというイメージがありますが、藤井さんのキッチンは明るく開放感があり、湿気を感じることもありません。その秘訣は第一に建物の設計。敷地に対して建物を引き込んだ形でプランニングされ、前面の余白スペースによって光が取り込める「ドライエリア」といった工夫がされています。加えて、キッチンの入り口はすべてガラス張りになり、入り口の反対側にはトップライト(天窓)も。これにより地下であっても暗さが解消されているのです。
「湿気については入居するまですごく心配でした。というのも、土地を造成するときに、水が出てプールのような状態になってしまって。水で練ったコンクリートにも水分が含まれているので、施工会社からも住み始めたら除湿機を置いて回し続けてくださいと言われるほどでしたが、18年間住んで湿気が気になったことはないですね」
むしろ地下に位置することはメリットのほうが多く、快適に過ごせると言います。
「キッチンが1階にあった町田の家は窓が多かったこともあり、明るすぎて家の中にいても日焼けしてしまうほど。前の通りを歩く人の視線も気になっていました。その点、ここは日差しの入り方もほどよくて、真夏でもエアコンの除湿だけで過ごせますし、冬も床暖房だけで十分暖かい。通行人の視線を気にする必要はなく、こちらからはわずかに外の様子が見えるから閉塞感を感じることもありません。外の音も響きにくくて、すごく落ち着くんです」
仕事用につくったキッチンスタジオですが、プライベートでもここで料理をしてお酒を飲みながらゆっくり過ごす時間が増えているそうです。
現在の家に暮らし始めて18年。その間には藤井さんのライフスタイルも変化しています。
「娘2人が独立したので、時間的にも精神的にも余裕ができました。子育て中は子どもたちのために料理をつくらなきゃというプレッシャーがあったのですが、夫婦2人になってからはあまり一生懸命にならず、おいしいものを食べたいなら外食しちゃおうというスタイルに変わりました。すると、逆にキッチンに立つのが楽しくなったんです」
ちなみに、プライベートのスペースも家族4人で暮らしていたころは夫婦の寝室が4畳しかなかったそうですが、娘さんたちが独立したのを機に子ども部屋との壁をすべて撤去。広々とした空間になって気持ちよく寝られるそうです。
ライフスタイルが変化したのには体の異変もありました。
「50代になったころから湿疹に悩まされるようになったんです。足から始まり、お腹や手、顔にまで出るようになって。仕事がハードな上に、試食で食べることも多く、内臓が悲鳴を上げていたんだと思います。以前から始めていた腸活に加えて、体質改善のためにマクロビオティックなどを学んで食生活を見直したら、湿疹が消えて体重も落ちたんです。料理する上での大きな変化は料理に砂糖やみりんを使わなくなったことですね。食材と醤油や塩など調味料に含まれる甘味を活かせば砂糖もみりんも必要ないんです」
そう聞くと気になるのは、藤井さんが愛用している調味料です。まず挙げられたのは、伊豆大島の海塩「海の精」の“あらしお”と、その塩で醸造した “旨しぼり醤油”。
「『海の精』の塩は昔ながらの製法でつくられ、これを使うと食材の持ち味をしっかり引き出せるんです。体質改善のために習いに行った教室でもこの塩を使っていましたね。『海の精』のお醤油は甘味があって、旨味とコクもしっかりしているのが特徴です。まぁまぁいいお値段ですが、砂糖やみりんなしでも味が決まるので料理がラクになりますよ」
塩ではフランスのゲランドの塩も長年愛用しているそうです。
「このお塩は旨味があってまろやか。若いころ、家の近所にあったおばんざい屋さんに『和洋中なんでも合う』と教えてもらったのが使い始めたきっかけですね。本当に万能なんです」
そんな選りすぐりの調味料とともに、藤井さんの体質改善の友というべき「麹納豆」のつくり方も教えてもらいました。
「発酵食品の納豆や米麹に、食物繊維が豊富な切り干し大根や昆布などを加えてつくるのが『麹納豆』。腸内環境が整うのはもちろん、すごくおいしいんです。私は玄米ご飯にのせたり、お酒のつまみにしたりと毎日食べています。海苔で巻くのもおすすめですよ」
麹納豆
●材料(つくりやすい分量)
・米麹(生)…100g
・切り干し大根…60g
・納豆昆布(※)…20g
・にんじん…1/2本
・干し椎茸…2枚
・納豆…200g
・醤油…大さじ2
※納豆昆布は乾燥のがごめ昆布としても販売され、強い粘りが特徴。長い場合は乾燥した状態でキッチンばさみで細かくしておく。藤井さんが愛用するのは「奥井海生堂」の品。細かく刻んであるので使いやすい。
●つくり方
①切り干し大根はほぐしてからさっと洗ってボウルに入れ、水大さじ3(分量外)をまぶしておく。柔らかく戻ったらキッチンばさみで細かく切る。納豆昆布はボウルに入れて水大さじ3(分量外)をかけておく。にんじんは斜め薄切りにしてからせん切りにする。
②さっと洗った干し椎茸を小鍋に入れ水400ml(分量外)を注いで中火にかける。煮立ったら火を少し弱め、煮汁が2/3くらいになるまで煮詰める。椎茸を取り出して軸を落としてから半分にし、細切りにする。軸は硬い部分を除き、細かく刻む。煮汁も使うので捨てないこと。
③大きめのボウルに米麹、にんじん、切り干し大根、納豆昆布、椎茸の順に重ねて入れる。後で温かい干し椎茸の煮汁をかけるときに米麹に直接当たらないよう、必ず一番下にすること。
④②の干し椎茸の煮汁が温かいうちに醤油を加え、③にまわしかける。ラップをして10分ほどおく。
⑤④に納豆を加えて混ぜ、冷めたら保存容器に移して冷蔵庫に入れる。すぐに食べられるが、1日おくと麹がふやけて柔らかくなり甘味も増す。
麹納豆は市販品もありますが、藤井さんのレシピは味付けが穏やかでナチュラル。素材の風味が混じり合ってしみじみとした味わいを醸し出します。コリッとした切り干し大根、ぷるんとした干し椎茸など食感の違いも楽しく、食べ始めると箸が止まらなくなること請け合いです。
こうした滋味豊かなお惣菜のほか、味噌なども手づくりしているそうで、取材に伺った日は食器庫に自家製梅干しの甕が置いてありました。そこで最後に、料理を心から愛する藤井さんからキッチンづくりのアドバイスを。
「私は仕事柄、いろいろな道具をそろえていますが、自分や家族のために料理するだけなら本当に気に入った使いやすい道具が必要最小限あればいいと思っているんです。例えば、切れ味抜群の包丁とか、切っているときの音が心地よいまな板とか、こびりつかずきれいに焼けるフライパンとか。そういうものがいつも手元にそろっていると、キッチンに立つたびに幸せを感じられるはずですよ」
思えば、藤井さんのキッチンも好きなものや心地よいものの集大成。食べて幸せになる味はそんなハートフルなキッチンから生まれることを実感しました。
●取材協力
藤井恵さん
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