クラリッセ・リスペクトルの傑作小説を原作に、1980年代ブラジル映画で女性監督の先駆けとなった重要作「星の時」が、8月21日から4Kレストア版で公開される。主人公のマカベーア役を演じた、ブラジルの俳優マルセリア・カルタッショの公式インタビュー(2024年に俳優のメイビー・ジンキングスが聞き手を務めたインタビューを、日本公開にあたり抜粋)を映画.comが入手した。
本作は、ブラジル北東部の貧しい地からサンパウロへやってきた19歳のマカベーアの物語。読み書きもままならず、世間知らずで恋愛経験もない天涯孤独のタイピストである彼女の小さな世界と、訪れる運命のときを描いく。原作は「ブラジルのヴァージニア・ウルフ」と称されるクラリッセ・リスペクトルによる1977年の同名小説。日本では2021年に初邦訳され、第8回日本翻訳大賞を受賞し、大きな反響を呼んだ。
映画は、ブラジルにおける女性監督の先駆者スザーナ・アマラウが50代で完成させた初の長編監督作だ。「わたしはタイピストで、処女で、コーラが大好き」ーー読み書きもままならない見習いのタイピストである19歳のマカベーアは、仕事もうまくいかず、恋愛に夢をみながらも現実はどこかちぐはぐ。同居人たちにも「トロそうな顔してる」といわれる始末。しかしあるとき、占い師に「あなたの人生は変わる」と告げられる。
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――私にとってマカベーアは、フェリーニの「カビリアの夜」のカビリアや、ジョン・カサベテス「こわれゆく女」のジーナ・ローランズの役と並ぶほど、大きな存在です。今では「マカベーア」という名前自体が、一つの形容詞のように使われるほど、ブラジル映画史を代表する人物です。当時21歳の舞台女優で、映像作品への出演経験がなかったあなたは、監督のスザーナ・アマラウとはどのように出会ったのでしょうか。
私たちの劇団がサンパウロで公演をした時、スザーナが芝居を観に来てくれて、私に『星の時』の本を贈ってくれたんです。8か月にわたって毎月1通ずつ、合計8通の手紙を書いてくれました。まだ映画の資金を集めている段階から、手紙を通して演出を始めていたんです。そこには、演技についての助言だけでなく、「寝間着を一着作っておいて」「その寝間着は洗わずに持ってきて」といった細かな指示まで書かれていました。彼女は舞台での私の演技について、「動きが抑えられていて、とてもいい。その恥ずかしがるような繊細さを大切にして」と書いてくれました。
舞台では、客席の後ろまで届くよう身振りを大きくするのが普通です。でも私はその作品で、とても内向的な人物を演じていました。スザーナは、そこを見ていてくれたんです。「そのままでいい。その繊細さを失わないで。無理に演じようとしなくていい」と言ってくれました。スザーナは、私の中にあるものを見抜いていたんです。だから私は、「マカベーアを演じよう」とは思いませんでした。ただ、彼女が私の中に見つけてくれたものを信じようと思ったんです。
――スザーナはその舞台で、あるいはありのままのあなたの中にマカベーアを見出していたということですね。撮影中はどのような感じだったのでしょうか。
撮影に入ってからも、スザーナは決して「こう演じて」「ここでは泣いて」というような演出はしませんでした。彼女はいつも、「そのままで、感じたままに」そう言うだけでした。だから私は、演技をしているという感覚がほとんどありませんでした。ただ、そこに生きていただけなんです。
当時、私の家には電話がありませんでした。母はお針子、父は農業をしていて、テレビが家に来たのもずいぶん遅かった。電話なんて、とても持てません。連絡を取る時は公衆電話まで行かなければなりませんでした。ですから、スザーナとのやり取りはほとんど手紙だけでした。
サンパウロへ向かう時、彼女から届いた手紙には、こう書かれていました。「脚本はないと思って。本を読んで、マカベーアのことをすべて知っておきなさい」私は長距離バスの中でも原作を読み続けました。オリンピコ、グローリア、占い師、下宿の女性たち、職場の上司――登場人物との場面をすべて頭に入れ、本をほとんど暗記するほど読み込みました。
ただ、原作の語り手の部分には、あまり心をひかれませんでした。あとで脚本を受け取ると、語り手が消え、マカベーアの物語だけになっていました。それはとても魅力的で、素晴らしい選択だと思いました。
――オーディションで印象的だった出来事はありましたか?
オーディション会場には、マカベーアが働く事務所が再現されていました。タイピングをし、ホットドッグを食べる場面です。私は映画が初めてで、カメラも照明も音声も、何一つ分かりませんでした。だから、舞台でいつもしていたように、ただ椅子に座りました。そうやって、私のマカベーアが生まれました。
オーディションが終わると、周囲の人たちが「マカベーアがいた!」「撮影を始めよう!」と叫びました。忘れられない瞬間です。
スザーナは、私がホットドッグをどう食べ、コカ・コーラをどう飲むのかといった、小さな仕草まで見ていました。ホットドッグを食べる時、私は最後までソーセージを少しだけ残していたんです。最後の一口をゆっくり味わいたかったのかもしれません。彼女は、そんな無意識の動きも人物の一部として見ていたんです。
――ベルリン国際映画祭での体験を聞かせてください。
ベルリンへ行くお金も、スーツケースも、冬服もありませんでした。撮影後に居候していた俳優ロジ・カンポスの家で、「私はベルリンへ行けない」と言うと、彼女は「あなたは主演女優なんだから、行くのよ」と言ってくれました。
ロジは舞台仲間たちに声をかけ、皆で冬服やスーツケース、長靴、厚手の靴下まで用意してくれました。当時、スザーナもプロデューサーのアスンサォン・エルナンデスも、全員がお金を持っていませんでした。わずかなドルだけを手に、私はベルリンへ向かいました。
ベルリンに着いた二日目に、私は街で襲われました。まだベルリンの壁があり、閉鎖された地下鉄駅も多く、空は灰色で雪が降っていました。私をトルコ人だと思ったのかもしれません。当時、黒人や日本人、トルコ人などに敵意を向ける人々がいることを、私は知りませんでした。痩せっぽちで、ユダヤ人にも見えたのでしょう。ひどく殴られ、それから外へ出るのが怖くなりました。その夜は、映画を観ながらずっと泣いていました。
映画祭は十二日間でしたが、私が滞在できる予定は六日だけでした。スザーナとアスンサォンからも「お金も宿もないから帰らなければ」と言われました。ところが映画を観たブラジル総領事館の人たちが支援してくれて、最後まで残ることができました。
授賞式の前日、スザーナに呼ばれ、「『星の時』が三つ賞を取ったわ」と告げられました。その一つが主演女優賞でした。でも私は、何が起きたのか実感できていませんでした。その夜、ブラジルから来た映画関係者たちが、「あなたは国際映画祭で女優賞を受賞した最初のブラジル人女優なんだ。歴史を作ったんだ」と言ってくれました。その時初めて、出来事の重みが胸に迫り、泣きました。
授賞式で賞を手渡してくれたのはジュリエッタ・マシーナでした。客席には夫のフェデリコ・フェリーニもいた。「カビリアの夜」のカビリアが舞台に立ち、マカベーア役の私に賞を渡してくれたんです。
――スザーナは、9人の子どもを育てた50代の主婦が突然現れ、初長編で傑作を撮ったかのように語られてきました。しかし実際には、短編やテレビのドキュメンタリーを数多く手がけ、ニューヨークで映画を学んだ長いキャリアがありました。その歩みが見えなくされ、「突然現れた天才」という物語に置き換えられてきたこと自体が、女性の仕事や訓練が不可視化される構造を示しているように思います。「星の時」では、主演が女性、女性プロデューサーとともに映画化し、力強い女性たちのチームを築き上げましたね。
40年もの間、私はずっとクラリッセ・リスペクトルと共に歩んできました。クラリッセが描いた女性たち、その豊かな世界を背負いながら。クラリッセについて語る時、必ず最初に挙がる作品が「星の時」です。その反響は本当に大きく、40年経った今も続いています。そして今、4K版として再び公開されることは、本当に幸せなことです。新しい世代とこの映画を通して対話できるのですから。
8月21日から、新宿武蔵野館、 Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下ほか全国順次公開。
【作品情報】
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星の時
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