娘が学校へ行けなくなったとき、私はどうにかして登校のきっかけをつくりたいと思っていました。けれど、親として良かれと思って取った行動は、娘の心にも親子関係にも、大きな傷を残す結果になってしまったのです。
学校へ戻ってほしい一心で
娘が小学校6年生のとき、不登校になりました。どうにかして、また学校へ行けるようになってほしい。そんな思いが強くなる中、当時の校長からの提案もあり、私たちは夫婦で娘を学校まで連れて行くことにしました。
それは、娘の意思を尊重する形ではありませんでした。
無理やり登校させた結果
夫と私は、娘を学校まで連れて行き、校長室に待機していた教師たちに引き渡しました。私たちは、これが登校のきっかけになればという思いで、わらにもすがるような気持ちだったのです。親として、心を鬼にしてやるしかないのだと思い込んでいました。
娘は一時的に校長室へ通うようにはなったものの、
中学に上がると人と関わることへの不安がさらに強くなり、再び学校へ行けなくなってしまいました
。
娘が感じた恐怖とは
後になって娘が話してくれたのは、あの日のことでした。
大人2人の力で、娘のスカートの裾が乱れるのも構わず、当時の娘にとって恐怖の対象だった学校まで無理やり連れて行かれたことは、思春期の娘にとって、大人たちから一方的に力で従わされたように感じる体験だったというのです。
その言葉を聞いたとき、私は自分たちがどれほど娘を追い詰めていたのかを、ようやく思い知りました。
親として向き合うべきだったこと
結局、学校側も私たちも、良かれと思ってしたことことが、結果的に娘をさらに追い詰めてしまったのだと思います。
娘を学校に戻したい気持ちばかりが先に立ち、娘が何を感じているのか、学校へ行けない日々の中で何を考えているのかに、十分寄り添えていなかったのだと思います。娘によれば、校長室での校長も、自分の気持ちより学校側の事情を優先している大人のように見えていたそうです。
将来への不安や焦りから、私たちは学校側の言うとおりに動いてしまいました。けれど本当に必要だったのは、娘と同じ目線に立って、ゆっくり話を聞くことだったのかもしれません。
「どうすればよかったのだろう」と今も思います。あのときの行動が、娘の心にも親子関係にも深い傷を残してしまったことを思うと、後悔は消えません。
まとめ
娘の将来を思う気持ちが強かったからこそ、私は「学校に戻すこと」ばかりに目を向け、娘が何に苦しんでいるのかを十分に見ようとしていませんでした。親が良かれと思ってしたことでも、子どもにとっては深い傷として残ることがある。その後悔を忘れず、これからは娘の気持ちに丁寧に向き合っていきたいと思います。
※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。
著者:日置伸美/50代女性・会社員
イラスト:アゲちゃん
※ベビーカレンダーが独自に実施したアンケートで集めた読者様の体験談をもとに記事化しています(回答時期:2026年6月)
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