桐朋女子高等学校音楽科(男女共学)在学中の2017年、第86回日本音楽コンクールで当時最年少となる17歳で優勝した吉見友貴。卒業後は桐朋学園大学ソリスト・ディプロマ・コースを経て、2020年に米国ニューイングランド音楽院へ進んで研鑽を重ね、昨年開催されたエリザベート王妃国際音楽コンクールではファイナリストに選出。今秋からはドイツのハンブルク音楽演劇大学へ進む。この転換点に開催する今回のリサイタルでは、ショパンとショスタコーヴィチによる二つの《24の前奏曲》を取り上げる。24の調を同じ順序で巡りながら、まったく異なる世界が広がる作品だ。取材時に滞在していたラヴィニア音楽祭での経験から、これまで受けてきた多様な指導、2つの前奏曲集への向き合い方、ドイツで始まる新たな学びまで、現在の心境を聞いた。
【写真】第86回日本音楽コンクールピアノ部門で最年少優勝を果たすなど、注目の若手ピアニスト・吉見友貴◆上野久子先生から学んだ原点――シカゴのラヴィニア音楽祭にフェローシップとして参加しているそうですね。2年目となる今年は、いかがでしたか?吉見:去年より弾く曲が多くて大変でございます(笑)。(音楽祭でピアノと弦楽器のプログラムで芸術監督を務めるヴァイオリニストの)MIDORIさんに任されたと捉えれば、聞こえはいいのですが、さすがにかなりのボリュームの曲数でして……。
――期待と信頼を寄せられている証ですよ(笑)吉見:特に、7月半ばは出演公演が集中していて、12日に(元 東京クヮルテットの)チェロ奏者クライヴ・グリーンスミスさんとブラームスのピアノ三重奏曲第2番を、16日にファジル・サイのチェロ作品《Four Cities》、17日にショパンの《前奏曲集》、19日にはレスピーギのヴァイオリン・ソナタ、と約1週間で異なるプログラムを弾いたのは、なかなかに大変でした。
――個人の練習と、リハーサル時間も鑑みると、ハードな日程でしたね……。今回はリサイタルの話題に入る前に、吉見さんのプロフィールに掲載されている4名の先生についてうかがいたいと思っています。中学・高校時代に師事していた上野久子先生は、どんな先生でしたか?吉見:先生は「音」そのものに対してとても厳しい方なんです。どんな音で弾きたいのか、どういう音が美しい音なのかということを、すごくたたき込まれましたね。特にフレーズ感を生み出すために1音1音の間をどう表現していくかという教えが、自分の演奏に今も活かされていると思います。当時は自分が幼かったので、先生の指導があまりに細かすぎて反発したこともありましたが、今から振り返ると厳しく細かく教えてくださったことが自分の基礎になっています。今でもコンサート前などにレッスンをお願いすることがあります。
――留学先にアメリカを選んだのも上野先生の影響でしたよね。吉見:上野先生は長い間、ピーボディ音楽院でレオン・フライシャーに習っていたんです。先生からは「ジュリアードやカーティスに行って先生を見つけたら」というようなことを高校生ぐらいから言われていました。それで何となく「自分はアメリカなのかな」と漠然と考えるようになり、アメリカへ行きました。
――ニューイングランド音楽院への進学後も、桐朋学園大学ソリスト・ディプロマ・コースに在籍し、伊藤恵先生に学びました。どのような経緯だったのでしょう?吉見:日本の教育機関で学べる最後の1年だったので、上野先生とは異なる別の先生にも習ってみたいと考えていたんです。伊藤先生の演奏は小さい頃からいろいろな録音を聴いていてずっと好きでしたし、友人にも先生の門下生がたくさんいました。そこで伊藤先生にお願いしてみたところ、受け入れてくださったので初めてレッスンを受けました。伊藤先生は、もっと自分の心をオープンにしなさい。自分が感じているまま弾きなさいとおっしゃるタイプの先生で、自分の心にあった箱を開けてくださるようなレッスンでしたね。
◆コロナ禍の試行錯誤から始まったアレクサンドル・コルサンティア先生への師事――2020年に入学したニューイングランド音楽院では、アレクサンドル・コルサンティア先生に師事しました。留学はコロナ禍のオンライン授業から始まったのですね。吉見:伊藤先生より先に、コルサンティア先生のレッスンを受けはじめていました。ただしコロナ禍だったので最初は日本からオンラインで受けていたんです。だから互いにZoomを通してどのように演奏が伝わっているのか当時はまだまだ分かりませんでしたし、試行錯誤の1年でしたね。2年目である2021年から実際にボストンで勉強しはじめて、ようやくコルサンティア先生のレッスンがどういうものなのか分かってきました。
コルサンティア先生は、蛇口をぱっとひねって僕の中にあるものを全部出してくれるような感じなんです。曲によってはすごく細かくなる時もありますが、基本的には自分が何を感じ取っているのか、音楽とどう向き合って、どう感じているのかを、もっと表現しなさい、外へ出しなさいという先生でした。哲学的というか、すごくコンセプチュアルなレッスンが多いです。それまで習ってきた上野先生とは全く異なる教え方だったことに、ものすごく衝撃を受けました。
――どちらかといえば上野先生よりも伊藤先生に近いタイプなんですね。吉見:ただ裏を返せば、自分でいろいろなことを考えなければいけないレッスンでした。この音をどうするか? ここでフレーズがどうなっているか? そういった細かいことを先生はあまりおっしゃいません。もう分かっているという前提で話されるんです。だから最初のうちは「こう弾いたらだめなのではないか」「こうしたら違うのではないか」という迷いがすごくありましたし、「どうしよう、どうしよう」と考え、なかなか負のループから抜け出せない瞬間もありました。「自分の演奏はどこへ向かっているのだろう」と思うことも多かったです。
でもきっと先生は、それも分かっていたのだと思います。それでも「あなたは今こういう状態だから」とはおっしゃらず、自分で自分を見つけるための手助けをしてくれました。そこが最も考えさせられたところだったと思います。特に現地で受けた最初のセメスターは、自分の演奏もどんどん変わっていくという実感がありました。
――コルサンティア先生自身が一般的なピアニスト像には収まらないような演奏家ですよね。YouTubeで《ペトルーシュカ》全曲を弾いている映像を観たのですが、ピアノを弾いているというより、ひとりでオーケストラを鳴らしているかのようでした。吉見:あれはすごく面白いですよね(笑)。数年前に弾きはじめた頃は、ピアノのペダルの横にドラムセットのバスドラムを置いて足で踏むだけだったんです。ところが回数を重ねるうちに、手首に巻く鈴などがどんどん増えていったり、アコーディオンのような楽器が出てきたりした時もありましたよ。最初は「一体、この人は何をしているんだ?」と訝しがっていたんですが、先生のことを理解するほどこれが本物の芸術家だなと思いました。
◆ダン・タイ・ソン先生の細かいレッスンから「音」を学ぶ――修士課程からはダン・タイ・ソン先生にも習っているそうですが、どんなレッスンなのですか?吉見:とにかく細かいです(笑)。コルサンティア先生のレッスンを4年ほど受けてきて、慣れてきた頃だったので余計に驚かされました。久しぶりの細かいレッスンだったこともあって最初は撃沈してしまって。「そんなに俺、ピアノが下手なのかな……」と凹みながら、レッスン室を出たことを覚えています。
――それから修了までの2年間で、ダン・タイ・ソン先生からは何を学びましたか?吉見:音ですね!やっぱり音です。先生は隣でたくさん弾いてくださるのですが、それを聴くだけでダン・タイ・ソン先生について良かったと心底思っています。あまりに上手いので、レッスン室で怖さを感じるほどなんです。先生からはどんな音を目指すのか、そのためにはどのように身体を使うのかを教わりましたね。どういう手の状態で、どういう手と身体の使い方をすれば、どういう音が出るのかを完璧に把握している先生だと思います。
――ダン・タイ・ソン先生といえば、未だにショパンのイメージが強いですけど、吉見さんが今回のリサイタルでショパンの《24の前奏曲(プレリュード)集》を選んだのは、やはりダン・タイ・ソン先生が関係しているのでしょうか?吉見:この曲について、先生は以前からずっと「ショパンのすべてが詰まっている」とおっしゃっていました。先生に習えるのはこのセメスターが最後だと分かっていたので、どうせなら最後にショパンの《前奏曲集》を教えていただきたいと思い、今回のプログラムに入れたんです。
――具体的にはレッスンでどのようなことを教わったのでしょう?吉見:1曲1曲に対するイメージが、彼の中では非常にはっきりしているんですよね。レッスンというより、彼の中にあるひとつひとつのプレリュード像を伝授してもらっているような感じでした。最初に僕が何曲かをぱっと弾くと、あとはダン・タイ・ソン先生が弾いてみせてくれます。「ここは、こんな音でどうだろう」というのを、ずっと「へえ〜……」と感心しながら聴いているようなレッスンでした。
――まるで自分のためだけに演奏してもらう、プライベート・リサイタルのようですね!先生のいう「ショパンのすべてが詰まっている」とは、どのような意味だと受け止めていますか?吉見:先生は言語化して説明はしてくれませんでした。ただただ、とにかく「ショパンのすべてが詰まっている」とおっしゃるんです。だから自分なりに言語化してみると、全部弾くと40分弱ぐらいある作品ですが、その中に24の長調と短調がすべて入っています。似たように弾こうと思えば弾けるものもあるかもしれませんが、ショパンとしてはすべての調、ひとつひとつの前奏曲でそれぞれ違うことをしているのは間違いありません。
1曲1曲はまったく別々で、ひとつひとつが小さなコスモス(世界、宇宙、秩序)であると同時に、24曲でひとつの大きなコスモスにもなっている。何故そう感じるのか不思議だと思いながら毎回弾いています。それにこの作品は、その時の自分の精神状態に加えて、周りの空気感まで相まってはじめて完成する曲なのかなと考えるようになりました。答えが見つかるかどうかは分かりませんが、今回は4カ所でリサイタルをさせていただくので、どこかのタイミングで、全てがつながる瞬間があるといいなと思っています。
――自分だけじゃ完成しないというのは、どういうことでしょうか?吉見:いろいろな可能性がありすぎる曲だと思っているんです。例えば、24曲をどう分けて、どうグルーピングするのか? 1曲で独立させるべきだと思う曲もありますし、数曲続けた方がよいと思う時もあります。単純に2曲ずつ区切るというものでもありません。ある日はそのまま次へ行った方がよいかもしれないと演奏中に感じて、翌日に弾いたら、それは違ったかもしれないと思ったりする不思議な作品なんです。だからこそツアーで何公演か弾く意義のある曲だと思います。その時の自分の状態、その土地の空気感や時間の流れ方、ホールの響き、ピアノやペダルの状態、お客さんの精神状態などに、すごくアフェクト(作用)される曲だと思います。
◆アメリカでの修士課程を終えヨーロッパへ今後の展望は?――公演に寄せたメッセージで「無限に膨張し続ける宇宙のような広がり」と表現されているのは、そういった意味が込められているんですね。取り組むなかで、24曲のうち、以前とは印象が変わった曲はありますか?吉見:特に変わったのは第15番 変ニ長調――いわゆる《雨だれ》です。この曲だけ取り出されて様々な場面で弾かれすぎていて、イージー・リスニング的な曲なのではないかと思っていた時期もありました。でも《24の前奏曲》全体のなかに位置づけてみると、前半には短い曲が多いこともあり、第15番が全体の中心になっているような感覚があります。実際に、演奏時間的にもちょうど真ん中ぐらいに置かれていますしね。
ダン・タイ・ソン先生は、この曲で繰り返される「ラ♭(=ソ♯)」は「決して単なる雨だれを表しているのではない。死に直面したショパンを描きなさい。ただ美しく弾くのではなく、病弱だったショパンが死を目の当たりにした瞬間、死に対する感覚を持って弾きなさい」ということをおっしゃっていました。そう言われてからハッとして、別の世界が視えてきましたね。精神的に非常に深いところまで追求できる曲なのだと、先生のレッスンを受けてはじめて思い知りました。
――通俗的なイメージという点でいえば、日本では胃腸薬のCMのイメージがついてしまった第7番 イ長調もそうした曲のひとつかと思いますが、コルサンティア先生とダン・タイ・ソン先生からはそれぞれどんなことを教わりましたか?吉見:第7番も位置づけがすごく難しいなと思います。コルサンティア先生は第6番からの流れと、第8番へ行く中間地点として、「ダンスというより、幻のような感じで弾きなさい」とおっしゃいます。ところがダン・タイ・ソン先生は、「マズルカなのだから、もっとダンスのグルーヴ感を加えなさい」とおっしゃるんです。もちろん、どちらが正しいという話ではありません。僕はどちらかに決めてしまうのではなく、実際に演奏するまで可能性を残しておこうと思っています。
――ショパンに対して、同じタイトルを持つショスタコーヴィチの《24の前奏曲》を組み合わせた理由は?吉見:ショパンの《前奏曲集》を自分のリサイタルで弾くなら、別の作曲家が24の調を使って調性をどう描いたのかを並べてみたら面白いと思い、迷わずショスタコーヴィチにしました。エリソ・ヴィルサラーゼ先生がこの曲の録音を残していて、弾きたいと思った曲なんです。ヴィルサラーゼ先生には霧島音楽祭に行った時にショスタコーヴィチを見ていただこうと思っています。
――ショスタコーヴィチは作曲家であると同時に、優れたピアニストでもありましたよね。実際に弾くことで、ピアニストとしての側面が見えてくることはありますか?吉見:楽譜だけ見ていた時点では「弾きづらそう」とずっと思っていましたが、弾いてみると手になじむ瞬間がかなり多いんです。実際にややこしいところもあるのですが、そのややこしさにも一貫性があります。どういうパッセージがショスタコーヴィチ自身の手に合っていたのか、曲を弾く中で何となく分かってくる瞬間があるので面白いですね。
また、ピアノをどう鳴らせばいいのかをよく分かっている作曲家だと思います。それは第1曲の冒頭2小節ぐらいで、すぐに分かります。分散和音を弾き、その響きの中から上声のメロディが流れていく。その響きの設計から「この人はピアノをよく知っていたんだな」と伝わってきます。それに、様々な調へ移ったとしてもペダルを使った響きが決して汚くならないんです。どういう音を鳴らせば、どういう倍音が出るのかを理解していて、無駄な音がそぎ落とされている印象を受けます。
――吉見さんのメッセージでもショパンと「全く違う世界が広がる」とショスタコーヴィチを紹介していましたね。吉見:もちろんショスタコーヴィチの音楽――特に《24の前奏曲》のなかには美しい旋律や叙情性が詰まっています。それに加えて強く感じるのが「演劇」的な要素です。ショスタコーヴィチはオペラや映画音楽にも優れた楽曲を残していますし、1曲1曲がどういう演劇で、どういう舞台セットで、どのような出来事が繰り広げられるのか? それらが最初の1〜2小節ではっきりする曲が多いと思っています。
――ショパンの《24の前奏曲》は、その時々の状況によって曲同士のつながりも変化するというお話でした。ショスタコーヴィチの場合はいかがでしょう?吉見:ショスタコーヴィチはショパンと反対ですね。1曲1曲が、どのようなセッティングなのかがはっきり伝わってきます。本番ではそのキャラクターに向かっていく感じになりそうです。
――いよいよニューイングランド音楽院の修士課程を終え、次はヨーロッパに移るとか。今後はどのようなピアニストになりたいと考えていますか?吉見:ドイツのハンブルク音楽演劇大学へ行って、ロシアのアンナ・ヴィニツカヤ先生に習う予定です。コルサンティア先生はジョージア出身ですが、ロシア、ソヴィエトの流れを受けています。ダン・タイ・ソン先生もモスクワで長く勉強されていたことを思うと、僕もずっとソヴィエト系、ロシア系の先生に習ってきたといえます。
正直にいうと「こんなピアニストになりたい」と思って、ずっとピアノを弾いてきたわけではありません。もちろん、演奏会の機会はありがたいですし、お客様の前で弾いてこそ、芸術家であると思います。たくさんのお客さんの前で、いろいろな音楽を届けたいという気持ちもあります。ただ、まずは好きな音楽を突き詰めていけたらという気持ちが第一にあることはずっと前から変わっていません。この先に何が待っているのかは、まだ分かりません。これまでとは違う文化に囲まれる中で、謙虚に自分と向き合って新しい側面を見つけられたら、それで良いんじゃないかと思っています。
(取材・文:小室敬幸)
「吉見友貴ピアノ・リサイタル」は、8月21日東京・浜離宮朝日ホール、8月22日愛知・電気文化会館 ザ・コンサートホール、8月29日山口・周東文化会館(パストラルホール)にて開催。
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