ガス・バン・サント監督の珠玉の初期作「マイ・プライベート・アイダホ」(1991年製作)と「ドラッグストア・カウボーイ」(1989年製作)がデジタルリマスター版として連続上映される。ガス・バン・サント監督が、この2作についての思い出を語るインタビューを映画.comが入手した。
「マイ・プライベート・アイダホ」は、今は亡きリバー・フェニックスと若き日のキアヌ・リーブスが共演し、二人の友情を軸に家族をテーマにした物語。製作から35年で初めてのデジタルリマスター版で上映される。「ドラッグストア・カウボーイ」は、マット・ディロン主演で、ドラッグと刹那的に生きる若者の姿をスタイリッシュに描く青春映画だ。
▼「マイ・プライベート・アイダホ デジタルリマスター版」について
――美しい映像で2作品がリマスターされ、日本で再び公開されることについてどう思いますか?「マイ・プライベート・アイダホ」はあなたにとってどんな映画ですか?
とてもうれしいよ!リマスタリングできてよかったと思う。自分の頭から生まれた物語で撮ったのはこの「マイ・プライベート・アイダホ」だけだ。ポートランドのストリートで暮らすキッズは何人か見知っていて、彼らをモデルや俳優として起用した。でも基本的には60年代に影響を受けた感覚に近い映画を作ったんだと思う。「蝿の王」や「ゴドーを待ちながら」を読んだり、そんな二冊の影響も、「マイ・プライベート・アイダホ」に繋がって、現出している気がする。
――リバー・フェニックスとキアヌ・リーブスを起用されています。キャスティングの様子はどうでした?
「ドラッグストア・カウボーイ」の次にこの作品を作ろうと奮闘している頃、僕も当時のボーイフレンドのDJも、二人ならその役を演じられる気がすると思い始めた。リバーはちょうど「旅立ちの時」で注目されていて、キアヌも「ビルとテッドの大冒険」を撮ったばかりで、僕が見た映画にも既に何本か出ていた。そして彼らが出演してくれるなら、きちんとこちらも準備しておきたいと思いながら、本当に実現するとは思っていなかった。それでも彼らの手元に脚本が渡ることになり、二人の反応も割とよかった。それは「ドラッグストア・カウボーイ」が公開されたばかりということも無関係ではなかった。とにかく注目はされたからね。僕らも二人の反応に驚きつつ、実際にミーティングするようになって、彼らも本気だって実感したんだ。
――リバーの最初の反応はどうでしたか?キアヌが演じたスコット役をやりたがっていたということは?
いや、それはなかったかな。リバーはずっとマイクで決まっていたと思う。そしてキアヌがスコット。逆はなかったと思う、いや、最初に持ちかけた時はあったかもしれないけど、リバーはずっとマイクだって決めていたから(笑)。
――二人との映画作りでのエピソードを教えてください。
遅れがあったことは覚えている。撮影の直前にリバーがワーナー・ブラザースの「恋のドッグファイト」の撮影に入って、撮影場所はシアトルだった。それでシアトルまで会いに行ったりしていたけど、それが結局数カ月押して、その間キアヌはFBIのエージェント役(「ハートブルー」)を受けて、僕の映画の撮影の四日前まで撮影している状態だった。そこから現場に入って、自分の役になんとか入ろうと奮闘し始めた。それでもリハーサルの時間はとれたよ。最初に撮った一連のショットは、砂漠でバイクが故障して、警察が登場するシーンだった。
――彼らは自由に自分の立ち位置を決めて動けたのでしょうか?それともあなたが決めたのですか?
僕は「ドラッグストア・カウボーイ」で慣れ始めていたやり方で撮影を構成するように意識していて、どんなショットにするか試行錯誤していた。基本的に映画の撮影には二通りあると思うけど、一つはあらかじめショットを計画的に構成すること。ヒッチコックがそういうタイプだった。そしてそれぞれのショットを決め、セリフも、セリフ以外のところも決めて、絵コンテ通りに撮る。スタンリー・キューブリックがまずシーンのブロッキングから始めるのを読んだことがある。それに見合ったショットをデザインする。つまり最初にリハーサルをして、ブロッキングして立ち位置を決める。やるべきことが決められ、ロケーションでどこからどこへ移動するかも全て決められる。絵コンテで全てが固められる。もちろん撮影スタイルはブロッキングに合わせて変更しても良い。「マイ・プライベート・アイダホ」もそんな撮影法だった。
――それは面白いですね。今の人にとって「マイ・プライベート・アイダホ」はどう受け入れられると思いますか?また今撮るなら、同じような物語でも、どんなアプローチで、どんなところを変えてみたいですか?
今の状態と全く同じにするんじゃないかな。僕らが撮影している時でさえ自分たちが驚くようなことがいくつもあったから。それに、撮影中に、いや、始まる前、俳優たちが到着する前、映画の権利が売れる前からね。ニューラインという映画会社がこの製作に決まった時、何らかの成果を見せてくれと言った。でも僕らはまだ何も撮影すらしていなかった。それで僕らは砂漠に行って雲や道路のタイムラプス撮影を始めたんだ。撮影監督のエリック・エドワーズが、自分で使いやすいカメラを組み立てて、タイムラプスでショットを撮り始めた。あまりお金がかからないからね。
結果的にいいタイムラプス映像が撮れたけど、元々は映画がどんな雰囲気か教えるために撮り始めたんだ。その時点で映画に使うつもりもなかったから。映画としてまとまって、編集を始めるまでね。コミュニケーションとしてまだ分かりにくいところがあったけど、リバーがあるシーンで眠りに落ちてから別の街で目を覚ますところで、ジョージ・エリオットの小説「サイラス・マーナー」のコンセプトが連想されるけど、小説の主人公が1800年代に、ある場所で眠りに落ちたと思ったらまた別の場所で目覚めるというのがあって、どうも信じきれなかった。ある場所で眠りに落ちて、二つのシーンの間に何か必要な気がして。そしてリハーサルの段階で、間を繋ぐ何か、タイムラプスのシーンを入れることにした。そういう意味でタイムラプスのシーケンスが役立ってよかった。
※タイムプラス:一定間隔で連続撮影した静止画をつなぎ合わせ、一つの動画に仕上げる撮影手法
――タイムラプスの話題に関連して、「マイ・プライベート・アイダホ」の納屋が落下するイメージや、「ドラッグストア・カウボーイ」の帽子なども、シーンの間に挿入されているイメージも同様の理由からですか?
そうだね。それぞれが違うソースから来ているけど、僕はずっと1930年代の映画のイメージが惹かれてきて、物語の中で主人公の心理がどんなものかを語るためにモンタージュを使うことが多くて。それは「ドラッグストア・カウボーイ」のなかでは、帽子が宙を舞い、雲も納屋も、色んなものが飛んでいく。主人公がハイになった状態を観客が見るためのシーンだ。それは脚本に既に入れていたけど、スクリーニングの時に、映画製作者や映画作家、映画会社のお偉い方も、みんなモンタージュを気に入って、もう3~4箇所入れたらいいってなった。それで更に撮影中、モンタージュがどんどん増えていった。
※モンタージュ:異なる場所や時間の短い映像をつなぎ合わせる編集技術
――「マイ・プライベート・アイダホ」の納屋が墜落するシーンについてもう少し話してもらえますか?
あれもモンタージュだね。彼が夢の中で、最初に田舎の道路で気を失う時に、納屋が地面から浮き上がって、雲の中を漂い、藁を持ち上げるピッチフォークも、オズの魔法使いのように舞い上がる。ピッチフォーク、ロープ、牛が浮遊し、そうすると納屋が落下して木っ端微塵になる。それが「マイ・プライベート・アイダホ」で何度も起きる。そんな感じで納屋が墜落する状態を、全てロケーションで撮影した。
――実際にどう撮影したのでしょうか?物理的に持ち上げて落としたのですか?
そうだね。納屋自体は缶々くらいの大きさで作られていて、作られた全ての納屋は極小の釘を使っていた。そうして全てのピースが小さく作られて、クレーンで持ち上げられる。それを撮影する時に路面に落下させて、道路自体もより小さく見えるように、路面の一部を覆って撮影したんだ。
▼「ドラッグストア・カウボーイ デジタルリマスター版」について
――映画監督としてのキャリアを振り返る時に、35ミリで撮影した初の劇映画だった「ドラッグストア・カウボーイ」はあなたにとってどんな意味を持ちますか?
35ミリで撮影できたわけだけど、自分にはそこまで大きな違いはない気がする。ただスタッフの規模が急に膨らんで、80人くらいだったと思うけど、とにかく大変だった。その後の「マイ・プライベート・アイダホ」は35人ほどだから。そういう意味で「ドラッグストア・カウボーイ」は大冒険だった。ある日突然、サーカスの巡業みたいに街を回ることになって、正直、心の準備ができていなかった。ある意味、驚きの連続で、今でもそんな大規模的な撮影方法は苦手なんだと思う。イングマール・ベルイマンの撮影現場の映像とか、ゴダールやトリュフォーも、たいてい9人くらいの小人数で撮影している。トリュフォーの「アメリカの夜」も小さなチームだったし、今もそんな規模でプロジェクトに向き合いたいと思う。なぜなら巨大な旅のサーカス団に比べたら遥かに動きやすいからね。
――その場で判断できたり、許可取りも不要な時代だったからでしょうか?
「マラ・ノーチェ」もそうだったけど、もっとよくすることはできると思う。必ずしも許可取りなしとまで行かなくとも、最小限で、プロセスが過剰じゃなければ。何しろ「ドラッグストア・カウボーイ」の時は本当に撮影隊の規模が大きくなってしまって全体のプロセスに影響が出てしまった。
――「ドラッグストア・カウボーイ」の原作との出会いを教えてください。
「マラ・ノーチェ」の場合、まず撮影に入れる資金を貯めるところから始まって、実際に撮影に入るまで随分と時間を要した。キャスティングを準備する間も他にストーリーを書いたりしていた。ポートランドで共同脚本だったダン・ヨストがジェームス・フォーグルの未出版の小説と出会っていたんだ。それが「ドラッグストア・カウボーイ」。フォーグルは当時ポートランドから5時間くらい離れたワシントン州ワラワラの刑務所に服役中でダンはチームを組んで、彼の本を小説として出版しようと奔走していた。フォーグル自身が脚本を書いてLAで売り込もうとする中、ダンもまた、自身のバージョンの脚本を書いてLAで営業に走っていた。
ダンは「マラ・ノーチェ」が完成した頃にLAにも住んでいて、僕が訪ねた時にジェームス・フォーグルの小説を映画会社にプレゼンしたらどうかと勧めたんだ。実際に小説は二つあって、一つはサン・クエンティン刑務所に服役中のフォーグルの人生を描いた「Satan’s Sandbox」。もう一つが「ドラッグストア・カウボーイ」だった。僕らはその二本を売り込んでみた。たぶん最初にマット・ディロンが「Satan’s Sandbox」に興味を覚えて、後から「ドラッグストア・カウボーイ」の準備に入った頃に、彼の代理人が「ドラッグストア・カウボーイ」の主人公に彼が合うんじゃないかと乗り気になったんだ。
――マット・ディロンとの仕事はどうでしたか?
そうだね。マットはとても仕事しやすかったし、とても乗り気だったよ。
――それにウィリアム・S・バロウズも映画に参加していますね。それはどんな経緯で実現したんですか?
そうだね。ウィリアム・S・バロウズとは、彼の短編小説「The Discipline of D.E.」を元に短編映画を撮ろうとしていた際に、そのプロジェクトの説明をしようと1975年に直接訪ねたんだ。その反応は、彼は自分でも短編映画を何本か撮った経験があったため、短編に予算がないのは判っていて、そのまま出版エージェントに回された(笑)。映画化の許可はもらえたけど、会ったのはそれきりで。そして1988年に「ドラッグストア・カウボーイ」に出演してほしいと相談をして、彼と助手のジェームス・グラワーホルツから、マット・ディロンを相手に演技をするならということで了承してくれたんだ。事前に出演シーンを一日で撮り上げるように言われていて7シーンあったけど一日で撮れてほっとしたよ。彼は疲れ切っていたけどね。
――彼は即興を繰り出したのでしょうか?
そうだね。即興シーンもあったよ。ポートランドのブロックを歩きながら自分の人生、過去を振り返るシーンがあって、二人とも自由に話を作りながら即興で楽しんでいた。
――これらのあなたの初期作品は今でも多くの人を魅了し、影響を与え続けています。このリバイバル上映で、現代の若い世代がスクリーンで見る機会はどう思いますか?
「ドラッグストア・カウボーイ」は公開当時注目されて、現在、アメリカではオンラインで見られるから、実は今も注目されているらしいんだ。60、70年代に自分が受けた影響を放り込んだのが、当時80年代には新しい感覚だったのかもしれない。僕らと同年代くらいにはそんなふうに支持された。まさに若い世代の支持で成功したと思うんだ。
デジタルリマスター版「マイ・プライベート・アイダホ」は、8月7日から、「ドラッグストア・カウボーイ」は、9月18日からシネマート新宿、シネスイッチ銀座ほか全国公開。
【作品情報】
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マイ・プライベート・アイダホ
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