「列の横入り」は怒りを覚える迷惑行為だが、トラブルを恐れて泣き寝入りしてしまう例も少なくない。だが、意図せずして、悪質な割り込みを撃退してしまうこともあるようだ。
西野愛梨さん(仮名・29歳)は、その日のことをこう振り返る。
終電後のタクシー乗り場は長蛇の列
「散々な1日でした。金曜日で、ただでさえ一週間の疲れが溜まっていたなか、仕事中に理不尽に怒られ、さらには社長の思いつきで急遽、全員参加の飲み会が開かれて……。社長の自慢話とお説教をひたすら聞かされた挙句、解放されたのは深夜0時過ぎでした」
自宅の最寄り駅までの終電はすでになく、西野さんが飛び乗れたのは途中駅止まりの最終電車だった。
「飲みすぎたせいで吐き気がある状態で満員電車に揺られて……終着駅に着いた時にはへとへとでした。それで、ホームのベンチで少し休んでいたんですけど、駅員さんに『もう閉めるので』って追い出されて。仕方なくタクシー乗り場に向かいました」
だが、乗り場には長蛇の列ができていた。西野さんは列の最後尾に並び、その後ろに中年男性がひとり続いた。うだるような暑さの熱帯夜のなか1時間近く待って、ようやく順番が近づいたときだった。
派手な男女が強引に割り込む
「どこからともなく、派手なブランド物を着た若い男女のカップルがふらっと現れて、悪びれもせず列の先頭に割り込んで来たんです。普段なら躊躇したと思いますが、その時は疲れていたこともあって、つい『いや、並んでますけど』と注意していました」
だが、カップルは西野さんを一瞥しただけで無視。それどころか、当然のような顔で先頭に居座り続けた。
「こんなチビ女には何もできないだろうと思われたんだと思います。イラッときて、もう一回『すいません。並んでます』と言ったんですが、男の方に『ああ? こっちも並んでただろ』って、ありえないことを言われて……後ろの中年男性に目で助けを求めたんですが、見て見ぬふりでした」
カップルの悪質な態度に、頭に血が上ったものの、どうにもならなかった。
「甘い物で気持ちを落ち着かせようと思って、肩にかけていたトートバッグに手を突っ込んで、飴を探すことにしたんです。でも、バッグの中は物が多くてなかなか見つからず……カップルの背中を睨みながら探していた時でした」
なぜか悲鳴を上げ、逃げる男女
バッグを漁る物音が気になったのか、カップルの女性が振り返った。西野さんの姿を見た瞬間、「ひっ」と短い悲鳴を上げて凍りついたという。
「男性の方も振り返ったんですけど、こっちを見た瞬間に顔が真っ青になって。『う、うわっ、ごめんなさい!』って胸の前で手を合わせて謝り出して……。こっちが驚いていると、彼女の手を引っ張って逃げていったんです」
呆気にとられた西野さんだったが、自分の手元を見てカップルが逃げ出した理由を理解した。
「当時、私は木工所で働いていて、その日は仕事で使っている30センチ超もある鉄工ヤスリを持ち帰っていたんです。私物のヤスリで趣味の作業のために持ち帰っていたんですが、ヤスリは無骨な木製の柄で、刃の部分はバッグに隠れていました。その柄を握っている様子は、街灯の下だと、ナタとか出刃包丁を抜こうとしてるように見えたんだと思います」
振り返ると、後列の中年男性も青ざめた顔で後ずさりしていた。
「慌ててヤスリを取り出して、『すみません! これただのヤスリです、仕事道具で』と説明しました。そうしたら男性は、『ああ、良かった……脅かさないでよ』って笑いながら『おかげで横入りしてきたやつを追っ払ってもらえたね』と言って千円札を差し出してきたんです。断ったんですが、男性はどうしても譲らなかったので、ありがたくいただくことにしました」
最悪な一日だったが、「最後はスカッとしました」とのことだ。
<TEXT/和泉太郎>
【和泉太郎】
込み入った話や怖い体験談を収集しているサラリーマンライター。趣味はドキュメンタリー番組を観ることと仏像フィギュア集め
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