「お前がラクして生意気だな」「あいつ若いくせに」厳しい言葉を浴びせられるも佐藤慎太郎が貫いた誇りとファンへの思い

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「お前がラクして生意気だな」「あいつ若いくせに」厳しい言葉を浴びせられるも佐藤慎太郎が貫いた誇りとファンへの思い

8月5日(水) 16:45

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競輪界を代表する大ベテラン、佐藤慎太郎photo by Sunao Noto(a presto)

競輪界を代表する大ベテラン、佐藤慎太郎photo by Sunao Noto(a presto)



佐藤慎太郎 インタビュー前編

【目指すはGⅠタイトル】佐藤慎太郎(福島・78期)は30年前のデビュー戦前日、師匠の添田広福(福島・49期/2008年引退)の自宅に呼ばれた。そこで佐藤は「一通りこの先の心構えの言葉をいただいた」という。正座をしてその言葉を聞き終わると、「では行ってまいります」と深々と頭を下げた。すると師匠は「ちょっと待て」と言い、ギターを持って「じゃあ、デビューするお前に贈る『狼の旅立ち』」と告げて歌い始めた。

添田は競輪選手でありながらも趣味が高じて『三本ローラーの詩』というレコードを発売するほどの才能の持ち主。『狼の旅立ち』(※音源未発表)は持ち歌のひとつで日本競輪学校(現日本競輪選手養成所)時代に作った曲だった。勇ましい曲調の歌はこんな歌詞から始まっている。

「檻を出た狼達は

そこで何を誓うのか

眩し過ぎる光の中で

何を目指して走るのか」

(続く)

佐藤は突然の出来事に戸惑ったが、「素直にうれしかった」と話す。

こうして競輪の世界に旅立った佐藤は現在49歳。最高峰のレース「KEIRINグランプリ」に9度出場して優勝1回、GⅠ優勝1回、GⅡ優勝2回と輝かしい成績を挙げる選手となった。現在でも男子競輪選手約2200人のなかで最上位S級S班(9人)の次に来る、S級1班(約210人)に所属するなど、上位クラスで活躍している。

今年11月に50歳を迎えるが、気力はまったく衰えていない。 「何を目指して走るのか」 と問われれば、今も昔もGⅠタイトルだ。今年これから開催されるGⅠは、8月11日(火・祝)からのオールスター競輪、10月の寬仁親王牌・世界選手権記念トーナメント、11月の競輪祭。そして年末には佐藤の地元・福島のいわき平競輪場で、KEIRINグランプリ2026が開催される。

「地元でグランプリをやるなんて夢にも思っていませんでしたから、なんとしてもそこの舞台に立ちたいなっていう気持ちはもちろん強いです。オールスターを獲ってグランプリに出られたら、それは最高ですね。グランプリはGⅠを獲った選手に対するご褒美だと思うんですよ。だからやっぱり一番何がほしいかと言ったら、GⅠタイトルですね」

オールスター競輪にはファン投票10位で選出。上位陣は20代、30代の猛者たちが占めるなかで、異例とも言える人気ぶりだ。佐藤が「GⅠを獲りたい」と発言しても、それが夢物語だとは思えず、その可能性は十分にあると思わせるほどのオーラもある。

競輪界で異彩を放つ佐藤はどのようにしてここまでの選手になったのか。その道のりは決して平坦なものではなかった。

【逃げ道のない猛練習の日々】佐藤は自転車競技の名門・学校法人石川高校で競技を始めるが、同級生には、当時の高校記録を塗り替えた榊枝輝文(福島・79期)がおり、全国にも小倉竜二(徳島・77期)、岡崎孝士(熊本・77期/2011年引退)、小野俊之(大分・77期/2026年4月引退)ら強豪選手が多く、目立った成績を残せなかった。それでも今以上に倍率が高かった日本競輪学校の試験には何とか二度目で合格し、1996年8月、競輪選手としてデビューを果たした。

佐藤は添田のもとで厳しい練習に取り組んだ。師匠からはことあるごとに「お前のポテンシャルであれば、GⅠなら1~2本は簡単に獲れるよ」と言われ、その言葉を信じてトレーニングに励んだ。日々タイムを計り昨日の自分と比較することで緊張感のある練習を繰り返し、朝5時から夜9時まで毎日追い込んだ。

「GⅠタイトルを獲れるだけの練習量も練習メニューも組んでやっていました。もう逃げ道はなかった。だからこのまま練習をやり続けていれば、本当にGⅠは獲れるかもしれないなという気持ちになってきました」

その練習量と質が成績となって表れ、デビュー翌年にはB級(当時の最下位層)からA級に昇級。4年目の1999年にはS級に上がることができた。

「気合と根性」も佐藤の信条photo by Sunao Noto(a presto)

「気合と根性」も佐藤の信条photo by Sunao Noto(a presto)





【若くして追い込み選手へ転向】競輪にはラインがある。ラインは同県、同地区、練習仲間などが連係してチームを組み、レースを展開するというもの。最後は個人の争いとなるが、ラインを形成することで、上位進出への可能性はグッと高まる。先頭の選手は風圧をまともに受け体力の消耗が激しくなるため、上下関係や体力的な面から若手が先頭を走り、後続を引っ張っていくことが多い。

佐藤も当然のようにデビュー当初からラインの先頭を任され、先行することが多かったが、次第に葛藤が生まれてきた。

「若いころから伏見(俊昭/福島・75期)さん、金古(将人/福島・67期)さん、岡部(芳幸/福島・66期)さんと一緒に練習をやらせてもらっていたんですが、本当に強かったです。3人ともいつGⅠを獲ってもおかしくなかったですし、実際に獲ってもいました。このぐらいの自力選手でGⅠを1回か2回獲る感じなんだろうなと思ったら、俺はもう自力では獲れないなと思いました」

自力とは、先行したり、まくったりと、自ら仕掛けてレースを動かすラインの先頭を走る選手のこと。佐藤も自力選手として走っていたが、そこからラインの後続を走る追い込み選手になる決断がなかなかできずにいた。

「自力選手のように、自分でレースを組み立てると、負けても納得できるし、勝った時はめちゃくちゃうれしいんですけど、追い込み選手として自力選手の後ろで走って負けるのって悔しいんですよ。勝ったとしても、本当に自分の力で勝てたのかなと思ったりして、喜びが半減します。そんな状況に耐えられるかなという葛藤もありました」

そんな複雑な思いもあったが、「GⅠタイトルを獲るなら、追い込み選手に転向したほうがいいかもしれない」、そう思い始めた頃に転機が訪れた。2000年8月のGⅢで、金古の助言で追い込み選手として出走したところ、先行した金古が優勝、佐藤が2着という成績を収めた。ラインとしての勝利に佐藤は大きな手ごたえをつかむと、以降、追い込み選手として少しずつ出走する機会をもらい、存在感を示すようになった。

しかし20代半ばでの追い込み選手転向には、やはり風当たりが強かった。

「先輩に風を切らせておいて、お前がラクして生意気だな」

「いつも抜いてばっかりいるんじゃねえよ」

「あいつ若いくせに」

周りからも、自力で走る先輩からも厳しい言葉が飛んできたが、佐藤はそれも当然と受け止めていた。

「自分の前で風よけになるはずだった後輩が、自分の後ろからズボズボ差してくるんだから、先輩からしたら『なんだよこいつ』という気持ちにもなるでしょう」

それでも佐藤には追い込み選手としてのプライドがあった。

「実際のところ、競輪はそうじゃなくて、追い込み選手になった以上は、追い込み選手の仕事をするのは大前提で、そのなかで自分が勝ちに行くのは当たり前のことです。それがきっちりできていれば、叱られるのはおかしな話なんです。だから周りの雑音を聞かないようにして、ファンのためという気持ちを持っていればいいのかなと思っていました」

佐藤はそこから好成績を挙げ始めると、GⅠやGⅡの決勝にも進出するようになり、2003年11月の全日本選抜競輪でついにGⅠタイトルを獲得した。当時の勢いからしても当然の結果だった。

「身体的な部分にはめちゃくちゃ自信がありました。前の選手がしっかりまくり切ってくれたり、先行してくれたりすれば、確実に2着は獲れましたから」

そして2003年に初めてKEIRINグランプリに出場すると、そこから2006年まで4年連続してその舞台に立つことができた。まさに競輪選手としてピークを迎えていた。

佐藤の回答は常に明瞭で、ユーモアのセンスにもあふれていたphoto by Sunao Noto(a presto)

佐藤の回答は常に明瞭で、ユーモアのセンスにもあふれていたphoto by Sunao Noto(a presto)





【あらためて感じたすばらしさ】栄華を極めていた佐藤だが、2008年5月にそれが暗転する。落車による右足くるぶしの剥離骨折。選手生命を脅かすほどの大ケガで、入院生活は2か月以上に及んだ。その期間に佐藤は身に染みて感じたことがあった。

「競輪選手という仕事のすばらしさを再確認しました。下手したら走れなくなっちゃうようなケガだったので、一走一走大切にしなくちゃいけないと思いましたし、レースに向かっていくまでの過程も大切にしなくちゃいけないという気持ちになりました」

復帰した佐藤は、新たな気持ちで練習に取り組むと、少しずつ成績が上向いていった。2010年9月のGⅠオールスター競輪で決勝2着になると、翌年には4年ぶりにS級S班に返り咲くことができた。

しかし順風の時期は長く続かなかった。東日本大震災の影響で練習環境が激変。さらに大ギアがブームとなり、スピード化が加速したことも影響を与えた。レースの戦法がシンプルになる傾向があり、技術面で長けていた佐藤が苦しい状況に置かれることも多くなった。「もうGⅠ優勝争いはできないかもしれない」と思うこともあった。事実、2008年の大ケガ以降、年間を通して好成績を維持できず、KEIRINグランプリにも長らく出場できなかった。

添田の歌う『狼の旅立ち』にはこんな歌詞も登場する。

「明日の栄光、つかめるほどに、優しくはない」

再び栄光をつかめる日は来るのだろうか――。先の見えないなかでも佐藤は前に進むことだけを考え、日々限界まで自分を追い込み続けた。

(インタビュー後編に続く)



【Profile】

佐藤慎太郎(さとう・しんたろう)

1976年11月7日生まれ、福島県出身。自転車競技の名門・学校法人石川高校で競技を始め、チームパシュート3位の実績を残す。卒業後に日本競輪学校(現日本競輪選手養成所)に入学し、1996年8月にデビュー。1999年にS級に昇級し、2003年には全日本選抜競輪でGⅠ初優勝を果たす。2003年から4年連続でKEIRINグランプリに出場するも2008年に大ケガを負い、以降、不本意な時期を送る。2019年、13年ぶりにKEIRINグランプリに出場すると、初の栄冠を手にする。そこから5年連続でKEIRINグランプリの舞台に立ち、ファンから絶大な支持を得る。2025年からはS級1班として奮闘中。生涯獲得賞金は17億円を超える。

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