あのころの私は、離婚という出来事を受け止めるだけで精いっぱいでした。けれど年月がたった今、子どもたちとの会話を思い返すたびに、当時は見えていなかった気持ちに気付かされます。
離婚をした日
上の子が中学2年生、下の子が小学5年生になる春に、私は離婚しました。まだ今のようにインターネットが普及しておらず、「シングルマザー」という言葉も今ほど一般的ではない時代でした。
けれど、言葉が今ほど身近ではなかっただけで、周囲には離婚を経験した女性が意外といました。何より、母子3人での暮らしは心地よく、私は「そこまで隠すことでもないのかもしれない」と感じていたのを覚えています。
子どもたちが教えてくれた気持ち
そんな生活に慣れてしばらくたったころ、子どもたちは離婚について笑いながら話してくれるようになりました。
「もっと早く離婚してもよかったのに」と言うこともあれば、「でも、離婚って自慢できることではないよね」と率直な言葉が返ってくることもありました。子どもたちなりに、きちんと受け止めていたのだと思います。
離婚の際、親権やお金のことで、もめることはありませんでしたが、精神的にはやはり大きな痛手でした。当時はまだ幼いと思っていたわが子たちも、実はいろいろなことを考えていたのだと知り、私は改めて親としての責任を感じました。
親の背中を見て育った子どもたち
今、子どもたちはそれぞれ結婚しています。結婚前から結婚生活に過度な期待を抱きすぎることなく、他人と毎日一緒に暮らすことの難しさを理解していたように思います。意見や方向性の違いがあっても、程よい距離感や気づかいを大切にし、時には折り合いをつけながら暮らしているようです。
まとめ
離婚は決してラクな経験ではありませんでした。それでも、その日々を子どもたちがそれぞれの形で受け止めてくれていたことに、今は救われる思いがあります。私が悩みながら歩んできた時間も、無駄ではなかったのだと感じています。あの経験が、子どもたちに人と暮らすことの難しさや思いやりの大切さを伝えていたのなら、私にとっても、たしかな気付きと学びのある時間だったのだと思います。
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※AI生成画像を使用しています
著者:九官鳥きゅうこ/60代女性・主婦
※ベビーカレンダーが独自に実施したアンケートで集めた読者様の体験談をもとに記事化しています(回答時期:2026年6月)
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