おむすび屋で日本酒を飲んでいたら、隣のおばあさんから銃弾のような視線を向けられた/カツセマサヒコ

挿絵/小指

おむすび屋で日本酒を飲んでいたら、隣のおばあさんから銃弾のような視線を向けられた/カツセマサヒコ

7月27日(月) 15:46

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ただ東京で生まれたというだけで何かを期待されるか、どこかを軽蔑されてきた気がする――。そんな小説家カツセマサヒコが“アウェイな東京”に馴染むべくさまざまな店を訪ねては狼狽える冒険エッセイ。今回の舞台は、鷺ノ宮のおむすび屋「むすびや くまさん」。出来たてのおむすびと日本酒ハイボールに酔いしれる平日の昼下がり、著者はふと、望んだ覚えもないのに“誰かの願いを奪う側”になっていることに気づく。願いは今日も「すこしドラマになってくれ」

誰かの願いが叶うころ【鷺ノ宮駅・むすびや くまさん(おむすび屋)】vol.48

宇多田ヒカルの歌詞に「誰かの願いが叶うころあの子が泣いてるよみんなの願いは同時には叶わない」という一節がある。シビアな現実を真っすぐに見つめた詩である。

恋もスポーツも受験勉強も競合コンペも、大体はこの摂理の中にある。勝者の陰には、必ず敗者の涙がある。さらに言えば、誰かと競ったつもりはなくても、勝手に勝者になってしまうこともある。

私はその日、西武新宿線の鷺ノ宮駅にいた。中野区で最も西側に位置する鷺ノ宮は、改札を抜けるとすぐに住宅街が広がるのどかな街である。

そんな鷺ノ宮に美味しいおむすび屋があると聞いて、私はこの街を訪れた。改札を出て30秒もしないところに、目当ての店である「むすびや くまさん」があった。

店にはテイクアウト用の窓口もあるが、店内でも出来たてのおむすびを食べることができる。中に入ると、8人掛け程度のカウンター席がある。本来はその奥に、電車を目の前に見ながら食事を楽しめるテーブル席もあるらしいが、私が行ったときはテイクアウト用の資材の保管庫として使われていたため、一時的に入れなくなっていた。

店内は空いていた。私は堂々とカウンター席の真ん中に座り、さっそくメニューを手に取る。おむすび単品の種類ももちろん多いが、おかずや味噌汁が付いてくるセットメニューもあるし、夜限定の飲み放題コースまであった。おむすび屋と聞いてイメージしていたメニューよりも、品数ははるかに充実していた。

迷いに迷った末、今回はチャーマヨとあさりしぐれ煮のおむすびを選択し、さらに漬物と味噌汁が付くBセットに決めた。注文しようと顔を上げれば、どう見ても店名の由来になっている熊っぽい顔立ちをした店主と目が合った。

程なくして運ばれてきたおむすびは、えらく美味しかった。米自体の美味さを引き立たせるためにそれ以外の全てが存在している気すらした。

調子に乗った私は、日本酒ハイボールも注文した。

ずず、と味噌汁を吸い、炭酸の効いた日本酒を飲むと、アルコールがやさしく染み入った。平日の昼下がり、なんて贅沢な時間だと感動した。

酔いのまま、ひとり呆けていると、少し腰の曲がったおばあさんが入ってきた。

このおばあさんが、よく食べて、よく喋る人だった。

私よりもずっと多くのおむすびを注文し、それらを食べながら、店主にもどんどん話しかけた。すっかり透明化した私は、黙って日本酒ハイボールを飲みながら、お二人の会話や、おばあさんの大きな独り言を聞いていた。

おばあさんもテンションが上がってきたのか、不意に「日本酒ちょうだい」と店主に言った。酒まで飲むのか!と驚いていると、店主が少し冷たく答えた。

「あー、日本酒、今日はもう終わっちゃったんですよ」

今日はもう……?

瞬刻、沈黙が生まれた後、横から、銃弾のような強烈な視線が自分のグラスに向けられているのを感じた。

「日本酒、ないの? なんで? あるでしょ?」

あまりに、あまりに大きな独り言だった。いや、店主に向けた言葉かもしれないが、だとしたら、おばあさんの体は、あまりに私に向きすぎていた。

私はそれとなく、グラスをおばあさんの死角に移した。それでもおばあさんは「日本酒、飲みたかったなあ」とため息まじりに何度も言うのであった。

望んだ覚えもないのに、気づけば勝者として、おばあさんの楽しみを奪う存在になっている。頭の中で、宇多田ヒカルが文頭の歌詞を歌いだしたのはそのときだった。(JASRAC 出 2604625-601)

<文/カツセマサヒコ挿絵/小指>

※週刊SPA!2026年7月7日・14日合併号より

【カツセマサヒコ】
1986年、東京都生まれ。小説家。『明け方の若者たち』(幻冬舎)でデビュー。そのほか著書に『夜行秘密』(双葉社)、『ブルーマリッジ』(新潮社)、『わたしたちは、海』(光文社)などがある。好きなチェーン店は「味の民芸」「てんや」「珈琲館」

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