【プロ野球】篠塚和典は河埜和正の「つなぎ」で楽に打席に入れた普段は大のビール好きで、オールスター前にアクシデントも?

photo by web Sportiva

【プロ野球】篠塚和典は河埜和正の「つなぎ」で楽に打席に入れた普段は大のビール好きで、オールスター前にアクシデントも?

7月20日(月) 6:45

提供:
篠塚和典が語る「1980年代の巨人ベストナイン」(8)

河埜和正中編

(前編:長嶋茂雄や江川卓も絶賛した河埜和正の強肩>>)

篠塚和典が「1980年代の巨人ベストナイン」で2番・ショートに選んだ河埜和正氏。そのエピソードを振り返る中編では、河埜氏のバッティングの印象、食事の場での豪快な飲み方、オールスターでのまさかのエピソードを語ってもらった。

2番で巨人のつなぎ役を担っていた河埜 photo by Kyodo News

2番で巨人のつなぎ役を担っていた河埜 photo by Kyodo News





【パワーもあるつなぎの2番打者】――1980年代の巨人では、1番・松本匡史さん、2番・河埜さん、3番・篠塚さんという打順になることが多かったと思います。河埜さんはどんな2番打者でしたか?



篠塚和典(以下:篠塚)つなぐイメージが強かったですね。松本さんが出塁すると、高い確率で走るので無死二塁になり、河埜さんがバントで送って一死三塁。バントだけじゃなく、右への進塁打もうまい選手でした。自分はそのあとを打つことが多かったですが、一死三塁で1打席目を迎えることが多かったですね。



松本さんは足が速いので、ボールを前に転がせばだいたい本塁に還ってくることができますし、けっこう浅い外野へのフライでも1点が入る。松本さんと河埜さんのおかげで、すごく楽なシチュエーションで打席に入ることが多かったです。



――河埜さんは逆方向(右打者の河埜氏から見てライト方向)に打つのがうまかったですね。流し打ちといえば篠塚さんの代名詞でもありますが、河埜さんのバッティングはどう見ていましたか?



篠塚引きつけて右に打つこともあれば、引っ張る時もありましたね。相手のピッチャーや守備体形、自分のバッティングの状態など、状況に応じて臨機応変に対応していた印象です。身体能力が高かったこともあって、長打を打つパワーもありました。小技ができて、パワーも秘めている。首脳陣としては作戦を立てやすいタイプのバッターだったと思います。

――今のプロ野球では、2番打者に対して「OPS(出塁率+長打力)」を重視するチームもあるなどさまざまなタイプの選手が起用されていますが、当時はバントなどでつなぐ役割を担う選手が多かったですね。



篠塚そうですね。V9時代の柴田勲さん、土井正三さんの時代もそうですが、1番打者が出塁したら、2番打者がバントで得点圏へ送るのがセオリーという傾向がありました。

自分も初めて2番をまかされた時はバントをするケースが多かったです。ただ、一度3番をまかされてから2番に戻った時には、あまりバント一辺倒という感じではなくなって、積極的に打っていく形も多かったような気がします。3番で結果を出したことで、首脳陣が判断したんでしょう。

【グラスがすぐ空く"ビール大好き人間"】――河埜さんと篠塚さんは二遊間を組まれていましたが、グラウンド外でも交流が多かったんですか?



篠塚特に自分が一軍での生活に慣れていなかった頃は、だいぶお世話になりました。遠征の移動日や、休日にも食事に誘っていただいたり、けっこう声をかけていただきました。河埜さんは"ビール大好き人間"でしたね。水のように飲んでいましたよ。



――篠塚さんもけっこう飲んだんですか?



篠塚ある程度は飲みましたけど、自分が小さいコップで1杯飲む間に、河埜さんは大ジョッキで2杯くらいは飲んでしまうんですよ。グーッという感じで、ひと口で半分くらいまで飲んで、ふた口で大ジョッキが空になってしまうんです(笑)。とにかく勢いがすごかったですね。河埜さんのビール好きは有名で、おそらくほかの選手たちも、河埜さんに対して同じような印象を持っているはずです。



――お酒の席では、野球のお話もしましたか?



篠塚そういった席では、あまり野球のことは話しませんでした。試合に負けたあとなどは、たまに「あのプレーはこうだった」などと振り返ったこともありましたけどね。

――河埜さんに関するエピソードで、特に印象に残っているものはありますか?



篠塚普段から温厚で大人しく、自ら目立つことをする人ではなかったですし、ハチャメチャなエピソードは記憶にないですね。強いて言えば、骨折しているのにオールスターゲームに出たことでしょうか。



――いつのオールスターですか?



篠塚広島市民球場でオールスターゲームが開催された時です(1983年)。ファン投票で、私や中畑(清)さん、松本さん、原(辰徳)のほか、広島の山本浩二さん、中日の田尾安志さんなどが選ばれたんですが、河埜さんは遊撃手部門の1位でした。

その試合の前の日だったと思うのですが、河埜さんが飲みに行って、車に足を踏まれて骨折したそうなんです。自分はその場に居合わせていなかったので詳しいことはわからないんですけど、試合に出ていたのは確かです(笑)。ファン投票で1位に選ばれたからには、ファンの期待に応えないといけないじゃないですか。おそらく代打での1打席だけで、すぐに代わったような記憶があります。



――のちのち、そのことについて河埜さんと話す機会はありましたか?



篠塚いえ、特に話はしていないですね。車に踏まれたっていうのが本当かどうかもわかりません。酔っていてどこかに足をぶつけた可能性も否めませんし、つまずいて転んだのかもしれませんし......いずれにせよ、真相は闇の中です(笑)。

――河埜さんの大人しいイメージからすると、意外なエピソードですね。

篠塚今だからこそ、懐かしいエピソードとして話すことができますけどね。普段はそういったことはなく、前にも(前編)話しましたが、プレーも素晴らしかった。特に肩に関しては、V9時代の広岡達朗さん、黒江透修さん、のちの岡崎郁、勝呂壽統、鴻野淳基、川相昌弘、二岡智宏、坂本勇人、泉口友汰など、そうそうたる選手のなかでもナンバーワンだと思いますよ。

(後編>>)



【プロフィール】

■篠塚和典(しのづか・かずのり)

1957年7月16日生まれ、東京都出身、千葉県銚子市育ち。1975年のドラフト1位で巨人に入団し、3番などさまざまな打順で活躍。1984年、87年に首位打者を獲得するなど、主力選手としてチームの6度のリーグ優勝、3度の日本一に貢献した。1994年を最後に現役を引退して以降は、巨人で1995年~2003年、2006年~2010年と1軍打撃コーチ、1軍守備・走塁コーチ、総合コーチを歴任。2009年WBCでは打撃コーチとして、日本代表の2連覇に貢献した。

【関連記事】
■前編を読む:篠塚和典が振り返る「1980年代の巨人ベストナイン」で選んだショート・河埜和正長嶋茂雄や江川卓も絶賛した強肩
■連載7を読む:篠塚和典も「あのケガがなければ......」と惜しむ吉村禎章高卒2年目にして光っていたバッティングセンス
篠塚和典が分析する「青い稲妻」松本匡史のすごさホーナーの本塁打を「アシスト」した逸話も
篠塚和典だけが知っている「元気ハツラツ」中畑清の素顔「ミスターをかなり意識していた」
「1980年代の巨人ベストナイン」を篠塚和典が選出自分も入った打線は強力、エースは「どの年代を含めても最高の投手」
Sportiva

新着ニュース

合わせて読みたい記事

編集部のおすすめ記事

エンタメ アクセスランキング

急上昇ランキング

注目トピックス

Ameba News

注目の芸能人ブログ