チャン・リュル監督「春樹」「ルオムの黄昏」の共通点「映画の仕事として、一番大切なのは“記憶を残すこと”」【アジア映画コラム】

チャン・リュル監督

チャン・リュル監督「春樹」「ルオムの黄昏」の共通点「映画の仕事として、一番大切なのは“記憶を残すこと”」【アジア映画コラム】

7月19日(日) 10:00

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中国、韓国、日本を横断しながら、「慶州(キョンジュ)ヒョンとユニ」「福岡」「柳川」など、国境や言語、故郷を静かなまなざしで描き続けてきたチャン・リュル監督。最新作となる「春樹」と「ルオムの黄昏」は、一見するとまったく異なる二つの作品です。

「春樹」は、取り壊しが決まった映画撮影所を舞台に、人と人との出会いを描いた物語。一方、「ルオムの黄昏」は、四川省にある3000年以上の歴史を持つ古都を舞台にした作品です。

しかし今回、来日したチャン・リュル監督に話を伺っていると、2本の作品は偶然続けて生まれたわけではなく、ひとつの共通した視点で結ばれていることが見えてきました。それは、「失われようとしている場所」と、その場所に刻まれた記憶です。

●「春樹」は、一つの映画撮影所との別れから始まった

「春樹」が生まれたきっかけは、とても偶然だったそうです。2023年・第73回ベルリン国際映画祭コンペティション部門に出品された「白塔の光」で峨眉電影撮影所と縁が生まれたチャン・リュル監督は、成都で生活していた約2年間、時間を見つけては撮影所を訪れていました。

「映画を撮るためではありません。ただ、あの場所を歩くのが好きだったんです。」

古い撮影スタジオや住宅棟が残る敷地には、中国映画の歴史だけでなく、数え切れない映画人たちの青春や日常が積み重なっています。ところがある日、その旧施設が近く取り壊されることを知ります。

「全部なくなると聞いた時は、本当に驚きました」

監督の頭に浮かんだのは、新しい企画ではありませんでした。

「あの場所がなくなったら、そこに残っている記憶はどうなるんだろう、と考えたんです」

映画業界で20年以上を歩んできたチャン・リュル監督にとって、撮影所は単なる建物ではありません。映画人たちが働き、暮らし、夢を追い続けた場所であり、その時間そのものに強く惹かれていました。

「空間がなくなると、そこにあった記憶も居場所を失ってしまいます」

その一言に、「春樹」という作品の出発点が凝縮されているように感じました。そこで監督は撮影所側に、ひとつのお願いをします。

「1カ月だけ時間をください。一本映画を撮ります。そのあとで壊してください」

脚本もなく、出演者も決まっていなかった――それでも、「今しか撮れない映画がある」という思いだけで、「春樹」は動き始めました。

●その土地には、その土地の言葉がある

最初に出演を依頼したのはドンドン役のワン・チュアンジュンでした。以前からチャン・リュル監督は、その土地を描くなら、その土地の言葉を自然に話せる俳優を起用したいと考えてきました。

「私は、その土地の人ではない俳優が、その土地の言葉を無理に真似することが好きではありません」

理由はとても明快です。

「観客はすぐに違和感を覚えます。映画はまず、観客との信頼関係から始まるものだと思っています」

その姿勢は、「春樹」でも変わりませんでした。春樹役のバイ・バイホーについても、一時は成都の方言を学んでもらう案があったそうですが、監督は採用しませんでした。

「どれだけ練習しても、成都の人は違和感を覚えると思いました。それなら、その違いを人物の背景として受け入れたほうが自然なんです」

完成した「春樹」では、「母語」や「帰属」が重要なテーマとして浮かび上がります。しかし、興味深かったのは、それが最初から設定されていたテーマではなかったことでした。

「私はテーマから映画を考えることはありません」

チャン・リュル監督はそう語ります。

「まず空間があります。その場所を歩き、人を見ているうちに、『この人はどんな人生を送ってきたのだろう』『この場所で何を感じているのだろう』と考え始めます。人物が見えてくると、あとから映画のテーマも見えてくるんです」

この言葉を聞いて、「春樹」という作品の印象が少し変わりました。取り壊される映画撮影所を記録した映画ではありません。失われようとしている場所で生きた人々の時間や感情を、物語として残そうとした作品なのです。

●脚本よりも、その場所に流れる時間を信じる

「春樹」の製作で印象的だったのは、その自由な創作スタイルでした。

「翌日に撮る場面を前日の夜に書いていました。間に合わなければ現場で続きを書きます。人は寝ないわけにはいきませんからね(笑)」

完成した脚本を忠実に再現するのではなく、その日、その場所、その俳優と向き合いながら映画をつくっていく。チャン・リュル監督にとって、映画とは最初から完成されたものではなく、場所との対話の中で少しずつ形になっていくものなのかもしれません。そして、その創作姿勢は「春樹」だけでは終わりませんでした。撮影を終えたチャン・リュル監督は、休暇で峨眉山へ向かう途中、一つの古都に立ち寄ります。その町の名前は「ルオム」。そこで監督は再び、「失われようとしている場所」と出会うことになります。

「最初は映画を撮るつもりなんてありませんでした」

監督はそう振り返ります。

ルオムは3000年以上の歴史を持つ町ですが、訪れた当時は再開発を控え、大きな転換期を迎えていました。町を歩き、地元の人々と話をする中で、一つの思いが頭から離れなくなったといいます。

「かつて栄えていた場所にあった人たちの感情は、本当に消えてしまうのでしょうか」

その問いが、「ルオムの黄昏」という映画の出発点になりました。「春樹」が映画人たちの記憶を宿した撮影所を舞台にしているとすれば、「ルオムの黄昏」は長い歴史を刻んできた町を見つめた作品です。舞台も物語も異なりますが、どちらも「失われようとしている場所」と向き合っている点で、深く結び付いています。

●私は人物から映画を考えません

「ルオムの黄昏」について話が及ぶと、チャン・リュル監督は創作方法についても率直に語ってくれました。

「私は人物から映画を考えたことはありません」

今回の取材で、監督が最も繰り返した言葉かもしれません。だから、「ルオムの黄昏」の主人公は町で生まれ育った人物ではなく、外からやって来る存在になりました。

「私はルオムで暮らしてきた人間ではありません。だから、知ったような顔をして、その町を描くことはできません。」

その言葉からは、映画づくりに対する誠実な姿勢が伝わってきます。知らないことを無理に説明しません。理解できるところから物語を紡いでいきます。そのスタンスは、日本で撮影した「福岡」や「柳川」でも変わらなかったそうです。

「自分が理解できる範囲を、誠実に撮る。それだけです」

だからこそ、チャン・リュル監督の映画では、土地そのものが一人の登場人物のような存在感を放っています。町を歩くことが、人を知ることにつながります。場所を見つめることが、その土地で生きる人々を描くことにつながります。「春樹」も「ルオムの黄昏」も、まさにそんな映画なのです。

●「春樹」に流れる「Mother Tongue」というテーマ

「春樹」の英題は『Mother Tongue』です。今回の取材では、「母語」についても印象的なお話を聞くことができました。チャン・リュル監督にとって、方言は単なる言葉ではありません。

「私は上海語を話せません。でも、上海人が上海語を話している時と普通話(標準語)を話している時では、表情がまったく違うんです」

映画は、人の表情を映す芸術でもあります。だから、その土地の言葉には、その土地で生きてきた人だけが持つ感情や身体のリズムが刻まれています。

「一つの言語がなくなるということは、一つの表情がなくなるということでもあります」

言葉を再現することではなく、その土地に生きる人の空気や距離感を大切にしたかったのでしょう。監督はさらに、こんな言葉も残しています。

「大きな国には共通語が必要です。でも、共通語が方言を押しつぶしてはいけないと思います」

「春樹」が描いているのは、まさにそうした「小さな記憶」の大切さなのかもしれません。

●映画が残せるもの

取材の最後、日本での映画づくりについて伺いました。チャン・リュル監督は笑顔でこう答えます。

「もちろん、また機会があれば日本で撮りたいと思っています」

「福岡」「柳川」をはじめ、日本を舞台にした作品も数多く手がけてきた監督ですが、その創作の出発点は、これからも変わることはないのでしょう。

「結局、私は場所との出会いから映画が始まるんです」

その言葉を聞いて、「春樹」と「ルオムの黄昏」という2本の作品が、ようやく1本の線で結ばれたように感じました。取り壊される映画撮影所。再開発を控えた古都。一見すると異なる風景ですが、チャン・リュル監督が見つめていたのは、建物でも景色でもありません。そこに生きた人々の時間であり、積み重ねられた記憶でした。

「映画の仕事として、一番大切なのは、記憶を残すことだと思います」

その一言は、「春樹」と「ルオムの黄昏」を最も端的に表しているように思います。時代が変われば、町も風景も変わっていきます。その流れを止めることはできません。それでも、その場所で生きた人々の感情や記憶は、映画という形で未来へ手渡すことができます。

(取材・文/徐昊辰)

【作品情報】
春樹

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