篠塚和典が語る「1980年代の巨人ベストナイン」(8)
河埜和正前編
(連載7:「あのケガがなければ......」と惜しむ吉村禎章高卒2年目にして光っていたバッティングセンス>>)
長らく巨人の主力として活躍し、引退後は巨人の打撃コーチや内野守備・走塁コーチ、総合コーチを歴任した篠塚和典氏が、各年代の巨人ベストナインを選定し、各選手のエピソードを語る。
以前に選んだ「1980年代の巨人ベストナイン」のなかで7人目に語るのは、巨人の名ショートとして長らく活躍した河埜和正氏。最初の印象や二遊間を組み始めた頃のエピソード、優れた身体能力を生かした守備などについて聞いた。
巨人の名ショートとして長らく活躍した河埜和正氏photo by Sankei Visual
【性格もプレーも落ち着いていた】――河埜さんの最初の印象はいかがでしたか?
篠塚和典(以下:篠塚)V9の最後を経験されていて、テレビで見ていた方でしたし、最初にお会いした時は「あっ、河埜さんだ」って思いましたよ(笑)。自分は入団して何年かは二軍にいたので、一軍で活躍されていた河埜さんと二遊間を組むイメージはなかったです。
ただ、伊東キャンプなども含めて一緒に過ごす時間が増えたり、自分がセカンドを守るようになってからは、徐々に話すようになりました。「大人の対応をされる方だな」という印象でしたね。
――あまり口数は多くなかった?
篠塚そうですね。普段から目立つことはしませんでしたし、プレーも落ち着いていました。当時は、リードオフマンの松本匡史さんも物静かな感じでしたし、自分も含めて大人しい選手が多かったです。練習でも試合でも、みんな黙々とプレーに集中する"職人肌"な感じでした。例外的に、目立っていたのは中畑清さんくらいじゃないですか(笑)。
――河埜さんのご家族はスポーツ一家だったと聞きますし、河埜さん自身は中学時代にバレーボールをやっていた時期もあったようですね。身体能力の高さを感じることはありましたか?
篠塚体が意外と大きいですし、スマートでありながらガッチリしていて、「体が強い」という印象でした。河埜さんはとにかく肩が強かったのですが、バレーボールで肩まわりが鍛えられたこともあったと思います。足も速かったですし、身体能力はすごかったですね。ただ、自分もそのあたりでは負けないようにと思っていましたよ。
【ともに二遊間を守っていた時のやりとり】――河埜さんといえば守備の名手ですが、同じく名手である篠塚さんから見ていかがでしたか?
篠塚先ほども触れましたが、まずは肩の強さですよね。ショートは三遊間の深いところから送球しなければいけない場面がありますから、強肩は強みですし、河埜さんに最も適しているポジションだと思っていました。守備範囲も広かったですね。
――河埜さんの肩の強さを象徴する、多摩川グラウンドでのエピソードも有名ですね。
篠塚守備範囲を広げるために、ショート後方の芝を刈ったことですね。2mくらい刈って、河埜さんは後ろに下がって守っていました。よっぽど肩に自信がなければ、あんな位置で守れませんよ。普通の打球が内野安打になってしまうような位置ですが、力強い送球でアウトにしていました。
――二遊間を組むにあたって、何かアドバイスされたことはありましたか?
篠塚最初の頃は、「もう少しこっちを守って」「この場合はもう少しあっち」とか、守る位置についていろいろアドバイスをいただきました。試合を重ねるうちに、阿吽の呼吸というか、お互いの目と目が合えばどちらがベースカバーに入るのかわかるようになりましたね。
――守備に関して、河埜さんから教わることは多かったですか?
篠塚「河埜さんに言われたことを受け止めて勉強していこう」という気持ちで日々の練習から取り組んでいました。事あるごとに声をかけてくれましたし、プライベートでも食事に連れていってくれましたね。そういった時間のなかで少し話をする機会もあったりして、ありがたかったですよ。
――大人しい方とのことですが、そういう一面もあったのですね。
篠塚やっぱり、野手のなかでは年齢が上のほうで、リーダー的な存在でしたからね。中畑さんなども、リーダーは河埜さんだと思っていたんじゃないですか。V9も経験していましたし、そういう意味では、伊東キャンプをご一緒した淡口憲治さんもいましたけどね。
【「肩は河埜さんが一番強かった」】――若い選手たちは河埜さんを慕っていましたか?
篠塚そういう感じはありましたね。内野手同士で一緒に食事をするなど、コミュニケーションを取る機会もありましたし。河埜さんが引退するまで、みんなは"キャプテン"という感覚で接していたと思いますよ。前に出て目立つ人ではなかったですし、当の本人は「俺はそういう人間じゃないよ」と言ったりしていましたけどね。
――河埜さんは、長嶋茂雄さんとも三遊間を組まれていた時期がありましたね。
篠塚それほど長い期間は組んでいなかったような気がしますし、あまりその印象がないんです。映像でも、長嶋さんと河埜さんが三遊間を守っているシーンはあまり見ませんね。長嶋さんの引退試合では、黒江透修さんがショートを守っていましたし。ただ、長嶋さんをはじめ、江川卓さんも、阪神の主砲だった掛布雅之さんなども、肩の強さを絶賛していました。
――当時の球界のなかでも、肩の強さでは抜けた存在だったでしょうか?
篠塚当時は、阪神だと藤田平さんや真弓明信さん、広島は木下富雄さんや高橋慶彦さん、中日は宇野勝らがショートを守っていましたが、肩は河埜さんが一番強かったんじゃないですか。自分がプロ入りする以前にプレーされていた方々に関してはわからないのですが、自分が現役時代、コーチ時代を通じて見てきた歴代の中でも肩は一番強いと思います。
ファンの方たちからすれば、三遊間の深い位置からの河埜さんの矢のようなスローイングとかは、やっぱり見どころだったんじゃないですか。守備で魅せることができる選手だったと思います。
(中編>>)
【プロフィール】
■篠塚和典(しのづか・かずのり)
1957年7月16日生まれ、東京都出身、千葉県銚子市育ち。1975年のドラフト1位で巨人に入団し、3番などさまざまな打順で活躍。1984年、87年に首位打者を獲得するなど、主力選手としてチームの6度のリーグ優勝、3度の日本一に貢献した。1994年を最後に現役を引退して以降は、巨人で1995年~2003年、2006年~2010年と1軍打撃コーチ、1軍守備・走塁コーチ、総合コーチを歴任。2009年WBCでは打撃コーチとして、日本代表の2連覇に貢献した。
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