小笠原道大、“フルスイング”の原点を語る高校時代は本塁打0本、巨人移籍時のヒゲ秘話も<プロ野球 レジェン堂>

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小笠原道大、“フルスイング”の原点を語る高校時代は本塁打0本、巨人移籍時のヒゲ秘話も<プロ野球 レジェン堂>

7月7日(火) 12:00

「プロ野球 レジェン堂」より
【写真】バットを手にフォームを披露する小笠原道大、いまだに大迫力

6月30日に放送された「プロ野球 レジェン堂」(毎週火曜夜10:00-10:55、BSフジ)。今回のゲストは、これまで2人しかいない“セ・パ両リーグでのMVP”を獲得したレジェンド・小笠原道大だ。MCの徳光和夫、遠藤玲子とともに野球を始めた幼少期の意外なエピソードや、北海道日本ハムファイターズ時代に開花した打撃論、読売ジャイアンツへのFA移籍時に注目を集めたヒゲの裏話などを語った。

■「少しは胸を張れますね」小笠原道大が照れ笑いした偉大な記録

番組冒頭、小笠原と初対面の遠藤は「胸板の厚さにびっくりしたのと、185cmくらいあるイメージがあった」と率直な印象を語った。小笠原の身長は179cm。プロ野球選手の中では決して大柄な体格ではないが、現役時代の堂々たる構えやフルスイングの印象もあってか大柄のイメージを持たれることが多いという。

そんな小笠原は、通算2120安打を誇る日本球界屈指の強打者。さらに「打率3割・本塁打30本」を9回達成しており、この記録は王貞治に次ぐ歴代2位にあたる。山本浩二、落合博満、長嶋茂雄らそうそうたる打者が並ぶ中での記録だが、小笠原自身は「最近、耳にするようになって」と意外にも実感は薄かった様子。それでも偉大な数字をあらためて伝えられると、「すごいですね。少しは胸を張れますね」と照れ笑いを浮かべる。

番組では、強打者としてのイメージとは正反対ともいえる少年時代が明かされた。千葉県千葉市出身の小笠原が野球を始めたのは小学2年生の頃。ただし自分の意思で始めたわけではなく、父親に無理矢理やらされていたという。見学のつもりでリトルリーグを見に行ったところその場でテストを受ける流れになり、夕方にはバリカンで頭を丸められたそう。初めての丸刈りにショックを受けた小笠原は、自宅に帰ってから布団の中で泣いていたと打ち明けた。

実は小笠原の父親、高校時代に有力選手として名を轟かせていた人物。長嶋茂雄と同い年で、千葉県内では長嶋と並ぶほどの逸材だったという。そんな父の存在もあって半ば強制的に始まった野球人生だったが、のちに小笠原は日本球界を代表する打者へと成長していく。

■高校時代は本塁打0本だった天才打者

幼少期から体が大きかったわけではなく、むしろ野球を始める前は非力なタイプだったという小笠原。そのため、当時は篠塚和典の流し打ちに憧れを抱いていた。高校は千葉県の暁星国際高校へ進学したが、中学時代はそれほど注目されていた選手ではなかったらしい。のちに後輩の有力選手が入学することを条件に、いわば小笠原がパイプ役として進学したというから驚きだ。

高校入学後、2年生の頃には監督の指示でキャッチャーへ転向。野手の中でも特に負担の大きいポジションであるため、当時の小笠原は「嫌で嫌でしょうがなかった」と率直に振り返る。打撃についてはバットに当てることこそ得意だったものの飛距離は伸びず、高校時代の本塁打は0本。のちに「打率3割・本塁打30本」を9回達成する打者とは思えない意外な事実に、徳光と遠藤も驚きを隠せない様子だった。

高校卒業後は家庭の事情もあり、大学には進学せず社会人野球の道へ。NTT関東へ就職した小笠原は、高校野球と社会人野球のレベルの違いに衝撃を受けたという。そこで出会った選手たちを「いい意味で“バケモノ”」と表現するほど、自分との差を痛感したと明かした。それでも必死に練習を重ね、ボールに食らいつく中で少しずつ飛距離も出るように。

当時の社会人野球といえば小笠原と近い世代に仁志敏久や入来祐作、谷佳知、松中信彦など、のちにプロで活躍するそうそうたる顔ぶれが揃っていた時代。そんな環境で5年を過ごした小笠原のもとに、3球団が獲得の打診に訪れる。そして1996年のドラフトで日本ハムから3位指名を受け、プロ野球選手としてのキャリアをスタートした。

入団当初はホッとしたという小笠原だったが、キャンプ初日で打球が芝生の切れ目を超えずに「ヤバいと思いました」と危機感を覚えたという。しかし当時のコーチから「バットを振り切れ」という助言を徹底的に叩き込まれたことで変化が生まれた。開幕前の紅白戦ではホームランを打てるようになり、入団3年目には打率.285、25本塁打という好成績を収める。

「何が開花させたんですかね?」と徳光が問うと、小笠原は「1年目に教えられた“振り切れ”だと思います」と即答。小笠原道大という打者を形作った原点が、そこにはあった。

■ヒゲを剃った朝、長嶋茂雄との思い出

プロ入り後に飛躍を遂げた小笠原は、4年目に“3割・30本・100打点”に加えて最多安打も達成。そこから5年連続3割を記録し、首位打者にも輝いた。当時の感覚について、小笠原は「ボールは止まってないんですけど、“止まってる”ように見えるんですよ」と表現。飛んでくるボールの縫い目がわかるような感覚があったと語り、スタジオでは実際にバットを構えてスイングを披露する場面も。目の前で繰り出される迫力のスイングに、徳光と遠藤は興奮した様子を見せた。

また日本ハム時代の小笠原といえば、トレードマークだったヒゲも欠かせない。巨人へのFA移籍が決まった当時、遠藤は「ヒゲどうするんだろう?」と感じていたという。これに対して小笠原は「(球団からは)実際には言われてないんですよ」と明かしつつ、「騒がれるなら先に剃ってしまえ」という気持ちで入団会見当日の朝にヒゲを剃って登場したことを振り返る。

さらに印象的だったのが、移籍後初のキャンプでの長嶋茂雄監督との思い出だ。長嶋監督は小笠原を見ると、真っ先にヒゲを剃ったばかりの顎をタッチしたという。その場面をうれしそうに語る小笠原の表情からは、球界の大先輩との何気ないやり取りが今も大切な記憶として残っていることが伝わってくる。

小笠原のトークは決して派手に自分を誇るものではなく、むしろ謙虚な姿勢がにじみ出ていた。しかし高校時代は本塁打0本だった選手が社会人野球で鍛えられ、プロで「振り切る」ことを覚え、球史に残る強打者へと変わっていく過程はドラマそのものだ。豪快なフルスイングの奥にあったのは才能だけではなく、環境に食らいつき続ける粘り強さだったのかもしれない。往年の名選手の知られざる素顔を丁寧に引き出す「プロ野球 レジェン堂」らしい、野球ファンにはたまらない放送回だった。



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