『金八先生』に生徒役で出演した53歳女性が、紆余曲折を経てセクシー女優になったワケ「とにかく自由に使えるお金が欲しかった」

月野ゆりね氏

『金八先生』に生徒役で出演した53歳女性が、紆余曲折を経てセクシー女優になったワケ「とにかく自由に使えるお金が欲しかった」

6月25日(木) 15:54

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華やかな芸能界から離れ、結婚したのち出産を経験。今は一般人として静かに暮らしているーーなんてエピソードは枚挙にいとまがない。

しかし、今回話を聞いた月野ゆりね氏(53歳)の人生は一味違う。驚くことに、出産後に選んだのはセクシー女優という道だったのだ。いったいなぜ?本人の口から紆余曲折の歩みを語ってもらおう。

劇団で演技を勉強しはじめた中学時代

――そもそも芸能界にはいつから興味を持ったのですか?

月野ゆりね(以下、月野): 保育園の頃から、お遊戯会みたいな場が好きだったんです。その頃は引っ込み思案でしたが、担任の先生が主役に選んでくれることが結構多くて。目立てる機会に恵まれていたんですよね。そんなことがきっかけで、「アイドルになりたい」と思っていたんですけど、「自分はアイドル顔じゃないな」とも感じていて……。でも中山美穂さんや小泉今日子さんみたいに女優をやりながらアイドル活動もする人たちを見ていると、「その路線なら自分もいけるかもしれない」と思ったんです。それで、自分で劇団に履歴書を送りました。これが中学生のときでした。

――そこで演技の勉強をされていた感じですか。

月野: そうですね。毎週レッスンがあって、演技、発声、日本舞踊、バレエのお稽古がありました。ただ、バレエと日本舞踊はつまらなくて(笑)。先生も厳しかったし、「これは私には無理だな」って思って、ダンスのお稽古には行かないで、お芝居のレッスンばかり受けていました。今から振り返ると、ダンスの経験もお芝居に生きてくるっていうのはわかるんですけど、当時はまだ子どもだったので、「これがなんで女優に何の役に立つんだろう」って思っていました。そうしていると、少しずつエキストラの仕事とかももらえるようになりました。高校野球を題材にしたドラマで、応援する生徒役などをやりましたね。とにかく自分じゃない誰かの役を演じることが楽しかったです。

大人気ドラマ出演で夢を叶える

――そうして、『3年B組金八先生』に出演することになる。オーディションがあったんですか?

月野: 劇団に入って1年後くらいだったと思います。シリーズのものじゃなくて単発のスペシャルでした。オーディションがあって、同じ劇団からも10人くらいが受けに行ったんです。「どんな役がやりたいの?」などの質問があったのは覚えているんですが、私はなんて答えたんだろう……。とにかくそれで合格となりました。学園ものに出演するのは夢だったのですごくうれしかったです。

――同い年ぐらいの方が集まる現場だと思います。共演者と待機時間などに仲良くなったりもしたのですか?

月野: 顔合わせからリハーサルとか全部含めて、多分2か月くらいだったと思います。みんな仲良くなって、放送日は、集まれる人は集まって、共演者のみんなで見たんですよ。

――共演者同士で仲良くなって、恋愛関係に発展したりは?

月野: 私も好きな人はいたんですよ。でも……残念ながら叶わなかったです。今でもいい思い出ですね。

――大人気ドラマへの出演。学校でも反響は大きかったのでは?

月野: 学校ではみんな見たよ見たよって言ってくれて。学芸祭では、じゃあもうここはドラマにも出たんだから主役をやってもらおうってなって。ただ、目立ってしまったので妬まれたりもありましたね。辛かったですが、「絶対に負けないぞ」って思ってました。

芸能活動に終止符を打ち、寿司屋に就職

――それからの芸能活動は?

月野: 人気のドラマに出演して、達成感を感じてしまったのも事実です。劇団のマネージャーさんがいっぱいオーディションの話を持ってきてくれたのですが、全然受からなくて。何が悪いんだろうって落ち込むことばかりで、そこからは劇団のレッスンからも足が遠のいてしまいました。その後に1回、高校生になって深夜番組で毎週やっていた短編もの恋愛ドラマに出演したのですが、それが最後でした。高校生になると、やっぱり部活もあるし、アルバイトもあるし。それに彼氏もできてプライベート優先になっていました。結局、芸能活動は自然消滅みたいな形になりました。

――ただ、高校を卒業するとなれば、進路を考えなくていけなくなりますよね。

月野: そうですね。就職をどうするかという現実的な問題を突きつけられて、もうそこで完全に区切りました。人気ドラマにも出演できたし、素敵な思い出もできたからって自分を納得させたんです。それで高校を卒業すると、親の紹介でお寿司屋さんに就職しました。両親が料理人だったので、私もそっち関係に進みたいなと思って。ホールでの仕事です。見習いとして雇ってもらったのですが、すぐに「私、お寿司が好きなわけじゃないよな……」と考えてしまったんです。

その後は、キャバクラで勤務し、結婚に至る

――寿司店の仕事には、なかなか打ち込めなかった。

月野: そうですね。もう数日すると出勤をしなくなって、そのままずっと休むようになりました。親にも怒られて、謝りに行って辞めさせてもらいました。そこからは上野のキャバクラで働くことになります。もともと田舎育ちということもあって、歌舞伎町や池袋は怖いイメージがあったんです。それで、やっぱり上野の居心地がいいなって決めたんです。キャバクラではお客さんといろいろな話をするのも面白かったですよ。成績については、在籍人数が多い店でしたが、私はだいたい10位以内には確実に入っていました。調子のいいときは5位くらいまで上がることもありました。

――キャバクラでは、どんなキャラだったのですか?

月野: 面接のときに、「君は小林ひとみだね」って言われたんです。だから、「ああ、私はセクシー担当なんだな」と思って(笑)。とにかく露出を意識していました。全然いやではなかったですよ。自分のことを、ちゃんと女性として見てもらえているんだという感覚でうれしかったです。

――ただ、楽しくやっていたキャバクラも辞めてしまうことになる。何が原因だったのですか?

月野: 20歳くらいのときです。店の黒服と付き合うようになりました。彼はとても優しい人でした。もともと彼は店の寮に入っていて、私はそこに転がり込むような形で一緒に暮らしていました。ただ、黒服とキャバ嬢の恋愛は禁止されているので、交際を続けるためには、もう逃げるしかないという感じで、店には何も言わず引っ越し先を決めて出ていきました。その後、彼と新しい生活を始めることになります。一緒に暮らしているうちに子どももできて、結婚しました。ただ、結婚生活は長くは続かず離婚することになります。そして、その離婚をきっかけに保険の外交員の仕事に就いたんです。

過酷なノルマに追われた保険営業時代

――なぜ保険の仕事を選んだのですか?

月野: 子どもがいても働きやすい環境っていう感じだったことが選んだ理由ですね。最初、事務職を募集していたので面接に行ったのですが、所長さんから「喋り方も丁寧だから営業に向いているんじゃない」って言ってもらって営業をすすめられたんです。これはキャバクラの経験が活きたのかもしれませんね。保険の外交員は3年ぐらい続きました。本当にもう大変でしたよ。とにかくノルマが厳しかった。給料も夜の仕事と比べると少なかったですし。子どももいましたので、実家にお世話になっていたとはいえ、家にはお金を入れていたので、自分で自由に使えるお金はほとんどない状態でした。

――営業だと、契約が取れないと収入にも影響しますよね。

月野: そうなんです。最低限の基本給があって、それに歩合が上乗せされる仕組みだったんですけど、私はずっと最低ラインに近い給料しか貰えていなくて。そんな生活を続ける中で、セクシー女優の業界に興味を持つようになりました。とはいえ、最初から作品に出演したわけではありません。最初は雑誌の仕事や深夜番組への出演など、本当に小さな仕事から始めていました。

――いろいろな職業がある中で、あえてこの業界を考えた理由は?

月野: とにかく自由に使えるお金が欲しかったんです。月に1万円でもいいから、自分のお小遣いが欲しいという気持ちがありました。水商売に戻ることも考えましたが、子どもを親に預けなければならないので夜の仕事は難しかった。それでキャバクラを探すために持っていた高収入のアルバイトの情報誌で、この業界の募集を見つけたんです。

――それまで、この仕事に興味はあったのですか?

月野: もともと、友人たちと男女で集まって飲んでいるときに話題が出ることもありました。「すごいな」と思った程度で、自分がやるとは考えていなかったんですけどね。でも実際に仕事を始めてみると、自分で仕事を選べるのが魅力だったんです。決まった時間に出勤する仕事ではなかったですし、融通が利いたんです。撮影自体も楽しかったですね。お芝居をする要素もありましたし。最初の頃は何が何だか分からないまま撮影が始まって、気がついたら終わっていたような感じでした。でも、それがかえって新鮮だったんです。やっぱり非日常じゃないですか。その世界に入ること自体がすごく刺激的でした。

50歳を目前に決意した最後の挑戦

――ただその後、業界からは一度引退をされるんですね。

月野: その後、再婚をするのですが、そのときの夫に撮影した写真を見つかってしまったことがあったんです。「知り合いにプロのカメラマンがいて、若いうちに記念として撮ってもらったんだ」とごまかしました。その時の夫とは別れて、新しい彼氏ができたのですが、彼には最初から仕事について正直に打ち明けました。すると、「その仕事はやめてほしい」と言われたんです。私自身も彼との関係を大切にしたいという気持ちがあったので、それをきっかけに引退することにしました。

――ただ、長い休養期間を経て、50歳をめどにして今度は単体女優としてデビューされることになる。どういうきっかけだったのですか?

月野: その彼とは結婚はせず、同棲していましたが、やがて別れることになりました。それからかなりの時間が過ぎ、息子も一人暮らしをするようになって、自分のこれからの人生について考えるようになったんです。そんなとき、ふと「私、本当はセクシー女優をやっていた時は楽しかったんだよな」という思いが強くよみがえってきました。「今やらなかったら、いつやるんだろう」って、そう思ったんです。

人生最後のチャレンジをするなら今しかない、と。50歳を目前にして、そんなことを考えるようになっていました。そして、単体女優として再デビューすることになります。振り返ってみると、ずいぶん遠回りをしたかもしれません。そうして回り道をした末に、結局は自分が本当にやりたかった場所へたどり着いたのかな、という気がしています。

昔は雑だったけど、今は時代が変わった

――企画女優の時からは20年近く時間が過ぎています。業界も変化していたのでは?

月野: まず、撮影前には性病検査の結果を見せ合いますし、台本に書かれていないことは絶対にやってはいけないというルールがあります。そうした取り決めがしっかりしていることに加えて、撮影前には必ず契約書を交わします。そこが大きな違いですね。

私自身、昔は契約書を見た記憶も、書いた記憶もなかったですね。企画女優だと、一対一での撮影や写真だけの仕事も多くて、そんな時に「事務所を通さずに仕事を受けてくれないか」と撮影中に交渉されることもありました。そちらのほうが高いギャラを払う、という話をされるんです。闇営業ですね(笑)。でも、今はそういうことはまずありえません。

それに、本当に女優ファーストというか、撮影中もスタッフの皆さんが細かく気を配ってくれます。「こんなに女優に対して気を使ってくれるんだ」と驚くくらいです。だから安心して今は仕事をさせていただいています。

<取材・文/海老原一哉>

【海老原一哉】
1980年生まれ。ライター。元夕刊紙記者。週刊誌での人物インタビューなどを中心にカルチャー、芸能、スポーツなど幅広い分野を取材。ジャンルを超えて「異端」とされる人物、テーマを追いかけている。

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